福岡 わらび餅の流し屋台 - ドキュメント72時間
流しの屋台でわらび餅を売り歩く、そんな珍しい光景が福岡に残っている。町を行く屋台のケースの中には透き通って柔らかそうな、わらび餅が入っている。冷やしたわらび餅に...
ドキュメント72時間 - NHK
屋台のわらび餅
昭和の時代
名古屋市北区味鋺
屋台のわらび餅
たくさん買った食べた 子供
安くて美味しかった
名古屋市北区味鋺の場合は
最中のことを
船のようと言われている
そこにわらび餅を
みんな 味鋺住宅は貧しかった
時代は昭和
みんな貧乏だった
屋台 もいっぱいあった
わらび餅
今の時期だったら
焼き芋の屋台
ラーメンの屋台
豆腐の屋台
クズいりませんか
これはク**さんです クズ屋さん
なぜ言葉にならないのかわからない
私の子供ん時は当たり前にあった
本当にみんな貧乏だった
紙芝居もいる
飴を買ってくれた子供だけ
紙芝居を見させてくれる
同級生のお父さんが
飴屋さんのあれは自転車だったかな
飴屋さんだ
子供にいろいろ 注文すると
飴で作ってくれる
地球の飴
般若の飴
小鳥の 飴とか
あれは 工芸 だった
飴は当然 甘くて
飴屋さんが飴で作ってくれるのだ 手作りで
パッカ ン屋というのがいて
米
砂糖
これを子供は家からそういうものを持ってパッカ ン屋にみんな集まる
バッカン屋というのは違う意味だったかもしれない 違う呼び名 だったかもしれない
それがパッカーンという音がして
それで すごいものがあった
いつも怖い 真っ黒なお父さんがすごく怖くて それでもパッカ ン屋がすごかった
子供にとってはたまらんかった
わらび餅の屋台のお兄さんやお父さん
お兄さんの方は最初 奥田民生 かなと思った
わらび餅は幸せをくれた