朝顔
咲く
朝顔の薄紫は
新しい心みたいだ
この労働場に
鴨川先生はいた
誰に確かめることはなく
ただずいぶん前に
そんな噂を聞いただけ
誰かに確かめることを
はばかるのは
鴨川先生のことは
あまり口にしたくないからだ
鴨川先生は去年の7月の終わり
もしかしたら
わたしが卒唐オた日
シンクロしていたのかも知れぬ
空に帰った
空に帰ったことを知ったのは
8月になってから
聞いたとんかつ屋で
箸が止まり
まるちゃんは話し続けたけれど
わたしは「ちょっと待って」
とまるちゃんの話をさえぎった
一分か二分
それから去年いっぱい
鴨川先生のことを
口にすることも
文字にすることもできなかった
ずいぶんご一緒させていただいた
「隠れおかき」なんていう造語や
マイルスデイヴィスのこと
空に帰る日が近い時
「小久保さんサクソフォーンいらへんか」
と遺品のことを電話で言っていた
結局
わたしは
会えなかった
それが今になって後悔していること
会う勇気がなかった
自分のこころが壊れてしまうと思って
科学のこと
数学のこと
思想のこと
社会のこと
塚口で開業していたお兄さんの歯医者に
わたしが通っていた偶然
鴨川先生は同志社大学を出ていて
のちにコンピューターのソフトをつくる
会社を立ちあげた
言葉の配列ソフトの希望を言うと
一緒に作ろう
と話した
馬鹿話や
猥談
ジョークも品があって
知性があった
優しく
悲しみさえ
ジョークにできた人だった
晩年は縁ある人や
その連れ子への溺愛の話は
花のようで
きれい
「本当の家族のような気がするんや」
と言っていた
なんて素敵な言葉だったんだろう
日夜働き
睡眠を惜しんで
尽くした人
自分はスーパーの半額のおかずを食べて
縁ある人とその子に尽くした
鴨川先生がいたこの小屋
鴨川先生が立っていただろう
この場所
それを思う
友達が空に帰ったあと
鴨川先生に「そっちに行ったので頼みますね」
と言った今年の夏
みんな空に帰ってしまった
鴨川先生と一緒に労働している時
『荒野』という長編詩がャbプアップして
わたしが言葉を書く人間だと知っているから
手帳にボールペンで文字を書く
それが止まらない時でさえ
鴨川先生はほっといてくれた
あの詩は書かされていた感じだった
鴨川先生とわたしは
シルクトゥリーの脇で
ずっと
話していた
たくさんのことを
鴨川先生のことがやっと書けたのは
友達が空に帰ってからだった
もう何も浮ュない
いつかわたしもそちらに行く
写真の脇に地下鉄駅に続く一本道がある
そこを一緒に帰ったのが最後だった
「また一緒に仕事しよな。呼ぶから」
そんな思い出の道を
あれから数回往復した
常に淡々としていた鴨川先生
またお会いしましょう
去年のお盆に
コガネムシになって
会いにきてくれてありがとうございました
すぐにわかりました
また空でお会いしましょう