KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

過保護とか子離れとか言うけれど

2012-10-26 21:43:53 | 日記・エッセイ・コラム

さきほどまで、国営放送にて「つながれない若者たち」という番組を見ていた。

 

いわく、今の若者は、一旦社会からドロップアウトすると、再チャレンジが非常に難しい。

いわく、大学生が1年目で不登校になり、教育課らがそんな彼らをフォローする仕事に忙殺されている。

いわく、親が子供(とくに娘)に過度に干渉する。この服を着なさい、こんな友達と付き合うな、とか。

・・・自分の学生当時を振り返ると、どれも信じがたいことと思った。まして、大学は自分から勉強したくて難関な試験を突破して通うもので、出席しないからといって、中学校でやるような学生ケアをしていること自体が不思議でならない。

 

 親の期待しているとおりの子供にならなきゃ、という思いが強すぎて、結果自分自身を見失い何もできなくなったという女性も登場したが、よほど親の影響力が強すぎたのだろう。不憫でならない。

 彼らに反抗期はなかったのだろうか?おそらく、なかった、というより、その機会を潰されたのかもしれない。

 

 ぼくも一時期、ごく短期間ではあるが、反抗期はそれなりにあり、とにかく親への反発心が強かった。たまたま読んでいた思想系の本や、当時、薬害エイズ訴訟というのがあって、同年代の若者が厚生省(当時)に集まってデモに参加して社会を変えてしまったことに影響されたこともあり、今も時々あるが、事あるごとに「極端な理論」を言い、反感買ってものすごく怒られたりもした。

 こんな家、早く出ていきたい。大学を卒業したい。就職して一人で生きていくんだ。実際就職して3年、ちょっと足を伸ばせば帰れるところに住んでいたのに、正月以外はほとんど実家に帰らなかったな。

 

 そんなふうに、しばらくは親と距離を置こうと思ってたが、社会人1年目のある日、当時課長だった家の通夜に参列することになった。大学生だった課長の娘が、自動車事故で亡くなったという。新聞にもその事故のことが載っていて、名前も載っていた。20歳だった。

 通夜や葬儀での手伝い(参列)も仕事のひとつと思っていた。喪主であり父親でもある課長は、落ち着いて、普段通りの対応をされていた。葬儀センターの上階が式場で、手伝い要員は階下の一室にあつまっていて、葬儀の様子をモニターで見ることができたが、出棺という段になって、モニターは消され、直後、親族の嗚咽が聴こえてきて、耳を塞ぎたい気持ちになった。

 その夜、一人暮らし始めてはじめて親に電話した。親の子にかける思いを子の自分が感じたひとときだった。

 親に反感を覚えたり、操り人形だと思われていると思い込んでもいいが、心配させたり、ましてや親より先に死んで悲しませたりしては、絶対いけないんだ、と改めて思った。

 

 少し本題から離れてしまったが、親子関係を考えるという意味で、この思い出も書いておいた。

しかし、番組限らず、こういうテーマでは、「大人VS若者」という単純な対立図式から脱却しないと、話が進まないんじゃないの?と思った。もうひとつ言うと、若者といったって、20歳過ぎたら法律上もう立派な大人なんだぜ。

 

以下、全然関係ない話。

 あす27日(土)から28日(日)まで、蒲田の大田区産業プラザ(PIO)で「日本鉄道模型ショウ」というのがありまして、今年もN路面モジュール公開運転を行います。学校や職場以外のつながりが持てるかもしれませんよ・・・なんちゃって。

コメント
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