KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

じいさんがくれた、最後の我儘旅行 パート6

2016-05-02 19:41:34 | まち歩き
5月になってしまいました・・・今回もまだ、高知旅行の話の続きを。

長期休暇に入った途端、体調をちょいと崩してしまったようで、乾いた咳が止まらず、ここ2日間ばかり、やる気がほぼゼロモードになってました。微熱(といっても6度5分)も続いて、眠れないときもありまして、きょう病院へ行ってきました。
診察の結果、何か大きな病気ということはありませんでしたが、喉を痛めないために加湿をすることと、マスクは四六時中着けていなさいというご指導を頂きました・・・。

ということで、話を戻して、舞台はまたしてもはりまや橋から。

最後に残っとった、南の桟橋通方面へ。


潮江橋(鏡川)を渡ると、終点まではほぼ一直線。これは車内後部からの風景。
15分ほど乗って、終点の桟橋通五丁目に到着。これでとさでん全線乗車成る!


塀の向こうはもう海。
100メートルほど戻ったところに、とさでん本社(車庫)がある。


朝走っていた車両の一部が戻ってきて休んでいる。
イベントがあるときなどには入れるようだが、今回は外から眺めるのみだった。

この時点で、まだ昼前なので、手持ちのガイドブックをぱらぱらめくりながら、どこか行ってみようと思い、来てみたのがこちら。


上町一丁目電停から100メートルほど歩いたところの「龍馬の生まれた町記念館」
水路が通ったこの辺りをとくに「水通町(すいどうちょう)」と呼んでいたと。この界隈で土佐の志士、坂本龍馬が生まれ、育ったという。

館内に入ると「まっこと、よう来たねぇ」と、少年龍馬が声をかけてくれる。


高知城の西側、上町は主に下級の武士たちが住んでいたという。当時の街並みの模型。


気弱な少年だったという龍馬は、姉、乙女に学問、剣術の基礎を教わったという。
部屋に佇む、龍馬と姉の乙女さん。

館内に「土佐弁コーナー」という掲示物があり、土佐の方言の解説を解りやすいマンガで紹介しているが、この1番目として『はちきん』という言葉が紹介されている。

どういう意味か?今回使った、土佐電の1日乗車券にも「はちきん運転士」がお待ちしていますと書かれていた。

ここで、『はちきん』に関するヒント。

そういえば前の日に、ひさびさに会った叔父が、初孫にメロメロになりながらほろ酔い気分になって、叔母(妻)について「あいつは『はちきん』じゃき・・・」といったのを思い出した。さらに冗談で「(土佐の)男は『きん』を2つしか持たん。けんど女は残り八つを持っとる・・・」とも言っていた。

大体分かったかもしれませんが、正解は次回書こうと思います(w○kiとかで検索しないでね・・・)。

記念館は、電車通りを1本外れた通りにあったが、「龍馬生誕の地」というのももちろんありまして、


先ほどの記念館からほど近い場所にあります。




さて、日も高く上がって快晴!・・・と行きたかったですが、風が強くて強くて。時間はちょうどお昼時になったので、おいしそうな場所へ移動。

・・・と、この続きは次回、そしていよいよフィナーレへ。
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