踊る小児科医のblog

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尼崎の福知山線脱線事故と小学校時代の思い出

2005年04月27日 | NEWS / TOPICS
25日に起きた尼崎の脱線事故については、いまだに亡くなった方の数が増え続けているような状況で、言葉もありません。ご冥福をお祈りします。この福知山線(宝塚線なる名称は今回初めて聞いた)には1~2回乗ったことがあるはずですが、あまり憶えていません。当時はもっとのんびりしたローカル線だったはずです。少しだけ思い出話をすると、私は小学校5年生の秋から中学校3年の途中まで、関西に住んでいました。最初は大阪府池田市、中学から奈良県三郷町。池田は阪急宝塚線ですから、今回お亡くなりになった方の名簿に小学校の同級生の名前がないかどうか、少し気にしてみていました。この地域では、10年前の阪神大震災、その後の神戸少年殺傷事件、池田の小学校の事件(通っていた学校の通学路にある小学校)、そして奈良の小学生誘拐殺人事件(犯人は三郷町在住)と大きな事件が続いてしまいました。また、高校(横浜)のとき通っていた東横線は日比谷線と相互乗り入れしているので、数年前の日比谷線脱線事故のときにも心配したのですが、同級ではないけれども後輩にあたる同窓生が亡くなったということを後で知りました。

話を戻すと、福知山線を宝塚から下っていったところにある、何といったか憶えていないのですが、お寺で5年生の宿泊学習があったようです。私は前の名古屋の小学校で林間学校は終えてきたのですが、この宿泊学習には参加できなかったので、クラスの楽しい思い出を共有できない転校生として少し寂しい思いをしました。同じように、学校で宝塚観劇があったようなのですが、これもみることができませんでした(今はみたいとは思わないけど、面白い機会を逃したなと感じてます)。宝塚には、6年生の時にレオナルド・ダビンチ展があって友達同士で出かけたことを憶えています。事故とは何の関係もありませんが、そんなことを思い出しながらニュースをみていました。亡くなった方も、一人ひとりに、思い出があり、人生があり、家族があり、未来があったはずです。。