歯の治療をしているのだが、3月にして既に確定申告できるほどの治療費に達してしまった。人の身体に限らず、どんなものでも古くなればそれなりに手入れをしないと使えなくなってしまう。その手入れの費用は古くなるほどに嵩むのは、ものというものの性質上やむを得ない。なかには文化財に指定されて国や自治体がそうした費用の幾許かを援助してくれるものもあるのだが、どう考えても私の歯が文化財になるはずもなく、何がしかの公的援助を受ける理由もない。勿論、治療費の大きな部分が健康保険によって賄われるのだが、治療に用いる資材のなかには保険のきかないものがあるということだ。先月に行った昨年分の確定申告にも医療費は入っている。これで2年連続ということになる。継続することで自分の血肉になるものならよいが、血肉の維持のための継続となると、果たしてそこまでして生きているほどのものだろうかと考えないこともない。
所謂「インフォームド・コンセント」ということで治療方法やそれに用いる材料についての説明が担当の医師によってなされる。イラストや自分の口腔のレントゲン写真やらを使って、懇切丁寧とはいえないが、一通りの解説を聴くことができる。それは、勝手に治療を進められるより良いことには違いないのだが、聴いたところで自分ではどうしょうもないことも少なくない。そういう治療をしなければ抜歯に至ってしまうと言われれば、お任せするより仕方がない。治療に使う材料にしても、何種類かのなかから患者が選ぶことができるのだが、保険のきくものより保険のきかないもののほうが優れているかのような印象を受けてしまえば、多少経費が嵩んでもそちらをお願いするのが人情というものだ。
結局、来年の2月に行う予定の確定申告のなかに医療費が含まれることになった。ついでなので、今年は他の健康上の課題も解決してしまおうかとも考えている。例えば声帯のポリープとか下肢の静脈瘤などだ。腎臓も一度きちんと診てもらったほうがよいのかもしれないし、ほかにもこれからいろいろ出てくるかもしれない。ついでのついでに、いっそのこと生きるのを止めてしまってもいいのかもしれない。面白いことに、そんなことまで考えるくせに、歯科治療の材料を選ぶ際には耐久性について担当医師に尋ねてみたりする自分がいる。潔くありたいと思うのだが、習慣とそれに対する未練を捨てられない醜さをなんとかすることこそ自分にとっての本当の課題かもしれない。
所謂「インフォームド・コンセント」ということで治療方法やそれに用いる材料についての説明が担当の医師によってなされる。イラストや自分の口腔のレントゲン写真やらを使って、懇切丁寧とはいえないが、一通りの解説を聴くことができる。それは、勝手に治療を進められるより良いことには違いないのだが、聴いたところで自分ではどうしょうもないことも少なくない。そういう治療をしなければ抜歯に至ってしまうと言われれば、お任せするより仕方がない。治療に使う材料にしても、何種類かのなかから患者が選ぶことができるのだが、保険のきくものより保険のきかないもののほうが優れているかのような印象を受けてしまえば、多少経費が嵩んでもそちらをお願いするのが人情というものだ。
結局、来年の2月に行う予定の確定申告のなかに医療費が含まれることになった。ついでなので、今年は他の健康上の課題も解決してしまおうかとも考えている。例えば声帯のポリープとか下肢の静脈瘤などだ。腎臓も一度きちんと診てもらったほうがよいのかもしれないし、ほかにもこれからいろいろ出てくるかもしれない。ついでのついでに、いっそのこと生きるのを止めてしまってもいいのかもしれない。面白いことに、そんなことまで考えるくせに、歯科治療の材料を選ぶ際には耐久性について担当医師に尋ねてみたりする自分がいる。潔くありたいと思うのだが、習慣とそれに対する未練を捨てられない醜さをなんとかすることこそ自分にとっての本当の課題かもしれない。