熊本熊的日常

日常生活についての雑記

大震災の2日後

2011年03月13日 | Weblog
震災被害は時間の経過とともに明らかになっている。13日を終えたところで死者1,597、不明1,481と警察庁から発表されている(3月14日午前0時付公表資料)。死者の地域別内訳では宮城県643、岩手県502、福島県401で、これら3県だけで97%を占める。人が近づくことのできない東北地方太平洋岸に多数の遺体が漂着しているという情報があり、最終的には万単位になるとの報道もある。地震の規模に関してもデータの分析が進みマグニチュード9.0へ修正されたが、この数値も3月13日22時現在においては暫定値とのことだ。改めて大きな地震だったと思う。

今回の震災では地方自治体の施設や職員の損害も大きく、復興作業の制約も大きいようだが、そうしたなかにあっても各種公的機関の対応が粛々と行われているようだ。海外からも支援隊が続々と来日しており、既に以下の国々から到着が報じられている。
韓国、シンガポール、トルコ、ドイツ、スイス、米国、中国、メキシコ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、フランス
以上、首相官邸発表資料による(13日20時現在)。心底ありがたいことだ。

都内の公共交通機関はほぼ平常通りの状態に戻ったが、明日からは計画停電の影響で、鉄道の運行が制限されることが既に発表されている。東京電力管内の原子力発電所3箇所のうち2箇所が停止することの影響は計り知れない。おそらく福島第一原子力発電所の1号機と3号機は廃炉だろう。現有の残存能力でどれほどの電力を賄うことができるものなのか知らないが、ライフラインの回復なしに復興はありえない。今のところは平静を取り戻した首都圏の生活も、東北地方の農業の回復が無ければ、本来収穫期であるはずの夏から秋にかけての農産物の流通に支障をきたすことになるだろうし、漁業にいたってはすぐにでも影響が出るのだろう。こうした現実が、TPPの議論の行方にどのような影響を与えるのかも注目されるところだ。

震災に襲われたのが金曜の午後だったので、その有形無形の影響が本格的に現れるのは14日月曜からだろう。この週末には実感できなかったことが、月曜から具体的な障害として経験せざるを得なくなることがいくらも出てくるに違いない。一見したところ普段と変わらぬ週末だったが、なんとはなしに緊張感を覚える日曜の夜となった。

思い出すのは2001年の同時テロのことだ。あの日の深夜、テレビに映るWTCの崩壊する姿を他人事のように眺めていた。当時、自分の勤務先の親会社が保険会社であることなど意識もしなかった。あの事件で莫大な保険金の支払が発生することも当然に意識の外だった。それから2ヵ月後、勤務先はリストラを強いられることになり、私は職を失った。世の中が様々につながっているということを実感する忘れられない経験だった。今回の震災でも、これから何が起こるのか、それが自分の生活にどのように影響するのか、数ヶ月あるいは数年という時間軸である程度の覚悟をしながら観察しなければなるまい。

とりあえずは、台所のタイルの目地に剥落したところがあるので、そこを修理して、コーキングもやりなおしておこうと思う。但し、すぐにということではなく、余震が落ち着くであろう来月の今時分を考えている。