熊本熊的日常

日常生活についての雑記

小型書架完成

2011年03月23日 | Weblog
木工で1月の終わり頃から取り組んでいたキャスター付の小型書架が完成した。「書架」と目的を限定せず、他の用途がいくらもありそうな簡素なものだ。

今回はエゾマツを使い、枠の桟の一部に杉を用いた。どちらも国産材だが、木目の美しさはこの国の自然の豊かさの象徴であるような気がする。木目はその木が育ってきた場所の四季折々の気候の変化を表している。木目が雄弁であるということは、その土地が四季それぞれに豊かな表情を見せるということでもある。1年という限られた時間のなかで気候が大きく変化するのは、そこで暮らす当事者にとっては難儀なことではある。その時々の暑さ、寒さ、乾燥、湿潤の真っ只中では、「豊か」などという形容が持つ語感とは相容れない過酷な状況のときもあるだろう。それでも、終わってみれば、夏材と冬材が微妙に揺らぎながら重なり合い、それが何年もの長い時を経て、見事な木目を形成するのである。その木目を愛撫しながら眺めていると、自分は果たして木目を重ねてきただろうかと、少し情けないような思いがよぎる。

普段は、木工の後は東村山のますも庵でもつ煮うどんセットをいただくか、巣鴨のcha ba naでビルマそうめんなのだが、今日は大きな荷物を抱えているのでひとまず住処へ戻る。書架を玄関に置いて、そのまま食事へ出かける。今まで入ったことのない店に入ろうと、庚申塚方面へ行ってみる。最近、足を運ぶようになったインド料理屋コルカタ・キッチンの並びに蕎麦屋が目に付いたので入ってみた。

カウンター席だけの小さな店だが、なんとなく緊張感の漂う気持ちの良い店だ。昼のセットで、せいろと天ぷらを組み合わせるものがあるので、それをいただく。今日の蕎麦は長野県伊那で収穫したものだそうだ。少し甘味のある麺である。昨年は全国的に蕎麦の出来が悪く材料の調達に苦労したというのは、自家製麺を打つ店に共通したことだろう。ここのご主人も頻繁に産地を巡っている様子だ。最初は私が唯一の客だったが、そのうち常連らしい客が2組続けざまに入ってきた。彼らと主人との遣り取りを聞いていると、ここも地震以降は客足が遠のいたとのことだ。旨いものを作っていれば自然に客が集まる、というような時勢ではないのは確かだが、いつ災難に遭うかわからないからこそ、なるべく旨いものを食べておきたいと思うのは私くらいなのだろうか。3日程度食いつなぐくらいの食糧と水を備えておけば、あとは普段通りの暮らしで良いと思っている。その程度の備蓄ではどうにもならないような事態になれば、その先の生活など無いも同然なのだから、素直に運命に従うまでのことだ。それにしても、ここの蕎麦は旨い。蕎麦猪口も趣味が良いものが揃っていて、主人の店や客に対する思いが伝わってくるようだ。良い店に出会うことができた。