熊本熊的日常

日常生活についての雑記

×印

2011年03月24日 | Weblog
木工で次に制作するのはマガジンラックにしようと考えている。先日、国立民族学博物館の常設展でコーランの書見台というのを見つけた。一枚の板に切り込みを入れて、真横から見るとX状に開いたり折りたたんだりできるものだ。ネットで検索してみるとアジア雑貨の商店で販売していたので、手頃な価格のものを発注してみた。実物を手にして何かの参考にできればと思っている。

×と言えば、生協の宅配カタログには×印を付された商品がいくつも登場し始めた。三陸産の魚介類や水産加工品が中心だが、これから被災地産のものを中心に欠品が増えてくるのだろう。復興も進むだろうが、当面は復興よりも被害の拡大のほうが勝った状況が続くことになりそうだ。もうすぐ震災から2週間になるが、電力不足の影響で電車が間引き運転になっていたり、街中の照明が絞られているといったことに震災の影が色濃く感じられはするものの、「喉下過ぎれば…」という空気も少しずつ広がっているような気がする。例えば、街を行く若い女性の足元が高いヒールの歩きにくそうな靴だったりするのを見かけるにつけ、災難の記憶が薄れていることを感じる。しかし、相変わらず商店の棚に空白が目立っていたり、生協の宅配の商品に制約が多くなっていたりする。震災に対する認識と震災の影響の現実との乖離が、被災地域からある程度離れているところで大きくなっているように感じられる。これまであまり経験したことがないような不自由を長期間に亘って強いられていると、それが人心に悪影響を及ぼすのではないかという漠然とした不安を覚えるのである。

被災現場の人々なら、目の前に震災の現実があるので、自分が被っている不自由とその原因が容易に了解されるだろうが、現場から距離を置いていて不自由だという感覚だけが強まると、人は持って行き場のない不平不満を抱くようになるのではないだろうか。それが社会という単位で、不条理感のようなものを膨らまし始めると、なにかの拍子でそれが暴発することになりはしないかとの懸念を抱かずにはいられない。

子供が小さい頃、しばしば東京ディズニーランドに出かけた。そこで感心したのは、アトラクションの行列の整理だ。どのアトラクションにも長蛇の列ができているのだが、列の並びのちょっとした移動で、ただ立っている時間をできるだけ無くすようにし、常に列が目的のものへ向かって進んでいるという感覚を与えるようになっている。現実にはアトラクションの一回あたりの処理能力に変化はなく、立ち止まって待っていようが、前に進みながら待っていようが、待ち時間そのものは同じはずだ。「朝三暮四」ではないが、それに近いような工夫で、人の不平不満というものは嘘のように軽減されるものだと思う。まだ震災から2週間足らずとはいえ、そうした工夫が身近に感じられないことに不安を覚えるのである。