熊本熊的日常

日常生活についての雑記

須賀敦子を読んでいた頃

2011年03月25日 | Weblog
手元にある文庫版の須賀敦子全集を子供に譲ろうと思い、再読している。既に1巻目を読み終えて2巻目に入っている。この全集を最初に手にしたのは2008年6月、ロンドンでのことだ。2008年は須賀の没後10周年で、日本の新聞や雑誌で何度か彼女の特集を目にしていた。その人に興味を覚えたので、河出文庫から出ていた全集を丸ごと8巻購入し、1巻目から順に読んだ。なぜかその文章に惹かれ、その文章の向こう側にあるものに憧れ、著作のなかに言及されている作家の作品にまで目を通した。文筆だけでなく絵画や彫刻も、須賀の文章のなかに登場するものは、なるべく実物に触れてみるよう心がけた。それで具体的にどうこうということはなかったのだが、なんとはなしに世の中が広く見えるようになった心地がしている。

彼女が本格的に文筆活動を開始したのは60歳からなのだが、30代から日本文学をイタリア語に翻訳する作業に関わっているので、よく耳にする「遅咲き」というのとは違う。むしろ、注目すべきは充電期間の長さだろう。聖心の英文科を卒業後、慶応の大学院に進学。フランス政府の留学制度に合格してパリ大学文学部に留学。一旦帰国するが、その後イタリアの大学に留学する。イタリアで結婚した後は翻訳や通訳などに従事し、夫の死後しばらくして帰国してからは大学での教職と研究を生業としている。52歳のときには「ウンガレッティの詩法の研究」という論文で慶応から文学博士号を得た。60歳で文筆家としてデビューする以前に長い思索の時を重ねているのである。

おそらく、持って生まれたものに、長い時間をかけて積み重ね醸成してきたものが加わって、あの世界が展開できるのだろう。最初に全集を読んだ時にこのブログで書いたように、全8巻の全てが一読に値するとは思わないのだが、刊行目的で書かれたものはどれも手元に置いて読み返したいものばかりだ。私の子供が、彼女の作品を読んで何かを感じるかどうかは別にして、文章としても若いうちに読んでおいて欲しいものが多かったので、譲るタイミングとしては少し早いかもしれないと思いながら、自分が再読を終えた順に手渡していくことにした。

再読に際しても、気になったところには付箋をつけて、ノートに抜書きをした。1巻目に関しては、最初に読んだときよりも付箋の数が多くなったが、それらのなかには最初に読んだときに付箋をした場所も含まれていた。この2年数ヶ月の間に私自身の内部にもそれなりの変化があったということなのだろう。

ちなみに、最初に手にした2008年の初夏の頃、私は当時交際していた人から電話で別れを告げられた。結論だけの、店屋物の注文を取り消すのと然して変わらぬ電話だ。私がロンドンに渡ってしまい、遠距離になったことがきっかけだったのだろう。こういうことは縁なので無理に事を運んでも上手くいくものではないが、互いにもう少し辛抱強く時を積み重ねる余裕があれば、違った結果になっていたかもしれない。最後の短い電話の後、V&Aに出かけたら、中庭に紫陽花が咲き乱れていた。

私は自分の子供には人生を自ら切り拓いていくことができるような人であって欲しいと思っている。そういう視点から、思考の糧になるような書物を紹介しているつもりだ。須賀の作品もまさにそうしたもののひとつだ。