熊本熊的日常

日常生活についての雑記

堰を切る

2011年03月05日 | Weblog
昨夜、勤め帰りに乗ったタクシーでのこと。いつものように行き先を告げた後、運転手に話しかけた。
「なんだか冷えますね。先週末は妙に暖かかったのにねぇ。」
すると、
「そうですね。地球が狂っちゃってるんだと思いますよ。気候だけじゃなくて人間も。あの3歳の女の子を殺しちゃった奴、いったいどういう人間なんですかね。ありゃ人間じゃないね。酷い話ですよ。」
などと返されて、しかも非常に憤慨し始めてしまった。熊本のスーパーのトイレで3歳の女の子が20歳の男子大学生に殺害された事件のことを言っているのは、新聞やテレビに無縁の私でも知っている事件だ。
「自分より弱いと見ると、容赦なく攻撃するっていうのは、客商売の人に理不尽なクレームをつけたり、モンスターペアレントなんてのと同じことなんでしょうね。都合の悪いことを弱いところに押し付ける、ってことでしょ。運転手さんも酷い客に当たったりすることあるでしょ?」
と、下手に話を広げたのがよくなかった。
「そりゃね…いますよ。トンデモナイのが。」
と言って、いろいろそうした不愉快な経験を話し始めたら、堰を切ったように止まらなくなってしまい、果ては、道路工事が下手になって運転がしにくくなった、とか、タクシー運転手でも酷いのがいる、とか、日頃の鬱憤が溢れ出てきてしまったようだった。

話しているうちに、その時々の不愉快な感情の記憶が甦ったらしく、後楽園を過ぎる頃には、口調に憤怒の色が付き始め、下手な相槌を打ちずらくなり、こちらもそれなりの緊張感を持って対応せざるを得なくなった。そんなわけで、神保町交差点から巣鴨の地蔵通り入口あたりまで、ずっと運転手の不平不満を受け止め続けることになった。

深夜の地蔵通りには怪体な輩が徘徊していることがあり、警察官の巡回も頻繁だ。車が地蔵通りに入ると、その手の輩が警察官の職質に遭っているところで、そうした風景が目に入って関心の対象が不愉快な記憶から目の前の風景に移ったのか、目的地が近づいて少し冷静を取り戻したのか、高岩寺の前を過ぎるあたりからは感情も職務モードに切り替わったようだった。私も少しほっとして、料金の支払を済ませることができた。

料金を払うときに改めて運転手さんの顔を眺めたのだが、そういう話を聞いた直後であったからそう思うのかもしれないが、いろいろな物語を刻み付けたような顔に見えた。人の話というのは本人が意識している以上に多くを語っているものだ。わずかな時間ではあったが、良い勉強をさせてもらったと思う。でも、正直なところ、ほっとして車を降りた。