熊本熊的日常

日常生活についての雑記

週末エクソダス

2011年03月21日 | Weblog
名古屋から東京へ向かう新幹線はどれも満席で、飛び地のように空いていたひかりの喫煙席で戻ってきた。後で聞いたところによると、原発の終末的状況を恐れ、週末に東京を離れて関西地域で過ごした人々が、東京での日常に戻る流れに当たってしまったようだ。結局、東京へ戻るなら、関西へわずかの時間だけ逃げてきても然したる意味は無いように思うし、そもそも東京に居られないほどの状況になれば、日本全体が実質的に壊滅したも同然なのだから、名古屋に居ようが大阪に居ようが同じことだ。自分だけが、とりあえず助かりたい、ということなのだろうか。その先に生活があると思うことのできる御目出度さに拍手を送りたい。

東京は雨。地震後最初の雨ではないだろうか。しかも北寄りの風である。おそらく、この雨には原発から飛んできた放射性物質が含まれているのだろう。雨は大地や河川を濡らす。そこには農地もあるだろうし、浄水場もあるだろう。どんなに避けようとしたところで、結局は我々の身体に取り込まれることになる。ミネラルウォーターといったところで、採水地が安全である保証などあるのだろうか。つまり、気にしても仕方がないのではないだろうか。

天災は忘れた頃にやってくる、などという。一寸先は闇、とも言う。我々は無意識のうちに今日と似たような明日があると信じているが、明日があるかどうかもわからないのが現実なのである。しかし、確実なことがひとつある。それは、誰もがいつか必ず死ぬのである。今、この瞬間に昇天するか、明日なのか、10年後なのか、何時ということはわからないが、最期は必ずやってくる。どうせいつかは終わるなら、じたばたするよりも、静かにその時を迎えたほうが気分が良いのではないか。大事なことは、いつ最期が来てもいいと思えるように日々を生きることではないだろうか。