熊本熊的日常

日常生活についての雑記

大地震の日

2011年03月11日 | Weblog
午前10時頃起床して、軽く食事をした後、細々とした雑事を片付けていたら昼を回ってしまった。それから近所のプールに行って泳いでいたら、途中から水泳教室が始まってしまい、個人利用の場所が制限されて泳ぎにくくなったので、当初の予定を切り上げて、2,000m泳いだところで上がってしまった。午後1時頃から泳ぎ始めて1時間ほど経過していたので、距離には不満があったが、切りも良かったということにして引き揚げた。住処に戻って食事の仕度をして、コンロの火を止めようとしていたときに激しい揺れに襲われた。

住処にはそれほど物が置いてないのだが、腰の高さほどの整理棚が激しく揺れて、棚の上に載せてあったもののいくつかが床に落ちた。一方、高さ180cmの書棚は耐震対策を施してあるので、書棚の上に本やDVDなどが積み上げてあるにもかかわらず、そうしたものが落下することはなかった。揺れが収まってから台所の戸棚のなかを確認したが、中のものが崩れているというようなことはなかった。つまり、殆ど被害は無かった。台所の吊戸棚の中は空き箱類が積み上げてあったので、戸を開いた途端にがらがらとそれらが落ちてくるかと覚悟して、そっと開けてみたら、何事も無かったかのようだった。日頃の整理整頓がこういう非常時に活きるのだなと、自分で自分に感心してしまった。

余震が続いていたが、こういう時こそ落ちつかないといけないので、出来上がったばかりの食事を頂く。あつあつのご飯、ホタテと野菜を炒めてキムチで和えたもの、納豆、海苔が今日の昼食。予定通りプールで3,000m泳いでいたら、調理の途中で地震に襲われていた。いや、まだ帰っていなかったかもしれない。今日は絶妙のタイミングで事が運んだものだ。食事を終えようとしていた時に強い余震。本格的に揺れ始める直前、小刻みに唸りを上げているかのような縦揺れがあり、それから大きく揺れた。調理終了間際の本震も、食事終了間際の余震も、これまでに経験したことがない揺れ方だ。今、思い返せば、大きな揺れはこの余震で一段落ついた。

電気と水道は問題ないが、ガスは安全装置が起動して止まってしまった。しまい込んであった東京ガスの小冊子を取り出して、回復方法の書かれているページを読む。その通りにしたら、ガスは回復した。プールから戻って身体が塩素臭いので、シャワーを浴びる。ついでに洗濯もする。洗濯機が停止して、洗濯物を干し終わった頃、出勤の時刻となった。

外は平静で、一見したところ普段と変わらぬ様子だ。しかし、駅に近づくにつれて妙に人が多いことに気付く。バス停に長蛇の列ができている。白山通りも今の時間にしては交通量が多い。地下鉄の入口にはロープが張られ、入場できないようになっている。JR巣鴨駅も同様だ。構内からは放送が聞こえてきて、運転再開の見通しが立っていないと言っている。仕方がないので、そのまま住処へ引き返した。住処のある建物の外壁にはところどころ皹が走っていて、その直下に壁の白い粉が落ちている。ほぼ大家さん専用に近いエレベーターは停止しているようだ。

パソコンを開き、職場のリモートサイトにつなぐ。動作が遅くて不安定なので、滅多に使わないのだが、こういう場合は使わないわけにはいかない。職場のほうも帰宅命令が下りているので、殆ど社員は残っていないらしい。帰宅を諦めて社内に泊り込みを決め込んだ数名がいるようだ。そうした状況なので、仕事は殆ど無かったが、ところどころに馬鹿みたいに官僚的な輩がいる組織なので、不愉快な事態を避けるべく一応定時までパソコンをつないでおいて、終業時にいつもの通りに次のシフト向けに申し送りのメールを送ってログオフする。

就業時間中の午後8時頃、明日会う予定のひとりから電話が入る。明日はとりあえずキャンセルにしようという。別に反対する理由もないので承知して、予約を入れておいた居酒屋にキャンセルの電話を入れようとするがつながらない。携帯電話を諦めてスカイプを使ってみるが、やはり無理だ。仕方ないので、外の公衆電話を使うことにする。昔はどこにでも公衆電話があったものだが、今はすっかり見かけなくなってしまった。

住処を出て、とりあえず駅へ向かってみる。時刻は午後9時半頃のことだが、住処前の地蔵通りに車の渋滞ができていて驚く。ここは、夜はたまにタクシーが通る程度で自動車の往来は殆ど無い道なのである。ここで生活するようになって2年1ヶ月が経過したところだが、これほどの車がこの道路上に存在している風景は見たことがない。ということは、白山通りが激しく渋滞しているということだ。また、都心から徒歩で帰宅する人たちが難民のように流れてくる。そうした流れに逆らいながら駅へ向かって歩く。まず高岩寺の境内に電話ボックスがひとつあったが使用中だ。次に真性寺前の横断陸橋の袂にあったが、ここは行列ができている。商店街のマックには帰宅途中で腹ごしらえをしようという人が列を成している。ネット上では都営三田線は運転を再開したと書いてあったが、地下鉄入口はシャッターが下りていた。駅近くは人ごみがすごいことになっていたので、住処へ引き返す。ちょうど高岩寺の電話ボックスが空いたところだったので、そこで用を済ます。公衆電話は問題なくつながった。

住処に戻ると職場のリモートサイトが固まっていた。パソコンを立ち上げ直して、サイトを回復する。席を外していた40分ほどの間に作業が1件、メールの往来が数通あったが、作業のほうはロンドンの同僚が片付けておいてくれたようだ。メールもどうでもよいものばかりだった。その後、別の作業があり、それを片付けたところで時刻は午後11時半。引継ぎの申し送りメールを準備して、いつでも送信できる状態で、日付が変わるのを待つ。0時になったところで、一呼吸おいて、そのメールを送信して今日の業務を終了。

気付いたら携帯に2通のメールが来ていた。2人から各1通なのだが、偶然にも同じ内容だった。私の帰宅の足を心配してくれたものだった。同じ返信を出す。「今日は出勤してません。」

深夜まで、ときどき余震がある。ネットで地震関連のニュースを見る。マグニチュード8.8で国内観測史上最大だという。東北地方は水曜日にも大きな地震に見舞われたばかりだ。自分の普段の生活を通じて、今回被災された人たちにどのような形で役に立つことができるだろうか。しばらくはそうしたことを考えながら生活していくことになりそうだ。