震災から3日目を迎えた。東京電力の計画停電のために鉄道の運行に支障が生じ、朝の通勤は国鉄時代の春闘を彷彿させる大混乱となった。さすがに私が出勤する時間は利用客の絶対数が朝の通勤時間帯とは比較にならないくらい少ないので、運休区間が多数発生していても然したる不自由はなかった。それでも、徒歩で通勤する場合の感覚を掴んでおいたほうが後々のためにもなると考え、出勤は徒歩で1時間45分ほどかけた。途中、3箇所に寄り道をしたのでこの時間なので、まっすぐに歩けば1時間15分ほどだろう。ロンドンで生活していた頃は、交通機関の障害が頻繁にあり、徒歩1時間ほどかけて通勤することが珍しくなかったので、それと比較してもたいした距離ではないことがわかる。
寄り道したのは後楽園のタウン・ドイト、東京ドームシティーのシェ・リュイというベーカリー・カフェ、神保町のさかいやスポーツだ。停電が現実のものとなり、少し不安を感じたので、とりあえず常温保存のできる食糧を少し備蓄しておこうと考えた。漠然とカロリー・メイトのようなものをイメージしていたのだが、ドイトではスニッカーズを棚にあるだけ19個全部買った。さかいやではフリーズドライのオジヤを3種類各5個購入。シェ・リュイでは今晩の食事となるパンを購入した。
土曜日の段階で、近所のスーパーで缶詰を少し買っておいた。ミネラルウォーターは最低10リットルを目処に日頃から備蓄してあるので、今回は買い足す予定は無い。米も5kgを最低量として常備してあるので、これも今回は現状維持である。今回の補充では常温保存可能ということを基準に品物を選択した。計画停電で冷蔵庫、とりわけ冷凍庫部分が役に立たなくなる可能性があるからだ。普段利用している生協の宅配でもシーフードミックスなどの冷凍食材は大変重宝しているのだが、当分の間は冷凍品の発注は控えることにした。
震災後の買い物で興味深いのは、少なくとも身近にはパニック的な現象は見られないものの、商店の棚から菓子パン類が払底したことだ。カップ麺や米などがなくなるのは理解できる。ホームセンターではカセットコンロやそのボンベが売り切れるのも当然だ。乾電池や懐中電灯が売れるのも納得できる。しかし、およそ長期保存など不可能なパンが売れるというのはどういうことなのだろうか。子供の頃、石油危機でトイレットペーパーと砂糖が消えたことが今でも不思議なのだが、人は動転すると突飛な行動に出るものなのだろう。
白山通りを巣鴨から大手町まで歩いてみて、やはり沿道のベーカリーの商品が悉く払底していた。棚に残っているのはラスクなどの菓子類くらいというところもあれば、早々と店じまいしたところもある。これも不思議なことなのだが、水道橋駅の近く、東京ドームシティのシェ・リュイというベーカリー・カフェは、そうした他のベーカリーの状況が嘘のように、何事も無いかのような風情だった。おそらく、近所に民家がないので、日常の買い物でこの店を利用する人が少ないのだろう。ほんの少し、普段の生活圏から外に目を向けてみることで、当座の問題が解決してしまうということは日常生活においてはよくあることだ。
神保町では白山通りから少し外れて、さかいやスポーツに立ち寄った。最近は出かけないが、何年か前までは時々トレッキングを楽しむことがあった。その当時の仲間が紹介してくれたのが、さかいやスポーツで、私はトレッキングの装備類は全てこの店で揃えた。今でも機会があれば出かけてみたいのだが、当時の仲間と疎遠になってしまったこともあり、万が一のことを考えるとひとりで出かけるわけにもいかず、この店とも疎遠になっていた。
山に登るときの楽しみのひとつは、山頂での食事である。コンロや調理器具を持参して、ちょっとしたバーベキューパーティーのようなことをするのである。我々はそれほど芸が無かったが、かなり本格的な調理をしているグループもよく見かけたものだ。山登りに持参する調理器具や簡易食糧は、万が一のときの命綱にもなるものなので、非常食としても優れている。但し、山登りというものの性質上、用途とは不釣合いなほど高級素材で出来ている。鍋や食器などはチタン製が一般的だ。なぜそうなのかといえば、重量の問題だ。軽量であればあるほど身体への負担は軽くなる。万が一のときの最大の敵は体力の消耗だ。これを回避するには、多少値段が張っても、軽くて性能の良いものを持つことが不可欠なのである。店の人の話では、地震のあった日とその翌日でかなりの在庫が出てしまったそうだが、それでも機種によってはまだ在庫が残っていた。
職場に着いてみれば、普段とそれほど変わらない風景だった。仕事を終えて帰宅するときは、普段と同じように山手線を利用した。ダイヤは乱れていたようだが、震災があってもなくても、ダイヤの乱れは日常茶飯事なので、この時間だけを取り出してみれば通常とは変わらないということになる。一見して何事もないかのように見える、というのは要注意だ。その背後で起こっている変化のほうが重大であることは確かにある。見えないことにこそ、己の持てる能力を総動員して、注意を払う必要がある。
寄り道したのは後楽園のタウン・ドイト、東京ドームシティーのシェ・リュイというベーカリー・カフェ、神保町のさかいやスポーツだ。停電が現実のものとなり、少し不安を感じたので、とりあえず常温保存のできる食糧を少し備蓄しておこうと考えた。漠然とカロリー・メイトのようなものをイメージしていたのだが、ドイトではスニッカーズを棚にあるだけ19個全部買った。さかいやではフリーズドライのオジヤを3種類各5個購入。シェ・リュイでは今晩の食事となるパンを購入した。
土曜日の段階で、近所のスーパーで缶詰を少し買っておいた。ミネラルウォーターは最低10リットルを目処に日頃から備蓄してあるので、今回は買い足す予定は無い。米も5kgを最低量として常備してあるので、これも今回は現状維持である。今回の補充では常温保存可能ということを基準に品物を選択した。計画停電で冷蔵庫、とりわけ冷凍庫部分が役に立たなくなる可能性があるからだ。普段利用している生協の宅配でもシーフードミックスなどの冷凍食材は大変重宝しているのだが、当分の間は冷凍品の発注は控えることにした。
震災後の買い物で興味深いのは、少なくとも身近にはパニック的な現象は見られないものの、商店の棚から菓子パン類が払底したことだ。カップ麺や米などがなくなるのは理解できる。ホームセンターではカセットコンロやそのボンベが売り切れるのも当然だ。乾電池や懐中電灯が売れるのも納得できる。しかし、およそ長期保存など不可能なパンが売れるというのはどういうことなのだろうか。子供の頃、石油危機でトイレットペーパーと砂糖が消えたことが今でも不思議なのだが、人は動転すると突飛な行動に出るものなのだろう。
白山通りを巣鴨から大手町まで歩いてみて、やはり沿道のベーカリーの商品が悉く払底していた。棚に残っているのはラスクなどの菓子類くらいというところもあれば、早々と店じまいしたところもある。これも不思議なことなのだが、水道橋駅の近く、東京ドームシティのシェ・リュイというベーカリー・カフェは、そうした他のベーカリーの状況が嘘のように、何事も無いかのような風情だった。おそらく、近所に民家がないので、日常の買い物でこの店を利用する人が少ないのだろう。ほんの少し、普段の生活圏から外に目を向けてみることで、当座の問題が解決してしまうということは日常生活においてはよくあることだ。
神保町では白山通りから少し外れて、さかいやスポーツに立ち寄った。最近は出かけないが、何年か前までは時々トレッキングを楽しむことがあった。その当時の仲間が紹介してくれたのが、さかいやスポーツで、私はトレッキングの装備類は全てこの店で揃えた。今でも機会があれば出かけてみたいのだが、当時の仲間と疎遠になってしまったこともあり、万が一のことを考えるとひとりで出かけるわけにもいかず、この店とも疎遠になっていた。
山に登るときの楽しみのひとつは、山頂での食事である。コンロや調理器具を持参して、ちょっとしたバーベキューパーティーのようなことをするのである。我々はそれほど芸が無かったが、かなり本格的な調理をしているグループもよく見かけたものだ。山登りに持参する調理器具や簡易食糧は、万が一のときの命綱にもなるものなので、非常食としても優れている。但し、山登りというものの性質上、用途とは不釣合いなほど高級素材で出来ている。鍋や食器などはチタン製が一般的だ。なぜそうなのかといえば、重量の問題だ。軽量であればあるほど身体への負担は軽くなる。万が一のときの最大の敵は体力の消耗だ。これを回避するには、多少値段が張っても、軽くて性能の良いものを持つことが不可欠なのである。店の人の話では、地震のあった日とその翌日でかなりの在庫が出てしまったそうだが、それでも機種によってはまだ在庫が残っていた。
職場に着いてみれば、普段とそれほど変わらない風景だった。仕事を終えて帰宅するときは、普段と同じように山手線を利用した。ダイヤは乱れていたようだが、震災があってもなくても、ダイヤの乱れは日常茶飯事なので、この時間だけを取り出してみれば通常とは変わらないということになる。一見して何事もないかのように見える、というのは要注意だ。その背後で起こっている変化のほうが重大であることは確かにある。見えないことにこそ、己の持てる能力を総動員して、注意を払う必要がある。