熊本熊的日常

日常生活についての雑記

大震災の5日後

2011年03月16日 | Weblog
天気晴朗なれど風強し。西武新宿線が利用可能だったので、東村山へ木工に出かける。先週組み上げた小型書架の目違いを鉋とヤスリで払い、全体に蜜蝋を塗る。来週、キャスターを取り付けて完成となる。今回は比較的短期間で出来上がってしまった。まだ次の作品を考えていないので、次回までの宿題だ。

西武新宿線は全列車が各駅停車での運行で、普段よりも少し余計に時間がかかるのだが、帰りは強風のために西武新宿駅付近で架線に障害物が絡まったとかで、沼袋で30分ほど足止めを食らってしまった。地震といい風といい、人の生活はどれほど頑張っても最後のところは自然にはかなわないということなのだろうか。

通常なら水曜日の昼は東村山のますも庵でもつ煮うどんセットか巣鴨のcha ba naでビルマそうめんをいただくことが多いのだが、今日は昨日作ったカレーが残っていたので、まっすぐに住処へ戻り、カレーそばを作って食べる。カレーは作り置きができるので、非常時の食事としてはたいへん重宝する。

出勤は通常通り。但し、当分は職場近くの商店が営業時間を短縮しているので、出勤途中に夕食となる食品を買い求める。今日は神戸屋レストランで今晩用に春キャベツコロッケサンドとアーモンドペストリー、明日明後日の朝食用にバゲットを買う。

仕事のほうは、もともと3月は閑散期なのだが、地震関連の仕事が多少発生しているものの、総じて閑散。通常通り山手線で帰宅。深夜のダイヤはもともと本数が少ない所為もあり通常通り。

大震災の4日後

2011年03月15日 | Weblog
陶芸は休講。今日は歯科の予約があったのだが、時間を間違えて記憶していた。正しい予約時間の直前になって間違いに気付き、慌しくタクシーで大手町まで行くことになってしまった。運転手との会話のなかで知ったのだが、ガソリンも品切れが続出しているという。会話のなかで、私はテレビを持っていないということを言ったら、まぁいらないでしょう、と言う。どの局も同じような放送ばかりで、あれで「報道」と言えるだろうか、というのである。ある局は福島県、別の局は宮城県、というように局によって報道の領域を分けてより深い内容のものにするとか、どこに行けば何があるというような、直接的に有用な情報に重点を置くというような工夫があってもよいのではないか、とのことだった。私は放送を観ていないので何とも言えないが、話を聞く限りにおいては至極尤もなことだ。

歯科の治療は少し大掛かりであったようで、今日は普段よりも長い時間がかかった。職場近くの歯科なので、職場に向かう途中で弁当を買ってから出勤する。節電目的と計画停電に伴う従業員や顧客の安全確保という目的で、職場付近の商店はどこも午後6時閉店である。これまでは午後7時から8時の間に仕事を抜けて食べるものを買いに出かけていたのだが、当面は出勤前の調達が必須になりそうだ。

余震は続いていて、今日は午後10時半頃に大きな揺れがあった。静岡県東部で震度6弱だったそうだが、職場のビルもかなり揺れ、パーテションのガラスがギシギシ鳴っていた。職場は高層ビルの中層部に位置しているのだが、地震の揺れもさることながら、地震が終わった直後の揺れが大きい。「地震酔い」というのがあるらしいが、なるほどこれでは酔う人が出ても不思議ではない。

自分の終業は通常通り深夜。勤務先のビルを取り巻くようにタクシーの列ができ、鉄道も通常通り動いている。被災現場はたいへんなことになっているようだが、少なくとも東京駅周辺の深夜の風景は旧に復したような印象だ。

ところで、今回のような大きな地震があった場合、建設中のビルに影響は無いものなのだろうか。東京駅周辺では駅舎そのものを含め、いくつかの大規模な建設工事が進行中である。どこも見た目には粛々と工事が進行しているようだが、感情としては、建設中に大地震を経た建物には関わり合いになりたくないものだ。

大震災の3日後 最初の月曜日

2011年03月14日 | Weblog
震災から3日目を迎えた。東京電力の計画停電のために鉄道の運行に支障が生じ、朝の通勤は国鉄時代の春闘を彷彿させる大混乱となった。さすがに私が出勤する時間は利用客の絶対数が朝の通勤時間帯とは比較にならないくらい少ないので、運休区間が多数発生していても然したる不自由はなかった。それでも、徒歩で通勤する場合の感覚を掴んでおいたほうが後々のためにもなると考え、出勤は徒歩で1時間45分ほどかけた。途中、3箇所に寄り道をしたのでこの時間なので、まっすぐに歩けば1時間15分ほどだろう。ロンドンで生活していた頃は、交通機関の障害が頻繁にあり、徒歩1時間ほどかけて通勤することが珍しくなかったので、それと比較してもたいした距離ではないことがわかる。

寄り道したのは後楽園のタウン・ドイト、東京ドームシティーのシェ・リュイというベーカリー・カフェ、神保町のさかいやスポーツだ。停電が現実のものとなり、少し不安を感じたので、とりあえず常温保存のできる食糧を少し備蓄しておこうと考えた。漠然とカロリー・メイトのようなものをイメージしていたのだが、ドイトではスニッカーズを棚にあるだけ19個全部買った。さかいやではフリーズドライのオジヤを3種類各5個購入。シェ・リュイでは今晩の食事となるパンを購入した。

土曜日の段階で、近所のスーパーで缶詰を少し買っておいた。ミネラルウォーターは最低10リットルを目処に日頃から備蓄してあるので、今回は買い足す予定は無い。米も5kgを最低量として常備してあるので、これも今回は現状維持である。今回の補充では常温保存可能ということを基準に品物を選択した。計画停電で冷蔵庫、とりわけ冷凍庫部分が役に立たなくなる可能性があるからだ。普段利用している生協の宅配でもシーフードミックスなどの冷凍食材は大変重宝しているのだが、当分の間は冷凍品の発注は控えることにした。

震災後の買い物で興味深いのは、少なくとも身近にはパニック的な現象は見られないものの、商店の棚から菓子パン類が払底したことだ。カップ麺や米などがなくなるのは理解できる。ホームセンターではカセットコンロやそのボンベが売り切れるのも当然だ。乾電池や懐中電灯が売れるのも納得できる。しかし、およそ長期保存など不可能なパンが売れるというのはどういうことなのだろうか。子供の頃、石油危機でトイレットペーパーと砂糖が消えたことが今でも不思議なのだが、人は動転すると突飛な行動に出るものなのだろう。

白山通りを巣鴨から大手町まで歩いてみて、やはり沿道のベーカリーの商品が悉く払底していた。棚に残っているのはラスクなどの菓子類くらいというところもあれば、早々と店じまいしたところもある。これも不思議なことなのだが、水道橋駅の近く、東京ドームシティのシェ・リュイというベーカリー・カフェは、そうした他のベーカリーの状況が嘘のように、何事も無いかのような風情だった。おそらく、近所に民家がないので、日常の買い物でこの店を利用する人が少ないのだろう。ほんの少し、普段の生活圏から外に目を向けてみることで、当座の問題が解決してしまうということは日常生活においてはよくあることだ。

神保町では白山通りから少し外れて、さかいやスポーツに立ち寄った。最近は出かけないが、何年か前までは時々トレッキングを楽しむことがあった。その当時の仲間が紹介してくれたのが、さかいやスポーツで、私はトレッキングの装備類は全てこの店で揃えた。今でも機会があれば出かけてみたいのだが、当時の仲間と疎遠になってしまったこともあり、万が一のことを考えるとひとりで出かけるわけにもいかず、この店とも疎遠になっていた。

山に登るときの楽しみのひとつは、山頂での食事である。コンロや調理器具を持参して、ちょっとしたバーベキューパーティーのようなことをするのである。我々はそれほど芸が無かったが、かなり本格的な調理をしているグループもよく見かけたものだ。山登りに持参する調理器具や簡易食糧は、万が一のときの命綱にもなるものなので、非常食としても優れている。但し、山登りというものの性質上、用途とは不釣合いなほど高級素材で出来ている。鍋や食器などはチタン製が一般的だ。なぜそうなのかといえば、重量の問題だ。軽量であればあるほど身体への負担は軽くなる。万が一のときの最大の敵は体力の消耗だ。これを回避するには、多少値段が張っても、軽くて性能の良いものを持つことが不可欠なのである。店の人の話では、地震のあった日とその翌日でかなりの在庫が出てしまったそうだが、それでも機種によってはまだ在庫が残っていた。

職場に着いてみれば、普段とそれほど変わらない風景だった。仕事を終えて帰宅するときは、普段と同じように山手線を利用した。ダイヤは乱れていたようだが、震災があってもなくても、ダイヤの乱れは日常茶飯事なので、この時間だけを取り出してみれば通常とは変わらないということになる。一見して何事もないかのように見える、というのは要注意だ。その背後で起こっている変化のほうが重大であることは確かにある。見えないことにこそ、己の持てる能力を総動員して、注意を払う必要がある。

大震災の2日後

2011年03月13日 | Weblog
震災被害は時間の経過とともに明らかになっている。13日を終えたところで死者1,597、不明1,481と警察庁から発表されている(3月14日午前0時付公表資料)。死者の地域別内訳では宮城県643、岩手県502、福島県401で、これら3県だけで97%を占める。人が近づくことのできない東北地方太平洋岸に多数の遺体が漂着しているという情報があり、最終的には万単位になるとの報道もある。地震の規模に関してもデータの分析が進みマグニチュード9.0へ修正されたが、この数値も3月13日22時現在においては暫定値とのことだ。改めて大きな地震だったと思う。

今回の震災では地方自治体の施設や職員の損害も大きく、復興作業の制約も大きいようだが、そうしたなかにあっても各種公的機関の対応が粛々と行われているようだ。海外からも支援隊が続々と来日しており、既に以下の国々から到着が報じられている。
韓国、シンガポール、トルコ、ドイツ、スイス、米国、中国、メキシコ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、フランス
以上、首相官邸発表資料による(13日20時現在)。心底ありがたいことだ。

都内の公共交通機関はほぼ平常通りの状態に戻ったが、明日からは計画停電の影響で、鉄道の運行が制限されることが既に発表されている。東京電力管内の原子力発電所3箇所のうち2箇所が停止することの影響は計り知れない。おそらく福島第一原子力発電所の1号機と3号機は廃炉だろう。現有の残存能力でどれほどの電力を賄うことができるものなのか知らないが、ライフラインの回復なしに復興はありえない。今のところは平静を取り戻した首都圏の生活も、東北地方の農業の回復が無ければ、本来収穫期であるはずの夏から秋にかけての農産物の流通に支障をきたすことになるだろうし、漁業にいたってはすぐにでも影響が出るのだろう。こうした現実が、TPPの議論の行方にどのような影響を与えるのかも注目されるところだ。

震災に襲われたのが金曜の午後だったので、その有形無形の影響が本格的に現れるのは14日月曜からだろう。この週末には実感できなかったことが、月曜から具体的な障害として経験せざるを得なくなることがいくらも出てくるに違いない。一見したところ普段と変わらぬ週末だったが、なんとはなしに緊張感を覚える日曜の夜となった。

思い出すのは2001年の同時テロのことだ。あの日の深夜、テレビに映るWTCの崩壊する姿を他人事のように眺めていた。当時、自分の勤務先の親会社が保険会社であることなど意識もしなかった。あの事件で莫大な保険金の支払が発生することも当然に意識の外だった。それから2ヵ月後、勤務先はリストラを強いられることになり、私は職を失った。世の中が様々につながっているということを実感する忘れられない経験だった。今回の震災でも、これから何が起こるのか、それが自分の生活にどのように影響するのか、数ヶ月あるいは数年という時間軸である程度の覚悟をしながら観察しなければなるまい。

とりあえずは、台所のタイルの目地に剥落したところがあるので、そこを修理して、コーキングもやりなおしておこうと思う。但し、すぐにということではなく、余震が落ち着くであろう来月の今時分を考えている。

大地震の翌日

2011年03月12日 | Weblog
地震から一夜明けて、被害の全貌が明らかになるとともに、原子力発電所の爆発のような事後的に拡大する損害も発生している。まずは、今回の災害で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々にお見舞い申し上げる。

昨日の地震で学校に泊まることになった私の子供は、午前9時過ぎに学校を出て、11時半頃に家に着いたという。普段より少し余計に時間がかっているが、それは各駅停車を利用したからだそうで、車内の様子などは普段とそれほど変わらなかったという。それでも、今日はまだ首都圏の鉄道網は通常通りというわけにはいかなかった。地下鉄や私鉄の多くの路線が復旧したものの、今日はとうとう完全復旧には至らなかった。

公共交通機関が満足に機能しないということは、通勤の足に支障が発生するということでもある。今日は土曜なので勤務の無い人も少なくないだろうが、土日が掻き入れ時という仕事もある。従業員の確保という課題の他にも、津波警報が広域に出されたままで、余震の危険もあることから顧客の安全確保ということもあり、都内の主な百貨店は休業となった。

埼京線の運行再開を確認した上で、実家に様子を見に出かける。実家のあるマンションは1階地面の床が波打ち、タイルが多数破損している。階段の壁にも所々に皹が走っていた。実家そのものは多少の軽微な損害があっただけで大きな問題は無いようだ。実家で観たテレビでは地震関連のニュースが際限なく流れていた。津波の被害が凄まじく、陸前高田のようにある地域が丸ごと消滅してしまったところも何箇所かあるようだ。一体、これからどのようにして復興を図るのか、素朴に疑問を抱くと同時に、被災された方々の心情を思うと言葉が無い。

今回の災害への対応で政府が失態を演じれば、民主党も自滅することになるだろう。「民主党」という名称そのものが忌み嫌われることになるのは必定だ。きっと次の選挙では現在の民主党の議員の多くが何食わぬ顔で自民党や他の政党に昔からいましたというような顔で戦うことになるのだろう。非常に困難な事態であるからこそ、ここでの対応で政治の真価が問われることになる。未曾有の非常事態なのである。ともすれば、それでも習慣で前例だの許認可だのといった馬鹿なことを言い出す奴が必ずいるものだ。現場の状況への最適かつ現実的対応を可能にするのは、そうした馬鹿を封じ込める政治力しかないはずだ。今回の主な被災地域を選挙区とする政治家の多くが民主党議員だ。この人たちには特に、次の選挙でも「民主党」を名乗って堂々と立候補できるよう大いに活躍していただきたいものである。

衆議院小選挙区制選挙区
岩手1区 階猛 (民主党)
岩手2区 畑浩治 (民主党)
岩手3区 黄川田徹 (民主党)
岩手4区 小沢一郎 (民主党)
宮城1区 郡和子 (民主党)
宮城2区 斎藤恭紀 (民主党)
宮城3区 橋本清仁 (民主党)
宮城4区 石山敬貴 (民主党)
宮城5区 安住淳 (民主党)
宮城6区 小野寺五典 (自民党)
福島1区 石原洋三郎 (民主党)
福島2区 太田和美 (民主党)
福島3区 玄葉光一郎 (民主党)
福島4区 渡部恒三 (民主党)
福島5区 吉田泉 (民主党)

参議院
岩手
 2013年改選 平野達男(民主党)
 2016年改選 主濱了(民主党)
宮城
 2013年改選 岡崎トミ子(民主党)
 2013年改選 愛知治郎(自由民主党)
 2016年改選 熊谷大(自由民主党)
 2016年改選 桜井充(民主党)
福島
 2013年改選 金子恵美(民主党)
 2013年改選 森雅子(自由民主党)
 2016年改選 増子輝彦(民主党)
 2016年改選 岩城光英(自由民主党)

地震に関して今日最大の話題は東京電力福島第一原子力発電所の爆発ではないだろうか。石油危機をきっかけに化石燃料に代わるエネルギー供給源として、日本は原子力を選択した。確かに発電効率という点において、現状の発電方法のなかでは原子力に勝るものはないだろう。現に日本の電力会社の収益は原子力発電所の稼働状況に左右される。一方で、他のどの発電方法よりも厳しい安全対策が要求されるのも原子力発電だ。旧ソ連のチェルノブイリ発電所や米国のスリーマイル島発電所の事故に見られるように、制御不能な状態に陥れば深刻な事態を招くのが原子力発電所である。

かつてイギリスに留学していた頃、同じ寮で暮らしていた日本人でGeotechniqueを専攻していた人がいた。彼はその大学でPh.Dを取得して電力中央研究所に就職したのだが、彼の言葉を借りれば電力中央研究所の「研究」は結局のところは原発の研究とのことだった。彼の専攻はGeotechniqueなので原発の立地の研究が自分の仕事だと言っていたのを今でも憶えている。

物事に完璧ということはありえない。それなのに例えば原子力発電所のような万が一の場合の危険が大きいものについては、その「万が一」を完璧に防止することが要求される。不可能を可能にすることが要求されているとも言える。天変地異がなくとも時として不具合が生じるのが現実というものだが、やはり地震によって原子力発電所の事故は起こるのである。事故が起こらないようにすることも勿論大事なのだが、起こってしまったときの対応も電力会社の管轄を超えて、国家としてどうのように考えるかということが必要であることは明白だ。問題は、経験したことのないことに対してどのような施策を持ちうるのかということだ。経験の無いことに対策など立てようが無いのである。これもまた不可能を可能にしなければならないという類のことだ。原子力利用の根本的な課題は、不可能を可能にすることにあるのだと思う。

今日も東北地方の被災地は勿論のこと、東京でも余震が続いている。極めて大規模な地震であったので、余震も長期に亘るとのことらしいが、日常生活のなかのちょっとした工夫や注意で防ぐことのできる障害は回避したいものだ。ひとりひとりがほんの少し余計に注意をすることで社会全体が大きく過ごし易くなるものだということを肝に銘じたい。

最後に今日見かけたニュースのなかで関心を引いたのが、今回の地震が地球の自転速度に影響を与えた可能性を示唆したNASAの研究者の発言だ。日本沈没どころか世界が本当にどうにかなりつつあるのかもしれないと思わせる内容であるように思われた。
地震で地殻大変動、地球の自転速まる…NASA(読売新聞) - goo ニュース

大地震の日

2011年03月11日 | Weblog
午前10時頃起床して、軽く食事をした後、細々とした雑事を片付けていたら昼を回ってしまった。それから近所のプールに行って泳いでいたら、途中から水泳教室が始まってしまい、個人利用の場所が制限されて泳ぎにくくなったので、当初の予定を切り上げて、2,000m泳いだところで上がってしまった。午後1時頃から泳ぎ始めて1時間ほど経過していたので、距離には不満があったが、切りも良かったということにして引き揚げた。住処に戻って食事の仕度をして、コンロの火を止めようとしていたときに激しい揺れに襲われた。

住処にはそれほど物が置いてないのだが、腰の高さほどの整理棚が激しく揺れて、棚の上に載せてあったもののいくつかが床に落ちた。一方、高さ180cmの書棚は耐震対策を施してあるので、書棚の上に本やDVDなどが積み上げてあるにもかかわらず、そうしたものが落下することはなかった。揺れが収まってから台所の戸棚のなかを確認したが、中のものが崩れているというようなことはなかった。つまり、殆ど被害は無かった。台所の吊戸棚の中は空き箱類が積み上げてあったので、戸を開いた途端にがらがらとそれらが落ちてくるかと覚悟して、そっと開けてみたら、何事も無かったかのようだった。日頃の整理整頓がこういう非常時に活きるのだなと、自分で自分に感心してしまった。

余震が続いていたが、こういう時こそ落ちつかないといけないので、出来上がったばかりの食事を頂く。あつあつのご飯、ホタテと野菜を炒めてキムチで和えたもの、納豆、海苔が今日の昼食。予定通りプールで3,000m泳いでいたら、調理の途中で地震に襲われていた。いや、まだ帰っていなかったかもしれない。今日は絶妙のタイミングで事が運んだものだ。食事を終えようとしていた時に強い余震。本格的に揺れ始める直前、小刻みに唸りを上げているかのような縦揺れがあり、それから大きく揺れた。調理終了間際の本震も、食事終了間際の余震も、これまでに経験したことがない揺れ方だ。今、思い返せば、大きな揺れはこの余震で一段落ついた。

電気と水道は問題ないが、ガスは安全装置が起動して止まってしまった。しまい込んであった東京ガスの小冊子を取り出して、回復方法の書かれているページを読む。その通りにしたら、ガスは回復した。プールから戻って身体が塩素臭いので、シャワーを浴びる。ついでに洗濯もする。洗濯機が停止して、洗濯物を干し終わった頃、出勤の時刻となった。

外は平静で、一見したところ普段と変わらぬ様子だ。しかし、駅に近づくにつれて妙に人が多いことに気付く。バス停に長蛇の列ができている。白山通りも今の時間にしては交通量が多い。地下鉄の入口にはロープが張られ、入場できないようになっている。JR巣鴨駅も同様だ。構内からは放送が聞こえてきて、運転再開の見通しが立っていないと言っている。仕方がないので、そのまま住処へ引き返した。住処のある建物の外壁にはところどころ皹が走っていて、その直下に壁の白い粉が落ちている。ほぼ大家さん専用に近いエレベーターは停止しているようだ。

パソコンを開き、職場のリモートサイトにつなぐ。動作が遅くて不安定なので、滅多に使わないのだが、こういう場合は使わないわけにはいかない。職場のほうも帰宅命令が下りているので、殆ど社員は残っていないらしい。帰宅を諦めて社内に泊り込みを決め込んだ数名がいるようだ。そうした状況なので、仕事は殆ど無かったが、ところどころに馬鹿みたいに官僚的な輩がいる組織なので、不愉快な事態を避けるべく一応定時までパソコンをつないでおいて、終業時にいつもの通りに次のシフト向けに申し送りのメールを送ってログオフする。

就業時間中の午後8時頃、明日会う予定のひとりから電話が入る。明日はとりあえずキャンセルにしようという。別に反対する理由もないので承知して、予約を入れておいた居酒屋にキャンセルの電話を入れようとするがつながらない。携帯電話を諦めてスカイプを使ってみるが、やはり無理だ。仕方ないので、外の公衆電話を使うことにする。昔はどこにでも公衆電話があったものだが、今はすっかり見かけなくなってしまった。

住処を出て、とりあえず駅へ向かってみる。時刻は午後9時半頃のことだが、住処前の地蔵通りに車の渋滞ができていて驚く。ここは、夜はたまにタクシーが通る程度で自動車の往来は殆ど無い道なのである。ここで生活するようになって2年1ヶ月が経過したところだが、これほどの車がこの道路上に存在している風景は見たことがない。ということは、白山通りが激しく渋滞しているということだ。また、都心から徒歩で帰宅する人たちが難民のように流れてくる。そうした流れに逆らいながら駅へ向かって歩く。まず高岩寺の境内に電話ボックスがひとつあったが使用中だ。次に真性寺前の横断陸橋の袂にあったが、ここは行列ができている。商店街のマックには帰宅途中で腹ごしらえをしようという人が列を成している。ネット上では都営三田線は運転を再開したと書いてあったが、地下鉄入口はシャッターが下りていた。駅近くは人ごみがすごいことになっていたので、住処へ引き返す。ちょうど高岩寺の電話ボックスが空いたところだったので、そこで用を済ます。公衆電話は問題なくつながった。

住処に戻ると職場のリモートサイトが固まっていた。パソコンを立ち上げ直して、サイトを回復する。席を外していた40分ほどの間に作業が1件、メールの往来が数通あったが、作業のほうはロンドンの同僚が片付けておいてくれたようだ。メールもどうでもよいものばかりだった。その後、別の作業があり、それを片付けたところで時刻は午後11時半。引継ぎの申し送りメールを準備して、いつでも送信できる状態で、日付が変わるのを待つ。0時になったところで、一呼吸おいて、そのメールを送信して今日の業務を終了。

気付いたら携帯に2通のメールが来ていた。2人から各1通なのだが、偶然にも同じ内容だった。私の帰宅の足を心配してくれたものだった。同じ返信を出す。「今日は出勤してません。」

深夜まで、ときどき余震がある。ネットで地震関連のニュースを見る。マグニチュード8.8で国内観測史上最大だという。東北地方は水曜日にも大きな地震に見舞われたばかりだ。自分の普段の生活を通じて、今回被災された人たちにどのような形で役に立つことができるだろうか。しばらくはそうしたことを考えながら生活していくことになりそうだ。

あと何回

2011年03月10日 | Weblog
先日、スコーンを焼くのに調達した材料が中途半端に残っていたので、卵と牛乳を買い足して、出勤前にまたスコーンを焼いた。「イギリスはおいしい」に書かれているレシピでは主たる材料である薄力粉280グラムに対してバター125グラムである。手元の薄力粉は500グラム入りのものを、バターは200グラムのものを購入したので、それぞれ220グラムと75グラムの在庫である。レシピにある比率とは異なるのだが、これらを全て使ってしまうことにした。これにベーキングパウダー、砂糖、塩、卵、ヨーグルトと牛乳を合わせたものを加えてざっくりと、しかしダマが残らないように混ぜ捏ねて、適当な大きさにまとめて220度のオーブンで10分ほど焼く。本に書かれていたものよりも相対的にバターが少なめだが、ベーキングパウダーが多目だったことで、スコーンにしては軽めの焼き上がりとなった。味は特筆するようなことはなく、材料の分量が多少ちがっても然したる問題がないことが確認できた。これで先日購入した薄力粉とバターは使い切ることができた。他の材料は砂糖や塩といった調味料は使い道に困らないから、残っていても一向に差し支えないのだが、ベーキングパウダーはどうしたものかと思う。小さな缶のものを買ったのだが、一度に大量に消費するものではないので、まだかなりの量が残っている。菓子類以外にベーキングパウダーの使い道を知らないのだが、仮に全量をスコーンを焼くのに使うとして、あと何回焼いたらよいのだろうか。

寒中見舞い

2011年03月09日 | Weblog
寒中見舞いの葉書が届いた。「寒中」とは小寒から立春あたりのことを指すらしいが、寒い日が続いていると、今時分に届いても、「ん?」とは思うが、「ま、さぶいしねぇ」とも思う。注目すべきは葉書の送り主だ。およそ葉書や手紙など書きそうにないと思っていた人から届くと、天変地異の前兆なのではないかと妙に不安を覚える。

私自身は悪筆のくせに、手紙の類を書くことが好きだ。以前にも年賀状の話題で書いた記憶があるのだが、手書きのものには文字とか行間といったものを超えた何事かを包含しているかのような印象を受けるのである。ある程度の年齢を超えて、そうした感覚が強くなり、近頃では年賀状や暑中見舞いは全て手書きにしている。日常生活のなかでは、葉書といえども手で書くことのできる量には限界があるので、その限界の範囲内でしかそうした挨拶状は書かない。印刷の御座なりのものには、形を整えさえすればいいというような邪険な気持ちが見え隠れしているように感じてしまうので、そういうものは自分からは出さないようにしている。書くか書かないか、書くならきちんと書く、というようなことで、自分自身の気持ちや生活を整理しているつもりだ。

今年は普段の生活のなかに葉書を書くという行為をなるべく多く盛り込もうと考えて、街でみつけた葉書や葉書大のカードなどをたまに買ってみたり、気の利いたデザインの切手を買ったりしているのだが、使う機会に恵まれていない。3月も半ばを迎えようとしているのに、書いて投函した葉書は5通程度のものだ。

メールは、特に携帯電話のメールには、思いつきの垂れ流しのようで、だらしの無い印象を受ける。事務連絡には無駄が無い上に記録が残るので便利だが、私信にはなるべくなら忌避したい通信手段だ。紙に書くという行為は、書く前に内容を整理しないことには書くことができない。何事かを思いつき、その考えを整理して要点をまとめ、文字に表す、という一連の作業のなかで思考も深くなるように感じられる。だから、手紙の類には、書かれた文字や行間だけでなく、そこに至る過程や文字という最終形にする際の緊張感のようなものも含めた書き手その人の何かが残るのではないだろうか。

あとメールと郵便の大きな違いは、遣り取りの間合いだ。不思議なもので、メールは出して短時間のうちに返信がないと不安を覚えたりするものだが、郵便はそういうことがない。それでも私信を送れば、その反応が気になるものだ。その反応が返ってくる間合いが、郵便は日常生活のリズムのようなものを乱すことが少ない。

そんなわけで、なるべく手紙や葉書を書く機会を増やしたいと改めて思うのである。とりわけ、自分にとって大切だと感じているような相手には、そういう気持ちをきちんと伝えることができるように心がけたいものである。時節外れの寒中見舞いに何を返すか、というようなことを考えるのも楽しいことだ。

ところで、今日は木工の作業中に眩暈のようなものを感じた。ちょうど接着剤を扱っていたので、その所為かもしれないと、そのときは思った。後になって、ちょうどその頃に東北地方の太平洋側で大きな地震があり、東京都東村山市でさえも震度2の揺れだったということを知った。このところ地震の報道が多いように感じているのだが、被害に遭われた方には、この場を借りてお見舞い申し上げる。

カフェで一服

2011年03月08日 | Weblog
陶芸の帰り、十条に回ってFINDで一服する。ちょうど、FINDの前で店を開いている移動魚屋さんが親子魚教室の企画の相談でやって来た。魚の親子について何事かを語ろうというのではない。魚の調理について人間の親子に学んでもらおうというものだ。当初は今月19日の予定だったが、諸般の都合で来月に延期されたのだそうだ。参加費は材料費込みで1,000円前後の予定で、参加資格は親子とのこと。近日中にFINDのウエッブサイトに案内が掲載される。また、まだ先のことだが、8月にはコーヒー教室も開催されるという。尤も、8月なんてあっという間に来てしまうのだろう。

陶芸の個展をきっかけに、おかげさまでこの店の人たちには顔を覚えていただき、この店に出入りする人々のなかにも、今日の魚屋さんのように新たな知り合いが生まれている。「茶飲み友達」という言葉があるが、こうしてカフェで知り合う友人知人というのが本来の意味なのではないかと思うほど、コーヒーやカフェを軸にした人間関係が少しづつ広がっている。

以前、何かで読んだか聞いたことなのだが、人一人と知り合うことは図書館を丸ごと一つ手に入れるのと同じくらいの情報量を得ることなのだそうだ。少し大袈裟な比喩だが、感覚としてはそれくらいのものと同じかもしれない。言語化できる情報量ということなら、街のちょっとした図書館のほうが遥かに膨大なものを有しているだろうが、言語化不可能な感情面での受容といったものを考えると比喩ではなしに図書館以上のものがあるかもしれない。

普段の暮らしのなかで、素朴に人と知り合うということは決して容易なことではない。社会に出ると、どうしても生計を立てることに関連した人間関係にしか関心が向かなくなりがちであるし、生計を立てることに精一杯で気持ちの余裕が小さくなることも余計なことに手を出そうとする意欲を削ぐことになる。生計を立てるということが自分の生活そのものと認識できるようなものなら、その仕事に全身全霊を投じることは生きる喜びとなるだろうが、そういうものはそうあるものではない。なぜなら、我々の生活は市場原理の下で細分化専門化され、個人はそうした断片に全人的な関わりを持つことを強いられるからだ。個人の生活が細分化されてしまえば、異なる分野で生きる人との接点を見出すことが難しくなるし、同じ分野にある人との間にも全人的な関係は構築しにくくなるものだ。つまり、普通に生活をしていれば、人は自然に孤独に陥るようにできているのが現代という社会なのではないだろうか。

社会を構成することによって生活するようにできている人間が、社会を高度なものにすることによって却って孤立化していく。だからこそ、SNSが繁盛したり、流行を追うことで社会との同一化を図ろうとする動きが見られたりするのだろう。自我あるいは自己というものを世間に埋没させて安心しようとすることで、やはり却って孤独感に苛まれるようになる。そもそも自己というものは関係性の結節点だと思うのだが、つまり、それ自体に実体はないと思うのだが、無いものに存在感を求めることで様々な悲喜劇が生じてしまうのだろう。気持ちよく生きるということは、結局のところ、おいしいコーヒーや茶を飲みながら、関係性という虚構を味わうことなのではないだろうか。

さくら

2011年03月07日 | Weblog
昨日、上野で桜を見かけた。西郷さんの山の麓、京成上野駅の入口の上のあたりに寒桜の木が何本かある。一見したところ五分咲きといったところだっただろうか。今朝は雪で、昼頃からは雨に変わったが、花の時期は何故か冷え込むことが多いように感じる。4月初旬のソメイヨシノが咲く頃も寒さが戻ってきたりするものだ。今日、帰りのタクシーのなかで、運転手と花のことを話していたら、北の丸公園には年に2度咲く種類の桜があるのだそうだ。去年だったか一昨年だったか、丸紅の角にも早咲きの桜があるのを教えてくれたのも、別のタクシーの運転手だった。

東京で暮らしていて春の訪れを感じるのは、今時分のことだ。2月初めに暦の上での春になり、3月に入る頃には梅がほころび、こうして早咲きの桜も花をつける。気温のほうは上下に振れながらも、着実に街が色づいていく様子が面白い。それが何気ない話題のなかに自然に上るのも面白い。日々それぞれに生活に追われていながらも、移ろいゆく季節をそれぞれに身近に感じ、それが人々の共通感覚のようになっているというのは、なんだかとても豊かな生活を送っているような心持ちになって、嬉しいことである。

独り立ち

2011年03月06日 | Weblog
昨日、実家に行ったとき、ぎゃらりぃ81から「北欧500選」の案内が届いていた。オーナーの吉村さんからもご案内のお電話を頂いていたので、今日はそれを拝見に伺った。北欧の作家の作品を集めたとのことだったので、だいたい想像はついたが、期待に違わぬものだった。

先日、ウエッジウッドの実演を観たときにも感じたのだが、おそらく欧州の陶磁器はかなり高速回転の轆轤で挽くのだろう。造形がシャープで凛とした印象が強い。さらに北欧陶磁器について言えば、ブルーに特徴があるように思う。日本語の「青」とはちょっと違うので敢えて「ブルー」としておく。勿論、所謂「染付」や「呉須」とは全然違う。トルコなど中東の陶器によく使われるブルーの影響があるような気がするのだが、北欧では陶磁器といえば藍に近いブルーの釉薬をかけるということが決まりごとになっているかのような印象だ。

自分が陶芸をしているので、よほどのことが無い限り市販の陶磁器を買うことはない。今回も自分が作るものの参考になるようなものはいくらもあったが、陶磁器は買わずにErik Hoglundのガラス器をひとつ購入させていただいた。小さなマルチトレイで、すぐに用途が思いつかないのだが、色が個性的であったので、手元に置いておきたいと思ったのである。最近、今までの自分なら選ばなかったであろう色形のものを敢えて選ぶように心がけている。それはこうした雑貨だけでなく衣料品についても意識していることで、ここ数ヶ月の間でもジーンズとかオレンジ色のシャツ、スウェードの靴といった、それまでならば選択の対象にすらならなかったようなものを積極的に選択している。そうすることで自分の生活の何かが変わるのではないかという期待もあるし、変えようという決意の表明でもある。そのマルチトレイはオレンジ色のガラスだ。たぶん、素直に選べばブルーかブラウンのものにしていたと思う。オレンジのガラスということ自体に個性を感じたのと、それが自分の生活のなかでどのようなふうに落ち着くものなのか見てみたいという好奇心から、この色を選んでみた。

ぎゃらりぃ81で吉村さんとお話させていただきながら小一時間ほど過ごした後、せっかくなので近くの東博に立ち寄る。平山郁夫展の最終日だったが、「総合文化展」と銘打った常設展のほうだけを眺めて、久しぶりに橙灯へ行った。

一月ほど前、橙灯の坂崎さんがフードプロセッサで指に酷い怪我をして営業を休んでいるという話を耳にした。ずっと気になっていたのだが、最近になって営業を再開したようなので、出かけてみたのである。
「怪我したんだって?」
と尋ねると、彼女は包帯を巻いた指を掲げた。店を3週間閉めることになったのだそうだ。

自営業というのは病気や怪我のときが大変だ。その点、会社勤めというのは…、と思いかけて、ふと気付いた。かつては、そこそこの会社に勤めていれば、病気や怪我で勤務できない状況に陥っても、すぐにどうこうということにはならなかったが、今はなんのかんのと理由を付けて解雇されてしまうことも珍しくはない。健康管理というのは、今や単に気分の問題ではなく、生活保障の基本なのである。当たり前の状態になったと言えないこともないだろうが、世知辛い時勢になったものだ。

それでも、不景気だのなんだのと言われながら、今の時代に日本で生まれ暮らすというのは恵まれたことだと思う。勿論、生まれることそのものが恵まれたことであるか否かということは、別の話としてのことだ。この国で、平均的な家庭に生まれれば学校を卒業するまでは、親の庇護の下で暮らし、就職をすれば就職先の企業や団体の庇護の下で生活をすることができる。齢を重ねて社会の一線から退いた後は、国の庇護の下で余生を送ることになる。その庇護の程度がどれほどのものかということはさておいて、社会という巨大組織のなかで常に守られて暮らすことができるのが、文明というものの一側面である。そして日本はまだ文明国の範疇に属していると思う。

しかし、その庇護の仕組みが徐々に破綻しているように感じられる。橙灯でも、席でエントリーシートを書いている学生が時々いるらしが、安穏と暮らしてきて、ろくに生活というものを知らないうちに就職という大きな選択を迫られる。然したる不自由も無く生きていれば、「やりたいこと」などそうあるものでもないだろう。それでも無理やり即席の「やりたいこと」をでっちあげないことには世の中の流儀に合わないのである。真面目に考えてしまえばこれほど難儀なこともないのだが、そういうゲームをしていると思えばそれほど難しいことでもあるまい。安穏と暮らすことしか知らないと、そうした生活の匙加減はわからない。

たまたま橙灯で隣のテーブルにいた人たちが、それぞれの仕事の悩みというか愚痴のようなことを話していたが、申し訳ないのだが、しょうもないことばかりだった。就職したらしたで、そういうしょうもないこととの付き合いも出てくるのである。当たり前のことだが、そういうしょうもないことに真面目に付き合う必要など全く無い。しかし、あからさまに「しょうもない」という態度を示せば人間関係は上手くいかない。これもまた匙加減の問題だ。

そうした諸々の馬鹿馬鹿しいことに付き合うことで、我々は社会というものに守られて暮らすことができるのである。それが近頃は社会のほうに余裕がなくなって馬鹿馬鹿しいことに付き合っても守られるということがなくなってきた。おかげで私のような者にとっては気楽なことになってきたが、いつまでもこのままというわけにはいかないことは誰にでもわかることだ。財政難だの少子高齢化だのと言いながら徴税を強化しながら福祉は削り差額をなんとかすることを虎視眈々と狙う輩が跋扈するなかで、既存の形骸化した「社会」には依存しない独自の「社会」を構築しなければ生活がままならない時代になりつつあると思っている。今の時代の困難は、景気低迷の長期化とか少子高齢化による経済の縮小という現象面もさることながら、そうした状況のなかで既成概念に囚われない独自の精神を持つことを要求されることにあるのではないだろうか。

市場経済という世界の大枠のなかでは、資本の集中が起こるのは自然なことだ。端的には企業の合併ということだが、経済単位となる組織が巨大化するのは企業の世界だけではない。先日発表された警察庁の資料では暴力団も山口組の一極集中が顕著になっているという。暴力団も経済単位のひとつなので、そこに巨大組織が生成するのは当然だ。市場経済という世の中の基本原理は集中を生むようにできている。「1984年」には間に合わなかったが、世界はそこに描かれているようなものへと向かうのだろう。こうして匿名でブログを書いているつもりでも、ちょっと調べれば熊本熊が何者なのか容易に判明するだろうし、現に大学入試という「公」の場でネットの匿名幻想を信じて国家権力に検挙された子供がいる。そうした巨大な潮流のなかにあるからこそ、流れに乗ろうとするのではなく、自分自身であろうとする姿勢が心地良く生きるためには必要なのだろう。巨大な潮流なのだから、敢えて乗ろうとしなくても、乗っていられるのが自然というものだ。流れに乗りながら自分自身であろうとするというのも、精神の匙加減ではないだろうか。その加減の尺度を持つことが独り立ちして生きるということなのではないだろうか。

堰を切る

2011年03月05日 | Weblog
昨夜、勤め帰りに乗ったタクシーでのこと。いつものように行き先を告げた後、運転手に話しかけた。
「なんだか冷えますね。先週末は妙に暖かかったのにねぇ。」
すると、
「そうですね。地球が狂っちゃってるんだと思いますよ。気候だけじゃなくて人間も。あの3歳の女の子を殺しちゃった奴、いったいどういう人間なんですかね。ありゃ人間じゃないね。酷い話ですよ。」
などと返されて、しかも非常に憤慨し始めてしまった。熊本のスーパーのトイレで3歳の女の子が20歳の男子大学生に殺害された事件のことを言っているのは、新聞やテレビに無縁の私でも知っている事件だ。
「自分より弱いと見ると、容赦なく攻撃するっていうのは、客商売の人に理不尽なクレームをつけたり、モンスターペアレントなんてのと同じことなんでしょうね。都合の悪いことを弱いところに押し付ける、ってことでしょ。運転手さんも酷い客に当たったりすることあるでしょ?」
と、下手に話を広げたのがよくなかった。
「そりゃね…いますよ。トンデモナイのが。」
と言って、いろいろそうした不愉快な経験を話し始めたら、堰を切ったように止まらなくなってしまい、果ては、道路工事が下手になって運転がしにくくなった、とか、タクシー運転手でも酷いのがいる、とか、日頃の鬱憤が溢れ出てきてしまったようだった。

話しているうちに、その時々の不愉快な感情の記憶が甦ったらしく、後楽園を過ぎる頃には、口調に憤怒の色が付き始め、下手な相槌を打ちずらくなり、こちらもそれなりの緊張感を持って対応せざるを得なくなった。そんなわけで、神保町交差点から巣鴨の地蔵通り入口あたりまで、ずっと運転手の不平不満を受け止め続けることになった。

深夜の地蔵通りには怪体な輩が徘徊していることがあり、警察官の巡回も頻繁だ。車が地蔵通りに入ると、その手の輩が警察官の職質に遭っているところで、そうした風景が目に入って関心の対象が不愉快な記憶から目の前の風景に移ったのか、目的地が近づいて少し冷静を取り戻したのか、高岩寺の前を過ぎるあたりからは感情も職務モードに切り替わったようだった。私も少しほっとして、料金の支払を済ませることができた。

料金を払うときに改めて運転手さんの顔を眺めたのだが、そういう話を聞いた直後であったからそう思うのかもしれないが、いろいろな物語を刻み付けたような顔に見えた。人の話というのは本人が意識している以上に多くを語っているものだ。わずかな時間ではあったが、良い勉強をさせてもらったと思う。でも、正直なところ、ほっとして車を降りた。

犬も歩けば…

2011年03月04日 | Weblog
偶然、ウエッジウッドの職人技を見学する機会に恵まれた。上手な人の実技を観ることに勝る勉強はない。会場に用意されていた轆轤は、私が陶芸教室で使っているものと同じだったが、実演者は「実際に仕事で使っているのはもっと大きく、回転速度も速いものだ」と言っていた。確かに、店頭に並んでいるようなシャープな形状を作るにはかなり高速で回転させないとできない。私が使っている轆轤は最大分速250回転で、無段変速のできるものだが、普段はその能力の半分以下の回転数で使っている。

さて、実技のほうはジャスパー・ウエアの制作だ。これはウエッジウッドの代名詞のようなもので、土は同社独自のものである。陶土と磁土の中間のようなもので、stone wareの一種だ。会場の通訳は「石器」と訳していたが、これは正確ではない。確かに辞書には「石器」という訳語も記載されているが、日本語の「石器」はstone toolを指すのが一般的だろう。無理に「半陶器」などという訳語を使うのを見かけたこともあるが、「ストーン・ウエア」としておいたほうが誤解が少ないように思う。

土の密度がどれほどか、見た目にはわからなかったが、おそらく1kg弱くらいの土塊をグローブのような手が挽いていく。何度か土殺しをして、解説をしながら、まずは筒状に挽く、そこから口をすぼめてあっという間に瓶が出来上がる。最後に下のほうをナイフで整形して轆轤を止め、ワイヤで切り離す。その巨大な身体からは想像できないような繊細で流れるような動作で、小さな均整のとれた美しい形の瓶が作り出されるのは、まさに職人技だ。このまま焼成しても立派な商品になるほどのものなのだが、「WEDGWOOD」というブランドを冠するとなると細かな規格があるので、この状態からさらに加工を続けて大きさや形状を統一していくことになる。それにしても大きな手だ。「グローブ」というのは大袈裟な比喩だが、肉厚は私の手の倍はありそうだ。大きさは私の1.5倍くらいだろうか。嫌でもその手に興味を引かれるおかげで、実演の手先の動きに集中して見学することができた。

私は陶芸を始めて日が浅い所為もあるのだが、轆轤での土の扱いがぎこちない。土を扱うというより、土に扱われているかのようだ。腕力の違いは勿論あるだろうが、今日の実演を観ていて、もっと土に対して強気で臨んだほうがよいのかとも思った。以前、濱田庄司が轆轤を挽いているところのビデオを観たことがあるのだが、そのときは土と手との一体感のようなものが感じられた。今日は土塊が小さな所為か、土が手に支配されているかのような印象だった。どちらにしても、土に向かう姿勢を改めて考えてみないといけない。それは文字通り身体の姿勢でもあるのだが、気持ちのほうも重要だ。

この実演が行われたのは新宿高島屋10階のウエッジウッドのコーナーだ。実演者は同社のMaster Craftmanという肩書きのJon French氏。会場で配られていたチラシには「Jon」とあるが「John」の誤りではないかと思うのは私だけだろうか。3月3日から5日まで日に3回づつ実演をしている。

今日、新宿へ出かけたのは、1月の陶芸個展で作品を購入してくれた知人に商品を届けるためだ。ずっと都合が合わなくて今日になってしまったのである。受け渡しのついでに彼のオフィスに近い小田急ホテルセンチュリーの中華料理屋シェンロンで昼食を共にした。もともと同業者なので、最初は仕事絡みの話題から会話が始まるのだが、お互いに一線から退いて年月を経ていることもあり、知り合って12-13年という付き合いでもあるので、自然に話題は近況のなかの仕事とは無関係なほうへと移る。尤も、どのように生計を立てていくかということについての話題は「仕事」の関係と言えなくもない。個展で会ってから1ヶ月半ほど間が空いているが、それでも2時間近く話し込んでいた。

彼と別れた後、陶芸教室に案内状が置いてあった「松田剣 作陶展」を拝見しようと高島屋を訪れたのである。そこで冒頭の実演がまさに始まろうとしていたというわけだ。実演は30分ほどだったが、その後、30分ほど同じフロアにある「ギャラリー暮らしの工芸」というコーナーで作陶展やそのほかの諸々を眺めて回った。あまり百貨店を訪れる機会は多くないのだが、いままでこのような売り場があることを知らなかった。なかなか見応えのある場所だ。

この後、日本橋へ出て、三井記念美術館でお雛様を眺めてから出社した。日本には四季折々の年中行事があるが、宮中行事にルーツのあるものは大掛かりなものが多いように思う。雛祭もそのひとつだろう。人形をたくさん飾って特別に用意した食卓を家族で囲むというようなことは、準備する人にとっては大仕事だが、そうした準備も含めて、行事全体が精神性の豊かさを感じさせる。自分自身は雛人形とも五月人形とも無縁なのだが、今、どれほどの家庭でこうした節句の人形を飾るものなのだろうか。ただ、私個人としては、こうして美術館で眺める分にはよいのだが、たとえ物理的な事情が許したとしても、自宅に飾ろうとは思わない。人形を飾るという心情になんとなく粘着的な気質が感じられ、それを心地よく思えないのである。おなじことはペットを飼うことについても感じることだ。人ではないものを擬人化して、そこに己の欲望や自我を投影するということに、過剰な自意識と、その過剰を安直に表出させる傲慢さとを感じてしまう。だから、私は装飾過多に感じられる相手とか愛玩動物を飼っている人とは自然に距離を置いてしまう。

歯が語る

2011年03月03日 | Weblog
歯の治療をしているのだが、3月にして既に確定申告できるほどの治療費に達してしまった。人の身体に限らず、どんなものでも古くなればそれなりに手入れをしないと使えなくなってしまう。その手入れの費用は古くなるほどに嵩むのは、ものというものの性質上やむを得ない。なかには文化財に指定されて国や自治体がそうした費用の幾許かを援助してくれるものもあるのだが、どう考えても私の歯が文化財になるはずもなく、何がしかの公的援助を受ける理由もない。勿論、治療費の大きな部分が健康保険によって賄われるのだが、治療に用いる資材のなかには保険のきかないものがあるということだ。先月に行った昨年分の確定申告にも医療費は入っている。これで2年連続ということになる。継続することで自分の血肉になるものならよいが、血肉の維持のための継続となると、果たしてそこまでして生きているほどのものだろうかと考えないこともない。

所謂「インフォームド・コンセント」ということで治療方法やそれに用いる材料についての説明が担当の医師によってなされる。イラストや自分の口腔のレントゲン写真やらを使って、懇切丁寧とはいえないが、一通りの解説を聴くことができる。それは、勝手に治療を進められるより良いことには違いないのだが、聴いたところで自分ではどうしょうもないことも少なくない。そういう治療をしなければ抜歯に至ってしまうと言われれば、お任せするより仕方がない。治療に使う材料にしても、何種類かのなかから患者が選ぶことができるのだが、保険のきくものより保険のきかないもののほうが優れているかのような印象を受けてしまえば、多少経費が嵩んでもそちらをお願いするのが人情というものだ。

結局、来年の2月に行う予定の確定申告のなかに医療費が含まれることになった。ついでなので、今年は他の健康上の課題も解決してしまおうかとも考えている。例えば声帯のポリープとか下肢の静脈瘤などだ。腎臓も一度きちんと診てもらったほうがよいのかもしれないし、ほかにもこれからいろいろ出てくるかもしれない。ついでのついでに、いっそのこと生きるのを止めてしまってもいいのかもしれない。面白いことに、そんなことまで考えるくせに、歯科治療の材料を選ぶ際には耐久性について担当医師に尋ねてみたりする自分がいる。潔くありたいと思うのだが、習慣とそれに対する未練を捨てられない醜さをなんとかすることこそ自分にとっての本当の課題かもしれない。

動中の工夫

2011年03月02日 | Weblog
木工は枠に棚板を仮組みする。棚板の組み付けには、当初は隠しザネを用いる予定だったのだが、使用しているエゾマツの材が暴れるので、ビスケットに代えることにした。木が湿度やそれ自体の水分量の変化によって時間の経過とともに形状を変えるのは自然なことだ。だから、木を用いる人間の側がそれに応じた付き合い方をしないといけない。具体的には、この場合なら一気に完成させるということになる。木工を生業としているなら、当然にそのようにするのだろうが、私の場合は趣味で週に一回、2-3時間だけしか木材と付き合うことができない。そこで、木材の変形に応じてその時々に対応策を練ることを繰り返す。

おそらく、物事に完璧を目指す性質の人にとってはフラストレーションがたまることになるだろう。私の場合は「完璧」というものを幻想の一種としか見ていないので、フラストレーションどころか、材の変化を見るのが楽しくて仕方が無い。木の変化以外にも、週一回の木工にはいろいろ楽しいことがある。今回制作中の移動式書棚では、左右の枠で棚板を挟む構造なのだが、枠を組み上げたときには左右が同じ大きさだったのが、組みつけた場所の目違いを修正するのに鉋をかけたり、ヤスリをかけたりしているうちに左右のサイズが微妙にずれてしまった。その上に、材の歪みがある。これで完成するのだろうかと不安を覚えないこともない。これまでのところは、問題が生じる都度、対策を施して着々と工程が進んでいる。

趣味の木工というささやかなことではあるが、完成させるという意志がある限り、当初の想定とは違ったものになりながらも、工程が進捗するということが愉快だ。結局、物事というのは何であれ工夫次第でどうにでもなるのではないだろうか。ふと、以前にどこかで目にした白隠慧鶴の書を思い出した。

「動中工夫 勝静中 百千億倍」
(動中の工夫は 静中の工夫に勝ること 百千億倍)

実際の書は紙の中央に大きく「中」の字があり、その右側に「動工夫勝静中」、左側に「百千億倍」と書かれている。その「中」の大きさに笑いがこぼれてしまう。

なにはともあれ、どのようなことでも楽しく取り組みたいものである。