栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

物差しがないと生きられない人達

2004-09-16 17:58:52 | 雑感
 世の中にはどうしても物差しがないと生きられない人もいるようだ。
その物差しは年齢だったり、役職の上下、学歴、財力や、時には背の高さ、体型、頭髪、顔の作りの善し悪しといった詰まらないものまであるが、相手との間になんらかの物差しがないとうまくコミュニケーションが図れない人もいるらしい。
しかも、その物差しは水平な関係を測る物差しではなく、上下関係を図る物差しであることが多い。

 何年か前、海外に団体で行った時のことだ。
ホテルに着き、その場で部屋割りが決められた。
私と相部屋になったのは某放送局の部長だった。
すると、彼がいきなり私にこう尋ねた。
「栗野さん、同じ部屋ですね。宜しくお願いします。ところで、栗野さんの歳はいくつですか」
私は少し戸惑った。
最初の会話にしてはちょっと変な気がしたし、歳をすぐ聞く相手の意図を図りかねたからだ。
「歳ですか・・・。歳が何か関係あるんですか」
私はこの後の会話がどう展開するのか分からずにいた。
すると、彼は
「私より上ですか下ですか」
と聞いてきた。
どうしても年齢を聞きたいらしい。
聞かなくても自分より年上か年下かぐらいは分かりそうなものだがと思いつつも、仕方なく
「○○社長と同じですよ」
とツアー主催者の社長の名を挙げて答えておいた。
すると、次の瞬間、彼は私に向かって「先輩!」と言ったのだ。
これには驚いた。

 私は彼の大学の先輩でも、会社の先輩でもない。
敢えて言えば人生を彼よりほんの数年長く生きてきたというだけだ。
だから「先輩」と呼ぶのは止めて欲しいと頼んだ。
しかし、彼は聞かなかった。
以来、旅行中ずっと私のことを先輩と呼び続けたのだった。

 面白いのは風呂に入るのにも、寝るベッドの位置も、すべてに私を立てようとしたことだ。
「先輩からお先に!」という具合に。
その言葉を聞きながら思った。
彼は私が年上だから立てているが、逆に年下だったら上から高圧的に物を言うのだろうなと。
礼儀正しさの裏にわざとらしさが見えるものだから煩わしくなり、風呂は交代制にするように提案した。
 元アナウンサーだけあり、よく喋るし、喋りはうまいのだが、本心が見えないだけに、最後まで心から打ち解けることはなかった。

 察するに、彼はフラットな人間関係を築けないタイプのようだ。
上に弱く下に強い、典型的なサラリーマン人生を生きている人間である。
過去、ここまで露骨なタイプを見たことはなかったので少々驚いたが、周囲を見回せば似たようなタイプは意外に多いことに気付かされた。
いわゆる世渡り上手という奴だ。
これも能力か、と多少のやっかみも込め、真似をしたくても、そんな能力もない自分を自嘲気味に眺めてしまう。
どうせ不器用にしか生きられない人生だから、最後まで不器用さを通し、愚直に生きるしかないか、と。

私とベンチャー企業との関わり

2004-09-16 12:12:08 | 視点
 私がベンチャー企業と関わったのは、もうかれ20年前の第2次ベンチャーブームの頃からである。
第2次ベンチャーブームの前半の主役は技術系、後半は非技術系企業だった。
当時脚光を浴びたベンチャーにソードや電話の転送システムを開発した企業と、社名を忘れたがもう1社を加えた3社がいわゆる御三家として騒がれた。
いずれも技術の革新性やシステムの革新性という面では、現在のベンチャーとは比べものにならない程彼らの方が革新的だった。

 ところが、その後3社とも大手企業に吸収されるか倒産し、いずれも表舞台から消えた。
唯一、ソードのみが東芝の傘下で生き残っている(はず)が、創業者の椎名堯慶氏はその後ソードを離れ、現在は秋葉原でパソコンショップメーカー・プロサイドを開いている。
 余談だが、同社のパソコンは玄人受けする品質のいいもので、しかも低価格で提供している。ダイレクト販売も行っており、私も一度購入を検討したことがある。

 このように華々しかった第2次ベンチャーブームもその直後からバタバタと、それも花形といわれたベンチャーから潰れていった。
 九州で第2次(正確には2.5次)ベンチャーの生き残りといえるのは長崎県北松浦郡の西日本流体技研ぐらいだろう。
 因みに全国でいえばアスキーやソフトバンクが第2.5次ベンチャーブームの頃のベンチャーである。2.5次というのは2次ベンチャーブームが去った後にもう一度起こった小さな波というか、第2次の余燼みたいなものだ。

 この頃から私はベンチャーの取材を続けていたが、興味はなぜ「宴の後」になったのか、問題はどこにあったのかだった。
失敗の教訓程役に立つものはないし、失敗は教訓化しなければなんら意味を持たない。
 まず考えなければならないのは、その失敗は個に依存するものなのか、それともシステムの問題なのかである。
単純に個に依存する問題なら、それはせいぜい前車の轍を踏むな程度の戒めで事足りる。ところがシステム的な問題なら根底から変えなければ同じ過ちを何度も繰り返すことになる。

 物事を見る時に重要なのはパーツを全体の中で捕らえることであり、現在は歴史の中で把握するということだ。
 私にとって幸いだったのは大学で哲学を専攻し、弁証法的論理学を研究したことである。
弁証法とは物事を静止した状態で捕らえない。生成、発展、消滅の過程の中で捕らえる。つまり運動の中で捕らえるから、これほど現実社会を認識するのに役立つ学問はないと思っている。

 いずれにしろ、この頃から興味を持ち、取材を続けていたので、今回の第3次ベンチャーブームが仕掛けられた時に、まず最初に思ったことは第2次ベンチャーブーム後を反省し、その失敗の教訓の上に立っての第3次ベンチャーブームの仕掛けなのか
どうなのかということだった。
(*仕掛けられたベンチャーブームに関してはHP http://www.liaison-q.com 内の「栗野的視点」を参照)
 それで当時の通産局に取材に行ったのが今回のベンチャーブームと直接的に係わることになったきっかけだ。

 その時に分かったのが、資金面の整備はかなり行われているということだった。
ただ、準備されているのは大きな金で、実際にベンチャーが必要とする資金ではなかった。
 ベンチャーと一口に言っても大小あるし、発展段階によっても必要とする資金に差はあるが、概して数千万、どうかすれば1千万円以下の小口の場合が多い。問題はその小口資金を以下にスムーズに、担保なしで出すかだ。

 その部分が欠けている(用は運用の問題なのだが)と感じたのと、ベンチャーが最も望んでいる販路面のサポートが皆無だということだった。
 ベンチャーサポートといえばいまでもそうだが、すぐ専門家と称して「士業」を揃えて、経営のサポートをしたがる。
たしかに経営サポート体制は必要だが、ベンチャーの発展段階に応じたやり方が必要で、畳の上の水練は必要ない。
必要なのは実務経験者だ。
きれいな泳ぎ方を畳の上で教えてもらうより、犬掻きでもいいから水中に入った時、溺れない方法を教えてくれた方がいいのだ。
ところが○○士という人達は経営コンサルタントを含め、実務が乏しいのと、融通が利かない輩が多いから、言うことは立派だが、あまり役立たない。

 要は必要なものを必要な段階で、必要なだけ提供できるかどうか。これは運用の問題で、非常にきめ細かなやり方が必要になる。それを行政に望んでも仕方ないことだ。
では、どこがするのか。結局、民間の組織しかない。
そういう思いが伏線になり、リエゾン九州の立ち上げへと私自身が動かされていったのである。
とはいえ、リエゾン九州の現状は我が思いにはほど遠い状態である。それでも100万kmの道もまず1歩から。行動するジャーナリストであり続けたい、と思っている。