栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

香港の出稼ぎフィリピン人女性達

2005-07-08 20:21:10 | 視点
 5月1日のメーデーを挟んだ3日間、中国は労働節といって連休になる。国が決めた休日は3日らしいが、その前後に休みを加え大抵1週間ほどが休みだ。
そして、この期間中は街にフィリピーナー達があふれてくる。
 祖国を離れ香港に出稼ぎに来ているフィリピン人の多くは女性である。
彼女達の休日の楽しみ方は観光地に行くわけでも、ディズニーランドを見ることでもなく、同じ国の人達と集まりお喋りをして過ごすことなのだ。

 港には海の向こうの故郷に思いを寄せるフィリピーナーが溢れ、初めてその光景を見た人はここは香港ではなくフィリピンのどこかの町ではないかと勘違いするに違いない。
 セントラル近くの人達はビルの通路を占拠し、ゴザを敷き、そこを「解放区」にしてしまう。だが、そんな彼女達を警察もビルの警備員達も取り締まる風はない。その代わり「占拠」できるのは通路の片側だけで、そのルールをきちんと守ることが彼らの取り決めのようだ。
 よく見ると彼女達は10人前後のグループごとに別れているようで、それぞれにトランプをしたり、お喋りに興じたりしているが、聖書を紐解いたり、読書に励んでいる人もいる。

 フィリピーナーに共通しているのは明るくて、よく喋ることだ。だから、口さがない人は彼女達を称して「小鳥のようだ」と揶揄する。ピーチクパーチクとうるさくさえずると言うのだ。
 昼時ともなるとそれぞれ持ち寄った総菜やご飯やケーキ類を食べ、歌を歌い踊り、国に残した家族のことを思い、写真を見て過ごすのである。
恐らくお金は皆本国に送金するため、休日といえども自分のためには1銭も使わないのだろう。

 彼女達の多くはお手伝いさんだが、なかには香港人や香港の英国人の子供の教育係をしている人もいる。大学を卒業しながら、香港でお手伝いをした方が稼げるからと出稼ぎに来ているのだろう。
そういう女性は知的な顔をしているから一見してすぐ分かる
 でも、彼女達の顔には、家族の犠牲になっているという暗さはない。
むしろ南国特有の明るさがあり、その明るさに、見ているこちらも救われる。

 かつての日本人にも「唐行きさん」と呼ばれた人達がいた。
家族に仕送りをするために外国に出稼ぎに出た女性達だが、いま彼女達のことを知っている日本人がどれほどいるだろうか。
そんなに遠い昔のことではない。
それなのに日本人は1世代昔どころか、ほんの10数年前のことでさえすぐ忘れてしまう。

 公園で10数人が集まり、食事を持ち寄り、歌を歌っていた姿をビデオ撮影していると、彼女達が持ち寄った食事を食べろ食べろと勧められた。
食事をした後だったが少しよばれ、「サンキュウ」と言うと「ジャパニーズ!」と言われてしまった。
やはり発音が日本語的だったのだろう。
「いらっしゃいませ」「ありがとうござました」
何人かが知っている日本語を口にし、皆笑う。
彼女達が汚い日本語を口にしなかったのが救いだった。
 ギター演奏に合わせ手拍子をし、一緒に唱い、仲良くなった楽しい一時。