なんとも迂闊という以外にないが、いままで点字ブロックが岡山で発明・開発されたということを知らなかった。
写真の石碑も偶然見つけたのだった。
岡山市内で大学時代の友人と会い、その帰りにカーナビの指示に従って走っている時、随分渋滞して進まない交差点に差し掛かり、ふと横を見た時、この石碑が目に付いた。
それで慌ててデジカメを取り出し撮影したという始末だ。
発明者は岡山県倉敷市生まれで、その後、岡山市で旅館業を営んでいた三宅精一氏。
町の発明家としても有名だったらしい。
点字ブロック発明の経緯は「ユニバーサルマインド?」というHPに詳しく紹介されているので、そちらを一読願いたいが、三宅精一氏は私財を投げ打ち点字ブロック開発に生涯を捧げたようだ。
長年の苦労、心労が重なり、1976年に入院し、1982年に亡くなられた。いまから20年足らず前のことだ。
このような方が岡山にいたことすら知らなかった。
点字ブロックはなぜ黄色なのか。
時々、黄色でなく白色の点字ブロックを見ることがあるが、なぜ白色を採用するのか。
デザイナーや建築家のデザイン優先からか。
以前から白い点字ブロックは意味をなさないと思っていたが、この機会に少し考えてみませんか。
三宅精一氏と点字ブロック開発について記された書物『白浪に向いて/三宅清一を語る』は現在廃刊になっているようだが、復刊ドットコムで復刊リクエスト投票が行われている。
このような本はぜひとも復刊したいものだ。
一緒に協力しようではありませんか。
写真の石碑も偶然見つけたのだった。
岡山市内で大学時代の友人と会い、その帰りにカーナビの指示に従って走っている時、随分渋滞して進まない交差点に差し掛かり、ふと横を見た時、この石碑が目に付いた。
それで慌ててデジカメを取り出し撮影したという始末だ。
発明者は岡山県倉敷市生まれで、その後、岡山市で旅館業を営んでいた三宅精一氏。
町の発明家としても有名だったらしい。
点字ブロック発明の経緯は「ユニバーサルマインド?」というHPに詳しく紹介されているので、そちらを一読願いたいが、三宅精一氏は私財を投げ打ち点字ブロック開発に生涯を捧げたようだ。
長年の苦労、心労が重なり、1976年に入院し、1982年に亡くなられた。いまから20年足らず前のことだ。
このような方が岡山にいたことすら知らなかった。
点字ブロックはなぜ黄色なのか。
時々、黄色でなく白色の点字ブロックを見ることがあるが、なぜ白色を採用するのか。
デザイナーや建築家のデザイン優先からか。
以前から白い点字ブロックは意味をなさないと思っていたが、この機会に少し考えてみませんか。
三宅精一氏と点字ブロック開発について記された書物『白浪に向いて/三宅清一を語る』は現在廃刊になっているようだが、復刊ドットコムで復刊リクエスト投票が行われている。
このような本はぜひとも復刊したいものだ。
一緒に協力しようではありませんか。