栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

貧困化する政治(家)の恐ろしさ

2017-03-07 09:11:37 | 視点
 我々が今住んでいる社会は--日本のことだが--先進国か新興国か、成熟社会か発展途上社会かと問えば、間違いなく先進国で成熟社会だという答えが返ってくるに違いない。

 しかし、昨今の政治を観ていると、とても成熟社会、民主主義社会とは思えない。
まだ民主主義が根付いていない発展途上国か、そうでなければ我々の社会は一昔前に後退してしまったのではないかと思ってしまう。
それほど昨今の政治(家)はおかしい。

 なかでもおかしいのは地方政治だ。
よくぞこんな人が政治家になったな、政治家でいられるなと思うが、そういう人に政治を任せたのは有権者で、
結果責任は有権者自身が負わなければならないだろう。

目の鱗を取り払い、刮目して声を上げ、異議申し立てをするか、
それとも諦めて目を逸らし、内に閉じ籠もり、「あっしには関わりのないこと」とニヒルに笑って過ごすか。
だが、その結果が現状を招いたのだということを知るべきだろう。

地方首長の感覚が変

 政治(家)の貧困を全国的に知らしめたのは桝添・前東京都知事だが、似たような例は全国に多々ある。
彼ら政治家を見ていると、受験に合格することがゴールになっている大学受験生に似ていると思ってしまう。

 当選することがゴールになっているから、政治家になって何をしよう、したいという目的がない。
だから政治家としての自覚がないというか、政治家になれば何をしてもいいのだと勘違いしてしまうようだ。

 その代表格が西宮市長と飯塚市長。
実は成人式の会場に向かう車中で同乗者と次のような会話を交わした。

「式典の挨拶は市長だよね。福岡は高島市長か」

「飯塚は誰がするんだろう。市長は欠席するらしいから。
副市長も一緒に賭け麻雀をしていたから、副市長が代役というわけにもいかないし」

「教育長が代役だ」

「情けないよね。欠席せずに出ればいいのよ。出て批判されればいいのに」

「でも、辞めるとは言わないのね」

「あの様子(会見)では辞めないだろう。賭けなかったらマージャンをする人がどれだけいるのか、
と開き直っていたから」

 福岡県飯塚市の斉藤守史(もりちか)市長と田中秀哲(ひであき)副市長が賭け麻雀をしていたのだ。
それも平日、開庁中に。
そのことが発覚した後の記者会見で悪びれるどころか憮然とした態度で
「賭けなかったらマージャンをする人がどれだけいるのか」
「市長を辞めれば(賭け麻雀は)するだろう」
と言い放ったのだから鉄面皮というか厚顔無恥というか。
この人の場合は厚顔「無知」も加わるか。

 大体この人、地元飯塚市に本社がある食品製造販売会社「一番食品」の代表取締役会長をしていた。
していたといっても過去の話ではない。
現職の市長でありながら出身母体の会長、それも代表権を持った代表取締役会長を続けていたのだ。

 会長職を辞職したのは今回の賭け麻雀が問題視され、市議会で謝罪した翌日の12月23日である。

 李下に冠を正さず、と言う。
本来なら行政のトップに就いた段階で私企業の役職からは離れるべきだろう。

 それだけではない。賭け麻雀でテーブルを囲んでいた「知人」には事業者もいたという。
これでは市の事業等で事業者に便宜を図ったのではないかと疑われても仕方がないだろう。

 ここまで「無恥・無知」な人物だから市長職は絶対辞めないだろうと思っていたが、
全国から抗議が届いたため、ついに副市長共々1月末で辞職すると表明した。
といっても任期は4月までだったから、それを数か月早めただけにしか過ぎない。
ただ本人は次期選挙にも出て当選する意欲満々だったようだから、本人にしてみれば番狂わせだったかもしれない。

番狂わせという意味では抗議が全国に広がりをみせたことではないだろうか。
恐らく地元から抗議の声はそれほど多く来ない、来ても押さえ込めると踏んでいたに違いない。
それが全国から抗議が殺到したのだから、本人にしてみればまさに番狂わせ。
「なんで」という感じだったかもしれないが、そこがネット社会の怖さ(この場合は効果か)だ。

 市長を辞職しないだろうと私が考えたのはもう一つ理由がある。
それは同市の文化・風土というか、より正確には飯塚市議会の「文化」が問題だからである。

 情報公開が世界の流れなのは常識だが、政治の世界でも昨今、情報公開がより強く求められている。
ところが、こうした動きに逆行するように飯塚市議会は2015年12月、議員の資産公開廃止を決めたのだ。

廃止を決定したということは市議の中から資産公開廃止議案が提出され、多数決で「廃止議案」が通ったということだ。

 驚くのは「廃止議案」提案の理由だ。
「閲覧者がいない」からだという。
仮に閲覧者が今まで非常に少ないかいなくても、公開廃止にするというのはどうも。

 閲覧しやすいように閲覧料を下げようとか、ネットでも閲覧できるようにしようとかいう提案が
普通だと考えるが、そうではなく、いきなり公開廃止にしようというのだから
資産公開するとなにかまずいことでもあるのではと勘ぐってしまう。

 とまあ、こんな議会が相手だから市長の方も高を括っていたのだろう。
平日に市役所を抜け出して賭け麻雀をするぐらい何も問題ないだろうと。

 ところが記者会見の様子が全国にTV放映された直後から風向きが変わった。
1000件超の抗議が市に届くようになり、その対応で市の正常な業務が出来なくなるに至って、
ついに辞職を決意したというわけだ。

 いやなんともお粗末というか、それでも市民が抗議に押しかけたというから飯塚市民の感覚はまともだった。
ついでに市議の感覚も正せるといいのだが。

ミニトランプが激増傾向、日本でも

 なんとも嫌な感じがするのは今村岳司・兵庫県西宮市長の方だ。
2016年という年は彼のような政治家が世界で出現した年だった。

 今村市長の言動をよく知らない人のために、まず直近の言動から紹介しておく。

2016年11月27日に西宮市立子育て総合センターで開かれた「中高生3万人の夢プロジェクト」で以下のように発言。

「(中高生の頃に自分達の居場所は)授業を抜け出してタバコが吸えて楽器が弾けるところだった」

「教室の合鍵を作り、面白くない授業を抜け出して、たばこを吸い、マージャンをした」

「見回りのガードマンにはエロ本やお酒を渡して味方に付けた」

 不良の集まりで不良の先輩が後輩に自慢話をしているのではない。
西宮市主催の「市内に在住・在学の中学生・高校生約3万人のやる気・社会に飛び出す力を支援する」プロジェクトの第一弾として<中学生・高校生の「やりたいこと」を聴く中高生ミーティング>の場で今村市長が語った自身の体験談である。

 市長としての自覚など微塵も感じられない。
よくぞこういう人物が市長になれたものだと思うが、この件で市に届いた抗議は100件と少ない。

 この人物(今村市長のことだが)、12月8日の議会、一般質問で女性市議から先の発言を批判されると、
トランプ氏を見習ってかどうかブログで「ピンクのダサいスーツに黒縁眼鏡で『お下品ザマス!』って
言っている女教師みたい」「キレイゴトは彼らを子供扱いしている。敬意を欠いている」と逆批判している。

 トランプ氏と似ているのはインターネットで

       (以下 略)




 本稿は1月16日に「まぐまぐ」から配信した「栗野的視点」の一部です。

 全文は「まぐまぐ」内の「栗野的視点」

 HP内の「栗野的視点」にも収録していきますが、「まぐまぐ」よりは遅れます。



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