今年に入って相次いで3人の方が亡くなられた。
一人は近畿財務局の職員、もう一人は評論家の西部邁氏。そして3人目が「車椅子の天才物理者」スティーブン・ホーキング博士である。
3人の間に直接的な関係はないが、共通しているのはその死が各方面に大きな影響を与えたことだ。
そこでそれぞれの死について考えてみたい。
財務局職員が残した死後メモ
とりわけ9日に死が報じられた財務省近畿財務局の男性職員の自殺は政治に大きな影響を及ぼした。
彼が残したとされる「遺書らしきメモ」が発見されて以降、政治は一気に波乱含みになってきた。
もちろん、それ以前からの新聞各紙の地道な活動、とりわけ朝日新聞による財務省の文書改竄疑惑
報道が、森友学園と近畿財務局との「取引疑惑」を炙り出した。
朝日新聞の上記報道が3月2日。近畿財務局の職員が自殺したのが同7日。
職員が残した「メモ」の全文は明らかにされてないが、上からの指示で「書き換えをさせられた」というような内容が記されていたようだ。
こうしたことが明らかになるにつれ、それまでゴミの「撤去費用は適正に算定されたもの」
「政治家の方々の関与は一切ございません」「価格を提示したことも、先方からいくらで買いたいと
希望があったこともない」などと国会で答弁し、その後、国税局長官に就任したが、
メディアから逃げるようにしていた当時の理財局長・佐川宣寿氏がついに国税庁長官を辞任
したのが9日。
近畿財務局職員の自殺から2日後であることを考えると、職員の死が最後の引き金になったといえそうだ。
それまでは散々、朝日新聞の報道を「フェイク」呼ばわりしていた安倍首相以下も、
さすがに公文書の改竄があったと認めざるを得なくなったが、それでもまだ組織ぐるみではなく、
「一部の職員の関与」によるものとトカゲの尻尾切りで幕引きを図ろうとしている。
「このままでは自分1人の責任にされてしまう」。
自殺した職員が残したメモには、こうした言葉も綴られていたようだが、
彼が心配した通りのことが行われようとしている。
抗議の死をもってしか事実が明らかにされないのは悲しいし、死をもってしても
事実が隠蔽されるなら、それは悲しみを通り越して怒りしか湧いてこないだろう。
そんな政治を許してはいけない。
自裁死が問いかけるもの
個人的に最も考えさせられたのは1月21日に自殺した評論家、西部邁氏の死だ。
最初、同氏自殺の報に接した時、何が氏をそこまで追い詰めたのか不思議だったが、
晩年は身体の自由が利かず、口述筆記だったようだ。
そういうことも多少影響したのか数年前から知人や著書等でも「自裁死」をほのめかしていたらしい。
氏によれば自然死というが実際には自然死はなく「病院死」だと言う。
そういうのはゴメンで、自分が死ぬ時期は自分で決める。だから「自裁死」だと。
そういう意味で西部氏は覚悟の死だったようだが、最近になって色々問題が指摘されている。
彼の死に不自然な点があるとして警察が捜査しているらしい。
何が不自然かというと発見された時、西部氏はロープを腰付近に巻き、
もう一方が木に結ばれていたが、身体の不自由な西部氏が一人でそれらの行為をしたと
考えるには無理があり、誰か第三者の関与が疑われるというのだ。
多くの人は「機械に繋がれて生かされるのは嫌だ」「ピンピンコロリがいい」と言う。
同感だ。できることなら、そうしたいし、そうありたい。
それが残された者達に極力迷惑をかけない死に方だからだ。
しかし、それは願望で、誰もがそうなれるわけではない。
そこで自死、自裁死を考えることになる。
私事で恐縮だが、弟はガンで亡くなる直前、病院で自死に近い形を取った。
眠るように亡くなったが、覚悟の死だった。
とはいえ自分一人で全てできるわけではなく、多少なりとも誰かの手を煩わせることになる。
弟の場合は医師と薬の力を借りた。
西部氏が「自裁死」を選んだのは理解できる。
だが、第三者の関与が疑われると、それは本人の思いとは別になり、残された者を苦しめることになる。それは不本意だろう。
しかし、高齢化社会は似たような問題をすでに現出しているし、今後増えることだろう。
その時にどうするか。
自分が頼む側になる場合、頼まれる側と両方あるが、それぞれに難しい問題だし、
難しい決断を迫れられることになる。
例えば家族の誰かが病気で長いこと苦しんでおり、こんなに苦しい思いをするなら
死んだ方がマシ。協力してくれと懇願された場合、それを断れるだろうか。
特に同居家族で毎日毎日苦しむ姿を目の当たりにしていれば、苦しみから解放してやりたい、
と思うだろう。そこで懇願されれば、無碍に突っぱねることができるだろうか。
手を貸さないのが愛情か、手を貸すのが愛情か。
これは先に逝く者、残された者双方に難しく、解決できない課題を残す。
一つだけ言えるのは手を貸しても貸さなくても、残された者、残った者は
残りの人生を後悔とともに歩まなければならないということだ。
少子高齢化社会は私達に新たな、難しい問題を突き付けてきた。
高齢の二人世帯、一人世帯の増加は家族での介護を物理的、肉体的、金銭的に困難にしている。
安倍さんが言う「家族」はもはや私達の社会には存在しないのだ。
それは何もこの国に限ったことではなく、欧米でも、急速に高齢化しつつある中国でも、
その他アジアの諸国でも、家族は小単位になっている。
好むと好まざるとに関わらず社会で支えていかざるをえない。
そういう考えに立脚して政治も社会の在り方も組み替えざるをえない。
ホーキング博士の予言
「車椅子の物理学者」として知られたスティーブン・ホーキング博士の死は
世界中に衝撃と大きな悲しみをもたらしたのは間違いないだろう。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患いながらも独創的な宇宙論を発表し続けたばかりか、
一般の人にも分かりやすく解説するなど、多方面に渡り活動してきた。
その姿は多くの人に夢と希望を与えてきた。
そのホーキング博士は「地球上の気温はいずれ250度まで上昇し硫酸の雨が
降り注ぐ金星のような惑星」になると予言している。
もちろん、そうなれば人類は絶滅する。
また「人類は進化の過程で強欲で攻撃的な性質の遺伝子が組み込まれたようだと恐れる。
地上で争いが減る兆しはなく、軍事技術や大量破壊兵器の進展は争いを破滅的なものにする」
とも述べている。(以上、BBCインタビュー)
では人類に残された時間はどれくらいなのか。
「後100年」と博士は予言した。
私は博士の説に同意する。人類は100年後には滅亡するに違いない。
そして今、そこに向かって確実に歩んでいると。
この10年、私は「歴史は進歩しているのか、その逆なのか」「我々はどこに行くのか」
と考え続けていた。
悲観主義者と思われるかもしれないが、あらゆる社会現象は歴史の歯車が逆回転し、
人類は破滅に向かっていると示している。
地球環境は明らかに悪化している。モノ余り、飽食と言われる日本でも日々の食事に
窮する貧困層が増えているし、地球規模で見れば食料不足で亡くなる人の方が多い。
ホーキング博士も指摘するように「地上で争いが減る兆しはなく」、
地球上の資源は生物と言わず鉱物と言わず取り尽くされ、食い尽くされている。
それを象徴しているのが中国で、かの国の野望はとどまるところを知らない。
まるで歴史を逆行させたいかの如く途上国への経済的、領土的侵略を進めている。
スリランカ・コロンボ海岸の99年租借、パキスタン・グワダル港43年租借などは
まるでアヘン戦争以後、中国が列強諸国によって植民地化されたことに学び、
大国となった今、他国に対して行おうとしているように見える。
これは悪しき「学習」であるが、そのことに対する反省は中国にない。
いまや誰も彼もが自国中心、自分中心になり、未来より現在しか考えず、
目先の欲求、欲望を満たすことにしか関心がなく犯罪を繰り返すなら、
人類に残された時間は「100年」より短いかもしれない。
しかし、悲観することはない。
地球規模、宇宙規模で考えるなら「強欲で攻撃的な性質」を持ち
「地上で争いが減る兆しはない」横暴な種は滅亡した方が地球という星のためには
いいかもしれないのだから。
2018.3.21 「まぐまぐ」より配信
一人は近畿財務局の職員、もう一人は評論家の西部邁氏。そして3人目が「車椅子の天才物理者」スティーブン・ホーキング博士である。
3人の間に直接的な関係はないが、共通しているのはその死が各方面に大きな影響を与えたことだ。
そこでそれぞれの死について考えてみたい。
財務局職員が残した死後メモ
とりわけ9日に死が報じられた財務省近畿財務局の男性職員の自殺は政治に大きな影響を及ぼした。
彼が残したとされる「遺書らしきメモ」が発見されて以降、政治は一気に波乱含みになってきた。
もちろん、それ以前からの新聞各紙の地道な活動、とりわけ朝日新聞による財務省の文書改竄疑惑
報道が、森友学園と近畿財務局との「取引疑惑」を炙り出した。
朝日新聞の上記報道が3月2日。近畿財務局の職員が自殺したのが同7日。
職員が残した「メモ」の全文は明らかにされてないが、上からの指示で「書き換えをさせられた」というような内容が記されていたようだ。
こうしたことが明らかになるにつれ、それまでゴミの「撤去費用は適正に算定されたもの」
「政治家の方々の関与は一切ございません」「価格を提示したことも、先方からいくらで買いたいと
希望があったこともない」などと国会で答弁し、その後、国税局長官に就任したが、
メディアから逃げるようにしていた当時の理財局長・佐川宣寿氏がついに国税庁長官を辞任
したのが9日。
近畿財務局職員の自殺から2日後であることを考えると、職員の死が最後の引き金になったといえそうだ。
それまでは散々、朝日新聞の報道を「フェイク」呼ばわりしていた安倍首相以下も、
さすがに公文書の改竄があったと認めざるを得なくなったが、それでもまだ組織ぐるみではなく、
「一部の職員の関与」によるものとトカゲの尻尾切りで幕引きを図ろうとしている。
「このままでは自分1人の責任にされてしまう」。
自殺した職員が残したメモには、こうした言葉も綴られていたようだが、
彼が心配した通りのことが行われようとしている。
抗議の死をもってしか事実が明らかにされないのは悲しいし、死をもってしても
事実が隠蔽されるなら、それは悲しみを通り越して怒りしか湧いてこないだろう。
そんな政治を許してはいけない。
自裁死が問いかけるもの
個人的に最も考えさせられたのは1月21日に自殺した評論家、西部邁氏の死だ。
最初、同氏自殺の報に接した時、何が氏をそこまで追い詰めたのか不思議だったが、
晩年は身体の自由が利かず、口述筆記だったようだ。
そういうことも多少影響したのか数年前から知人や著書等でも「自裁死」をほのめかしていたらしい。
氏によれば自然死というが実際には自然死はなく「病院死」だと言う。
そういうのはゴメンで、自分が死ぬ時期は自分で決める。だから「自裁死」だと。
そういう意味で西部氏は覚悟の死だったようだが、最近になって色々問題が指摘されている。
彼の死に不自然な点があるとして警察が捜査しているらしい。
何が不自然かというと発見された時、西部氏はロープを腰付近に巻き、
もう一方が木に結ばれていたが、身体の不自由な西部氏が一人でそれらの行為をしたと
考えるには無理があり、誰か第三者の関与が疑われるというのだ。
多くの人は「機械に繋がれて生かされるのは嫌だ」「ピンピンコロリがいい」と言う。
同感だ。できることなら、そうしたいし、そうありたい。
それが残された者達に極力迷惑をかけない死に方だからだ。
しかし、それは願望で、誰もがそうなれるわけではない。
そこで自死、自裁死を考えることになる。
私事で恐縮だが、弟はガンで亡くなる直前、病院で自死に近い形を取った。
眠るように亡くなったが、覚悟の死だった。
とはいえ自分一人で全てできるわけではなく、多少なりとも誰かの手を煩わせることになる。
弟の場合は医師と薬の力を借りた。
西部氏が「自裁死」を選んだのは理解できる。
だが、第三者の関与が疑われると、それは本人の思いとは別になり、残された者を苦しめることになる。それは不本意だろう。
しかし、高齢化社会は似たような問題をすでに現出しているし、今後増えることだろう。
その時にどうするか。
自分が頼む側になる場合、頼まれる側と両方あるが、それぞれに難しい問題だし、
難しい決断を迫れられることになる。
例えば家族の誰かが病気で長いこと苦しんでおり、こんなに苦しい思いをするなら
死んだ方がマシ。協力してくれと懇願された場合、それを断れるだろうか。
特に同居家族で毎日毎日苦しむ姿を目の当たりにしていれば、苦しみから解放してやりたい、
と思うだろう。そこで懇願されれば、無碍に突っぱねることができるだろうか。
手を貸さないのが愛情か、手を貸すのが愛情か。
これは先に逝く者、残された者双方に難しく、解決できない課題を残す。
一つだけ言えるのは手を貸しても貸さなくても、残された者、残った者は
残りの人生を後悔とともに歩まなければならないということだ。
少子高齢化社会は私達に新たな、難しい問題を突き付けてきた。
高齢の二人世帯、一人世帯の増加は家族での介護を物理的、肉体的、金銭的に困難にしている。
安倍さんが言う「家族」はもはや私達の社会には存在しないのだ。
それは何もこの国に限ったことではなく、欧米でも、急速に高齢化しつつある中国でも、
その他アジアの諸国でも、家族は小単位になっている。
好むと好まざるとに関わらず社会で支えていかざるをえない。
そういう考えに立脚して政治も社会の在り方も組み替えざるをえない。
ホーキング博士の予言
「車椅子の物理学者」として知られたスティーブン・ホーキング博士の死は
世界中に衝撃と大きな悲しみをもたらしたのは間違いないだろう。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患いながらも独創的な宇宙論を発表し続けたばかりか、
一般の人にも分かりやすく解説するなど、多方面に渡り活動してきた。
その姿は多くの人に夢と希望を与えてきた。
そのホーキング博士は「地球上の気温はいずれ250度まで上昇し硫酸の雨が
降り注ぐ金星のような惑星」になると予言している。
もちろん、そうなれば人類は絶滅する。
また「人類は進化の過程で強欲で攻撃的な性質の遺伝子が組み込まれたようだと恐れる。
地上で争いが減る兆しはなく、軍事技術や大量破壊兵器の進展は争いを破滅的なものにする」
とも述べている。(以上、BBCインタビュー)
では人類に残された時間はどれくらいなのか。
「後100年」と博士は予言した。
私は博士の説に同意する。人類は100年後には滅亡するに違いない。
そして今、そこに向かって確実に歩んでいると。
この10年、私は「歴史は進歩しているのか、その逆なのか」「我々はどこに行くのか」
と考え続けていた。
悲観主義者と思われるかもしれないが、あらゆる社会現象は歴史の歯車が逆回転し、
人類は破滅に向かっていると示している。
地球環境は明らかに悪化している。モノ余り、飽食と言われる日本でも日々の食事に
窮する貧困層が増えているし、地球規模で見れば食料不足で亡くなる人の方が多い。
ホーキング博士も指摘するように「地上で争いが減る兆しはなく」、
地球上の資源は生物と言わず鉱物と言わず取り尽くされ、食い尽くされている。
それを象徴しているのが中国で、かの国の野望はとどまるところを知らない。
まるで歴史を逆行させたいかの如く途上国への経済的、領土的侵略を進めている。
スリランカ・コロンボ海岸の99年租借、パキスタン・グワダル港43年租借などは
まるでアヘン戦争以後、中国が列強諸国によって植民地化されたことに学び、
大国となった今、他国に対して行おうとしているように見える。
これは悪しき「学習」であるが、そのことに対する反省は中国にない。
いまや誰も彼もが自国中心、自分中心になり、未来より現在しか考えず、
目先の欲求、欲望を満たすことにしか関心がなく犯罪を繰り返すなら、
人類に残された時間は「100年」より短いかもしれない。
しかし、悲観することはない。
地球規模、宇宙規模で考えるなら「強欲で攻撃的な性質」を持ち
「地上で争いが減る兆しはない」横暴な種は滅亡した方が地球という星のためには
いいかもしれないのだから。
2018.3.21 「まぐまぐ」より配信