2月下旬、新聞紙面に小さな記事が載った。載ったのは地元紙ではなく、なぜか経済紙だったが、内容は経済とは関係ない傷害事件で「南区の整形外科病院で男性医師の左胸を包丁で刺し」て、加害者が逮捕されたというもの。
「漠然としたイラつき」が犯行動機
この記事が目に止まったのはこの病院がどうやら近くで馴染みの所、というか私が行き付けの整形外科で、パートナーが今治療に行っている病院ではないかと考えたからだ。
それどころか彼女が言うには「犯人と遭遇していたかも」分からないとのこと。つまり同時刻に病院に行っていたばかりか、診察室の方から看護師が「男性の方来て!」と叫ぶのを聞いたと言う。
幸い精算を済ませて帰るところだったから事件とは思わず、後刻、彼女は事件のことを知ることになったわけだが、身近なところでこういうことが起きると、いつ犯罪の巻き添えをくうか分からないという思いが強くなる。
問題なのはそうした状況が突然、何の前触れも、因果関係もなしに訪れることだ。
しかも、この種の犯罪が近年増えていることに恐ろしさを感じる。
次に目に留まったのは愛知県豊橋市の男性が畑から白菜160玉(8万円相当)を盗んだ疑いで逮捕されたというもの。
盗んだのはトマト農家の男性で、被害者と同市内に住んでいる。
今年に入ってから同市内や近隣で白菜の窃盗が相次いでいるというから余罪がありそうだ。
動機は白菜の高値によるカネ目当ての犯罪。
それにしても同じ農家で、生産の苦労を知っているはずなのになぜと思うが、トマト栽培があまりうまくいってなかったのか、それとも目先のカネに目を奪われたのか。
トマト農家が白菜を大量に市場に持ち込めば怪しまれるのは当然だし、仮にトマト農家でなくても、
あまり見かけない人間が大量の白菜を何度も持ち込んでいれば、あいつはどこの奴だと疑われるはず。
実際、市場でそういう噂が立ち、そこから逮捕に至ったようだ。
3つめは大阪市生野区でショベルカーが歩道に突っ込み、下校中の児童5人が被害に遭った事故である。
動機を含め最も不可解なのがこの件だ。
新聞報道によれば「ショベルカーが信号交差点の手前でいったん停車し、再び動き出して歩道に突っ込む様子が周辺の防犯カメラに映っていた」(捜査関係者)とのことだが、重機を運転していた加害者は「信号が赤に変わり、止まろうとしてブレーキとアクセルを踏み間違えた」と供述している。
この供述は防犯カメラの映像と矛盾しているが、それをどう説明するのか。
まさかとは思うが、聴覚支援学校の児童達の下校中と知っていて、あえてショベルカーのアクセルを踏み込んだということはないだろうね。
昨今、怒りの矛先を弱者に向けた、無差別殺人が相次いでいるだけに、ついそんな考えが頭を過ぎってしまう。
上記3つはいずれも2月に発生した事件で、一つひとつは小さな事件だが、いつでも大事件、大惨事を引き起こす可能性を背景に秘めているという点で不気味である。
というのは、最近多発している犯罪と、その背景に共通点が認められるからだ。
1人称で語られない犯行
そこでもう少し詳しく上記3件の内容を見てみよう。
まず冒頭の整形外科で傷害事件を起こした犯人。年齢54歳の男性。3年前からこの整形外科に通院している患者である。
一般的に患者が医師へ暴行を働く場合、診療あるいは手術等で何らかの不満があったことが挙げられる。
この場合も「後遺症の診断書を書いてくれないので、むしゃくしゃしていた」と供述している。
持参した包丁で医師の胸を刺していることからも突発的、衝動的な犯行ではなく計画的だ。
理解できないのは、その程度の理由で人を刺すのかということだが、近年、この種の事件が多い。
「ぼんやりとした不安」ならぬ「漠然としたイラつき」を日頃から覚えており、そのイラつきがあるきっかけで噴出した、あるいは噴出させるきっかけを求めていたとでもいうような事件が増えている。
「相手は誰でもよかった」と犯行後述べている犯人、いわゆる「理由なき犯罪」が増えている背景に、こうした「漠然としたイラつき」があるのではないか。
理解できないと言えば、犯行後供述を翻し否認する例が増えていることもある。
上記3番目のショベルカーが歩道に突っ込んだ件でも、防犯カメラに映像が残っているにもかかわらず、
運転手はその映像と矛盾することを供述している。
故意ではなく「ブレーキとアクセルの踏み間違い」ミスだ、と。
最近の犯罪では逮捕直後の供述を翻し、一転否認、あるいは裁判で全面否認に転ずる例が増えている。
もちろん本当に犯行に至ってない場合は別だが、現行犯逮捕に近い状態で逮捕されていても犯行を認めない、否認する例は自己弁護としか思えない。
それにしてもなぜ犯行を認めないのか。
背景の一つに相次ぐ冤罪事件や誤認逮捕などの報道で知り得た情報があるのかもと疑いたくもなるが、一つには犯した事件を1人称で捉えられていないのではないだろうか。
なぜ1人称で捉えられないのか。
1人称で把握していないから事件後も悪びれる様子がない。
これは不気味な感覚である。
1人称の現実感に乏しければ犯行、事件に真摯に向き合うことができない。
真摯に向き合えなければ反省という行為には至らない。
故に「被害者への反省の言葉」もない。
そして、こうした感覚は伝播する可能性が高い。
いや、すでに伝播し、似たような犯行が繰り返されていることが不気味だ。
イラつきの背景にコンビニ社会
「漠然としたイラつき」や短絡的な行動はなぜ起こるのか。
その背景を考えると、いずれも「都会型」だと気付く
(略)
不自由さを享受する分散型社会
もう一つの原因はコンビニ社会。生活が便利になればなるほどベクトルは外ではなく内に向かう。
(以下略)
全文は「まぐまぐ」内の「栗野的視点」あるいはリエゾン九州のHPからお読み戴きたい。
心配な愛犬のお留守番の悩みを解消【Furboドッグカメラ】
「漠然としたイラつき」が犯行動機
この記事が目に止まったのはこの病院がどうやら近くで馴染みの所、というか私が行き付けの整形外科で、パートナーが今治療に行っている病院ではないかと考えたからだ。
それどころか彼女が言うには「犯人と遭遇していたかも」分からないとのこと。つまり同時刻に病院に行っていたばかりか、診察室の方から看護師が「男性の方来て!」と叫ぶのを聞いたと言う。
幸い精算を済ませて帰るところだったから事件とは思わず、後刻、彼女は事件のことを知ることになったわけだが、身近なところでこういうことが起きると、いつ犯罪の巻き添えをくうか分からないという思いが強くなる。
問題なのはそうした状況が突然、何の前触れも、因果関係もなしに訪れることだ。
しかも、この種の犯罪が近年増えていることに恐ろしさを感じる。
次に目に留まったのは愛知県豊橋市の男性が畑から白菜160玉(8万円相当)を盗んだ疑いで逮捕されたというもの。
盗んだのはトマト農家の男性で、被害者と同市内に住んでいる。
今年に入ってから同市内や近隣で白菜の窃盗が相次いでいるというから余罪がありそうだ。
動機は白菜の高値によるカネ目当ての犯罪。
それにしても同じ農家で、生産の苦労を知っているはずなのになぜと思うが、トマト栽培があまりうまくいってなかったのか、それとも目先のカネに目を奪われたのか。
トマト農家が白菜を大量に市場に持ち込めば怪しまれるのは当然だし、仮にトマト農家でなくても、
あまり見かけない人間が大量の白菜を何度も持ち込んでいれば、あいつはどこの奴だと疑われるはず。
実際、市場でそういう噂が立ち、そこから逮捕に至ったようだ。
3つめは大阪市生野区でショベルカーが歩道に突っ込み、下校中の児童5人が被害に遭った事故である。
動機を含め最も不可解なのがこの件だ。
新聞報道によれば「ショベルカーが信号交差点の手前でいったん停車し、再び動き出して歩道に突っ込む様子が周辺の防犯カメラに映っていた」(捜査関係者)とのことだが、重機を運転していた加害者は「信号が赤に変わり、止まろうとしてブレーキとアクセルを踏み間違えた」と供述している。
この供述は防犯カメラの映像と矛盾しているが、それをどう説明するのか。
まさかとは思うが、聴覚支援学校の児童達の下校中と知っていて、あえてショベルカーのアクセルを踏み込んだということはないだろうね。
昨今、怒りの矛先を弱者に向けた、無差別殺人が相次いでいるだけに、ついそんな考えが頭を過ぎってしまう。
上記3つはいずれも2月に発生した事件で、一つひとつは小さな事件だが、いつでも大事件、大惨事を引き起こす可能性を背景に秘めているという点で不気味である。
というのは、最近多発している犯罪と、その背景に共通点が認められるからだ。
1人称で語られない犯行
そこでもう少し詳しく上記3件の内容を見てみよう。
まず冒頭の整形外科で傷害事件を起こした犯人。年齢54歳の男性。3年前からこの整形外科に通院している患者である。
一般的に患者が医師へ暴行を働く場合、診療あるいは手術等で何らかの不満があったことが挙げられる。
この場合も「後遺症の診断書を書いてくれないので、むしゃくしゃしていた」と供述している。
持参した包丁で医師の胸を刺していることからも突発的、衝動的な犯行ではなく計画的だ。
理解できないのは、その程度の理由で人を刺すのかということだが、近年、この種の事件が多い。
「ぼんやりとした不安」ならぬ「漠然としたイラつき」を日頃から覚えており、そのイラつきがあるきっかけで噴出した、あるいは噴出させるきっかけを求めていたとでもいうような事件が増えている。
「相手は誰でもよかった」と犯行後述べている犯人、いわゆる「理由なき犯罪」が増えている背景に、こうした「漠然としたイラつき」があるのではないか。
理解できないと言えば、犯行後供述を翻し否認する例が増えていることもある。
上記3番目のショベルカーが歩道に突っ込んだ件でも、防犯カメラに映像が残っているにもかかわらず、
運転手はその映像と矛盾することを供述している。
故意ではなく「ブレーキとアクセルの踏み間違い」ミスだ、と。
最近の犯罪では逮捕直後の供述を翻し、一転否認、あるいは裁判で全面否認に転ずる例が増えている。
もちろん本当に犯行に至ってない場合は別だが、現行犯逮捕に近い状態で逮捕されていても犯行を認めない、否認する例は自己弁護としか思えない。
それにしてもなぜ犯行を認めないのか。
背景の一つに相次ぐ冤罪事件や誤認逮捕などの報道で知り得た情報があるのかもと疑いたくもなるが、一つには犯した事件を1人称で捉えられていないのではないだろうか。
なぜ1人称で捉えられないのか。
1人称で把握していないから事件後も悪びれる様子がない。
これは不気味な感覚である。
1人称の現実感に乏しければ犯行、事件に真摯に向き合うことができない。
真摯に向き合えなければ反省という行為には至らない。
故に「被害者への反省の言葉」もない。
そして、こうした感覚は伝播する可能性が高い。
いや、すでに伝播し、似たような犯行が繰り返されていることが不気味だ。
イラつきの背景にコンビニ社会
「漠然としたイラつき」や短絡的な行動はなぜ起こるのか。
その背景を考えると、いずれも「都会型」だと気付く
(略)
不自由さを享受する分散型社会
もう一つの原因はコンビニ社会。生活が便利になればなるほどベクトルは外ではなく内に向かう。
(以下略)
全文は「まぐまぐ」内の「栗野的視点」あるいはリエゾン九州のHPからお読み戴きたい。
心配な愛犬のお留守番の悩みを解消【Furboドッグカメラ】