栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

歴史の歯車の気になる2つの動き~独裁者も豹変す

2018-07-18 18:40:33 | 視点
 皆さんGWはいかがお過ごしでしたか。私はGWが終わるまでの1か月間を岡山県北東部の田舎で、
新聞、TVもほとんど見ず、ノンビリ(?)と過ごしていました。
 とはいえ、こちらとは無関係に世の中は動き、その間にも様々な事件が起きており、
田舎でノンビリ、田舎は長閑などと、それこそノンビリとしてばかりもいられないのが現実。

 花の写真を撮りに行けば季節の異常さ、環境異変を思い知らされるし、
庭先でハナモモの写真を撮らせてもらった民家の主人との立ち話では限界集落化について
考えさせられるし、奈義町の民家の軒先でたまたま立ち話をすれば、相手が町長と分かり、
つい地域おこしの話になりコーヒーを振る舞われながら縁側に腰を掛けて20分近くも
話し込んだりと、それなりに刺激的で面白い日々。

 困ったのは物忘れの進行と集中力、持続力の衰え。
最近、頻繁に帰省し、ある程度の期間、滞在しているものだから地元の人の対応にも少し変化が見られだした。
お客さん、よそ者対応からの変化と言えば分かってもらえるだろうか。

 ある時、庭木の剪定をしていると、近付いてきて声を掛けられ、そのまま道端に座り込み、
しばらく話したことがあった。
先方はこちらのことをよく知っている風で色々話してくるので話しは合わせていたが、
最後まで相手がどこの誰か分からなかったのには参った。

 まあ、それでも相手が帰る段になり軽トラックに乗り込んだ時になって、
やっと相手の素性が分かりホッとしたのは笑い種なのか笑えないことか。
軽トラックのボディーに先方の屋号が書かれており、それで分かったのだが、
もしその後も分からずじまいだったらと思うと、我が身の先行きがちょっと悲しい。

 というのも、その数日後、またやって来て、剪定した枝を「捨てに行ってあげる」
「車を使ってもらってもいい」などという親切な申し出を受けたからだ。
彼の話し振りから、なんとなく私が田舎に帰ってくるのではないかと感じているようなところがあった。
それもこれも、この1、2年頻繁に帰省している姿を見ているからだろう。

独裁者も豹変す

 さて、そんな私の生活とは無関係に、気になる動きが起きていた。
ともに歴史の歯車を動かしそうな出来事で、1つは突然、表舞台に飛び出し、
もう1つは静かに進行している。

 人は前から来るもの、変化がはっきり見えるものに対しては身構えたり、
受け入れたりの対応ができるが、後ろから静かに、徐々に来る動きには気付きにくい。

むしろ警戒すべきは激変より「緩変」。

緩やかに進行する変化である。

気付いた時は「ゆでガエル」というやつだ。

 まず激変の動き。
今春、世界を驚かせた大きな変化と言えば朝鮮半島情勢。
「君子は豹変す」とはまさにこのことで、いままで暴君の限りを尽くしていた
金正恩朝鮮労働党委員長がハト派に豹変したのだからビックリ。
恐らく世界の人々が驚き、南北首脳会談のTV中継を刮目して見たに違いない。
 (君子は豹変す=徳の高い人物は自分の過ちに気付けば即座に改め、
  よい行いへと転じることが、きわめて素早く、はっきりしていること)

 かく言う私自身もそうだったが、ニクソン・毛沢東会談のようなことが
朝鮮半島で起こると予想した人がいただろうか。
金正恩委員長の異母兄、金正男氏がマレーシアのクアラルンプール空港で毒殺されたのが
1年前の2017年2月。
金正日総書記の後継者の地位に就いた後、残虐の限りを尽くしてきた男が、
わずか1年後、満面に笑みをたたえた「平和のハト」に変身するとは思いもしなかった。

 ただ、彼の変化には少し前から気付いてはいた。
後継者に就任後、政敵となりうる相手を次々に残虐な方法で処刑してきたが、
その頃は(あくまで映像で見る限りだが)どこか落ち着きがなく、
演説中、身体が左右に揺れるのが見て取れた。
それが金正男氏暗殺以後は顔からオドオドした表情が消え、態度も自信に満ちていた。
後顧の憂いがなくなったのと、相次ぐ核とミサイルの発射で軍事的にも自信を持ってきたからだろう。

 その後に待ち受けているのはさらなる強攻策。
国際的な緊張感、危険性が高まると多くの人が感じていたに違いない。
その矢先に政策を180度転換し、アイドル然としたにこやかな顔で国際舞台に
登場したのだから驚かない方が無理だろう。

 もちろん一直線にこのまま進むとは思われないし、北朝鮮の核廃棄に至っては
実現までにかなりの紆余曲折があると予想される。
それでも世界は彼の豹変と、平和への動きを歓迎するだろうし、そうすべきだ。
端から疑いの目で見、平和への歩みを邪魔するのではなく、
平和に向かって1歩でも2歩でも進むように働きかけることこそが重要だ。

 もしかすると、逆行し始めている歴史を再び前進させられるかもしれないではないか。

 残念なのは日本が蚊帳の外に置かれているということだ。
圧力一辺倒で、柔軟な外交戦略をなくしている安倍政権故と言える。
その反省に立ち、自民党政権にはかつての柔軟さを取り戻して欲しいと願う。



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崩壊するニッポン(4)~社会に蔓延する虚偽と保身

2018-07-18 10:23:44 | 視点
 あれは共産圏、独裁国家のことで日本ではそんなことはない、と思っている人がいるなら、その人はよほどのお人好しかもしれない。
 そういう人にはミルトン・マイヤーの著書「彼らは自由だと思っていた」を紹介すれば充分だろう。
 マイヤーは同書の中でマルティン・ニーメラーの詩を引用しながら次のように書いている。

 ナチスが共産主義者を攻撃した。
 彼はやや不安になったが、彼は共産主義者ではなかったので、何もしなかった。
 そして彼らは社会主義者を攻撃した。
 彼は不安だったが、社会主義者ではなかったので何もしなかった。
 それから学校が、新聞が、ユダヤ人がとなり、彼はそのたびに不安になったが、
 やはり何もしなかった。
 そして彼らは教会を攻撃した。
 彼は教会の人間であった。だから彼は何かを行なった。
 しかし、それは遅すぎた。

 いかなることも最初は小さなことから始められる。
25億円着服した男が数日前、台湾で逮捕されたが、彼もいきなり25億円横領したわけではない。
最初はもっと少ない金額を着服し、徐々に着服金額と回数が増えていき、
14年間で合計金額が25億円に達したのである。

 それにしても14年間もよく気付かなかったものだと思う。
よほど管理がずさんだったのか、よほど儲かっていた会社なのか。
いずれにしろリスク管理ができていなかったことだけは間違いない。

 犯罪であれ、歴史の改竄であれ、最初は小さなことから行われる。
いかに早く小さな段階で気付き是正するか、これぐらいはいいだろうと見過ごし、
いよいよになって声を上げた時は「遅すぎた」と後悔することになる。

 公文書の改竄、「モリカケ」問題はその一歩である。
次は「存在」を「不存在」とし、「なかったことにする」。
巷で流行っているダイエットなどのCMに習ったわけではないだろうが、
自衛隊の日報や官僚のセクハラを「なかったことに」されたのではたまったものではない。

 昔は(といってもせいぜい20、30年前だが)国会で証人喚問に呼ばれば
極度の緊張のあまり宣誓書へ署名する手が震えたほどだが、
この頃は高を括って、「刑事訴追の恐れがあるので答弁を差し控えたい」と
平然と証言を拒否する始末。
この戦術を編み出した弁護士自身が「最近はやり過ぎで、許せない」と憤慨している程だ。

 昨今、平然と嘘をつく人が増えているが、官僚も信じられないとなると、
本当にこの国には信ずるものがなくなってしまう。
人を見れば嘘つきと思わなければいけないようでは安心して住むこともできない。

 佐川宣寿・元理財局長、福田淳一・財務事務次官という官僚トップが平然と、
あったものを「なかったことにする」のだから、こうした権力を嵩にきたパワハラ、
セクハラ、保身のために嘘をつく風潮は社会全体にますます蔓延していく危険性がある。

 この国に再び「安全・安心」は戻るのだろうか、戻せるだろうか。