栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

地球温暖化防止こそが焦眉の問題

2022-08-27 15:29:32 | 視点

 つくづく自然は冷たく、不平等だと思う。昔、自然は平等だと考えていた。金持ち
にも貧乏人にも雪は等しく降り、銀世界に染めるのは同じだと無邪気に思っていた。
だが、それは間違いだったと気付いた。自然は平等主義でも慈悲深くもなく、むしろ
その反対だった。

飽くなき開発が災厄を生む

 例えば今回、南部九州に始まり、九州全域を襲った水害は平等ではなかった。被災
したのは金持ちより中流階層以下へのダメージの方が大きい。
 鹿児島でも西郷隆盛など下層武士は河川敷かそれに近い土地を開墾して住み着いた
ことが知られているように、川に近い土地に住むのは低所得者か、新たにその土地に
移り住んできた新住民が多い。


 近年でこそ「ウオーターフロント」と言われ持てはやされているが、ウォータフロ
ントとは日本語に直せば水辺、海岸近くの陸地のことだ。
 都市の膨張・拡大に応じて「水辺」を開発し、そこに臨海都市を建設する動きが加
速したのは80年代。そこに都市機能を充実させ、住宅地も建設して行ったのだから、
水の危険性は当初からあった。津波が来れば直接的な被害を受けるのは当初から分か
り切っており、本来、住宅地の建設には不適格だが、当時はそんなことを考える人は
ごく少数だっただろう。
 ウォータフロント、水辺が危険と再認識したのは東北大震災とそれに続く大津波と、
ここ数年、毎年のように全国各地で起きている豪雨による大水害によってだろう。

 最近でこそ「線状降水帯」という言葉をよく耳にするようになったが、10年近く前
までは見聞きした記憶がない。つまり、この気象用語は最近使われ出したものという
ことだ。
 この30年ほどの間に日本列島の気象状況は明らかに変わってきている。例えば新幹
線が博多まで開通した1975年前後頃は大相撲九州場所が始まると必ず雪が降った。そ
れが今では雪が降るどころか、観客席では扇子や団扇で扇ぐ姿がごく普通に見られる。
それぐらい暖かくなっている。
 もちろん、その間に福岡市の都市機能が増し、人口が増えたことによる都市の気温
が上昇したということもあるだろうが、こうした現象は福岡だけに限ることではない
ので、やはり日本列島全体の温暖化が進んでいるというしかない。

 温暖化の影響と思われる現象は世界各地で起きており、冬の豪雪、夏の猛暑と水害
が特徴的で、海水面が上がり水没の危機に直面しているのはツバルやキリバスだけで
なく、水の都として知られるベネチア(英語でベニス)も同じだ。
 毎年のように日本各地で起こる大水害に対する対策はもちろんだが、目先の対策だ
けではなくもっと根本的なところで手を打つ必要がある。人類の未来のために。

環境破壊で未知のウイルスが

 今、世界のあちこちで起きていることは、人類が環境問題に真剣に取り組んでこな
かったツケが回ってきていると言っていいだろう。COVID-19の世界的流行にしてもそ
うだ。本来、森や洞窟の奥にひっそりと潜んでいたコウモリなどの宿主が棲んでいた
場所を、人類が開発という名の下に侵略し、彼らの棲む場所を奪ったため、彼らは否
応なく人の近くに出没せざるをえなくなった。

 それは鹿や狸、猪、熊にしても同じで、人と彼らとの間に存在した緩衝地帯とも言
える境界がなくなったことが原因だ。棲み処を奪われた動物達は食料を求めて人間界
に近づいて来ざるを得ない。彼らを宿主としてきたウイルスも当然、人間界の近くに
現れることになるし、本来の宿主が減少してきたため彼らは新たな宿主を求めざるを
えなくなる。

 かくしてウイルスは生存のために人類を新たな宿主にしだしたわけで、仮にSARS-C
oV-2(新型コロナウイルス)の封じ込めに成功したとしても、それに代わる新たなウ
イルスがまた現れるだろう。
 本来、「ウイルスとの共存」と言うなら、ウイルスに本来の宿主を残してやり、人
間界との境界を守らせる以外にない。

山が荒れ、保水力低下も一因

 このところ毎年のように日本各地で起きている豪雨による大災害は地球温暖化と無
関係ではない。温暖化による海面の温度上昇が水蒸気をたっぷりと含んだ高気圧を発
生させている。
 南の高気圧と北の低気圧がぶつかり均衡を保つと前線が生まれ、前線の南側に大量
の雨をもたらすというのは指摘されている通りだが、年々、高・低気圧の力が均衡し、
前線の停滞が長引く傾向にある。
 特に今年は梅雨前線の停滞が異常に長い。気象関係者によれば豪雨災害は日本では
西半分に多いらしい。範囲をもう少し広げると、中国南部の三峡ダムの決壊の恐れも
言われており、温暖化防止は人類の生存をかけた闘いと言っても過言ではないだろう。

 世界的規模で言えば化石燃料の使用過多によるCO2の増加、アマゾン他の熱帯雨林
や森林伐採を伴う乱開発によるCO2吸収量の減少、急激な都市化による都市の熱放射
(ヒートアイランド現象を含む)、地上を走り回る車と空を飛び回るジェット機、さ
らに最近は牛が出すゲップに含まれるCO2までが問題にされている。
 しかし、これらの削減による温暖化防止策には重要な観点がいくつか抜けている。
それについては後述する。

 一方、国内に限って言えば別の側面も見える。戦後の住宅ブームで林業が儲かる産
業として脚光を浴び、盛んに植林もされたが、植林されたのは杉ばかり。それが後に
安い輸入材が入ってくるようになり、競争力に敗れた国内林業が廃れていったのも知
られている通りだ。
 木材の販売額が山からの搬出費用を上回れば伐採はしても搬出せず、その場に倒木
として放置される。そこに持ってきて林業従事者の高齢化が重なればなおのことだ。
 かくして森林は荒れ、山の保水力は弱まり、大雨になれば倒木が凶器となって山肌
を滑り落ち、道路や家屋を襲い、河の流れを堰き止め、被害を大きくしていったのは
今回九州各地を襲った大水害でも目にした光景である。

 短期的には治水事業等で少しでも被害を減らさなければならないが、それらは飽く
までも対処方法で、どこかを治せば別のどこかで被害が起きる、もぐら叩きのような
ものだ。もう少し長期的な視野で当たる必要がある。
 地球温暖化防止への取り組みは待ったなしだ。選挙対策などではなく、よほど真剣
に取り組まなければ、冗談ではなく人類は滅びるだろう。

 温暖化防止が言われだしたのは何もこの10年や20年ではない。その前から指摘され
世界規模で取り組んできているが、各国の利害が複雑に絡み合い、なかなか全世界が
一致して取り組むというところには来ていない。
 しかし、ここまで自然災害が世界各地を襲い出すと、もうそんなことは言っていら
れないだろうし、もしかすると今回のCOVID-19の世界的大流行が1つの契機になるか
もしれない。

レジ袋の廃止で森林伐採が増える

 総論賛成、各論反対ということはよくある。特に政治の世界では。環境問題も似た
ようなところがあり、こちら側から見れば善だが、あちら側から見れば逆に環境破壊
に繋がるという矛盾が起こり得る。
 例えば7月1日からレジ袋の無料配布廃止が全国で一斉に始まった。プラスチック
製品の削減と、海洋生物に与える影響防止のためである。特に後者は近年、問題化さ
れており、海洋生物の体内に蓄積されたマイクロプラスチックは、魚類を食べる人間
の体内にも蓄積されていくため人類の生存とも関係してくる。
 こうしたこともありレジ袋の代わりに「マイバック」を持参する消費者が増えてい
る。私自身も買い物に行く時はマイバックを持参しているが、店によってはユニクロ
のように紙袋に替えたところもある。
 こうした動きは世界的に広まっており、プラスチック製のストローを紙製のものや
ほかのものに替えたり、ストローを廃止したところもある。

 これらは悪いことではない。しかし、ブーム的な既視感を覚える。10数年前にマイ
箸が流行り、飲食店は割り箸を塗り箸に替え、繰り返し使用するようにしたが、いつ
の間にやら割り箸が復活し、今でも塗り箸を使っている店は少数派になっている。こ
れにCOVID-19が追い打ちをかけ、塗り箸を使う店はほぼゼロになるだろう。

 もう一つはユニクロのようにレジ袋やビニール袋を紙袋に替える動きだ。たしかに
動物や海洋生物の胃袋をプラスチック製物質から守ることには役立つだろうが、紙製
品の使用が増えれば森林伐採はさらに拡大する。
 国内の間伐材を使用すると主張するかもしれないが、量と価格の両面から考えれば、
それはないだろう。

 リサイクルにも同じようなことが言える。リサイクル、リユース等を進め循環型社
会を目指すという謳い文句の下、各自治体では積極的にリサイクルに取り組んでいる
が、その実態はクエスチョンマーク付きだ。
 非常に細かく分類して収集する自治体がある一方、福岡市などのようにリサイクル
回収するのはペットボトルとビンだけで、後は燃えるゴミ、燃えないゴミに分け、焼
却か埋め立て処分というところもある。

 ここだけを見れば細かい分類をしている自治体の方がリサイクルに熱心なように思
えるが、もう少し先の出口まで見なければ、一概にどちらがどうとは言えない。 と
いうのはリサイクル品として回収されたものの大半は海外の新興国へ輸出されている
からである。輸出と言えば聞こえがいいが、実際はゴミの新興国への押し付けだから
だ。
 以前は中国が主要な「リサイクル資源」の輸出国だったが、近年は輸入禁止措置が
取られている。中国に代わるアジアの他の諸国も経済力をつけてくるに従い、「ゴミ
の輸出」拒否の姿勢を鮮明にし出したので、国内の回収リサイクルゴミは行き場を失
い、回収業者の敷地に山積みになったまま放置されている。そこに今回のCOVID-19が
追い打ちをかけ、ますますリサイクルゴミは行き場を失っている。

 リサイクルとは循環であり、それを広範囲な地域、地球規模で捉えてリサイクルと
言うのは詭弁以外の何物でもないだろう。本来、自国内で処理すべきで、そういう意
味ではCO2の排出取引というのもおかしな方法だが、何もしないよりはした方がいい
ということか。

生産量の減少こそが必要

 さて、先に「温暖化防止策には重要な観点がいくつか抜けている」と指摘した問題
に移ろう。
 現在、叫ばれ、取り組まれている温暖化防止策はすべて「出口」対策である。レジ
袋は使わないようにします、電力の使用量を減らしましょう、そのためにエアコンの
温度設定を〇度に上げましょう、〇度に下げましょう、化石燃料を自然エネルギーに
替えましょう、省エネ製品を使いましょう、ガソリン車からプラグインハイブリッド
や電気自動車に替えましょうetc。

 過去にこんなCMがTVで流れたことがある。「古い電気製品を省エネ対策の新しいも
のに替えましょう」(言葉は正確ではないが)というような内容で、電化製品を新製
品に替えた方が省エネになるというものだった。広告主は政府だった。
 このCMには強い違和感を覚えたものだが、同じように感じる人達がいたのだろう、
放映期間は短かった。
 このCMの何が問題かといえば、1つは省エネに名を借りた消費行動を促している点
であり、もう1つはトータルで見た場合の省エネ率がどうかという点である。

 私が問題にしているのは後者の点である。温暖化防止策で本当に必要なのは川下で
はなく川上対策だと考えるからだ。
 もちろんリサイクルや少消費行動は必要だ。だが、その前に物量作戦を展開してい
るメーカーこそが問題ではないのか。
 例えば車の生産台数やモデルチェンジサイクルは妥当なのか。大量生産・大量販売
を続けるユニクロなどのファストファッションメーカーは衣類を作り過ぎではないの
か。
 とにかく身の回りを見渡すだけでモノが溢れているのが現代だ。なぜ、そんなにモ
ノを作り、消費者に次から次へと買わせようとするのか。
 そのためにどれだけの資源を食い潰し、環境破壊を続けているのか。それを消費者
のためと言うなら、それは詭弁だ。すべて自分のため、自社の利益のために他ならな
いだろう。
 そうした経営者には「足るを知れ」と言いたい。被災地に寄付をしたり物資を送る
こともいいことだ。しかし、本当に望んでいるのは毎年のように各地で起きる集中豪
雨が起きる一因でもある温暖化を止めることだろう。

                          (2020年7月10日)