栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

「見えている」ことと「視る」ことは違う。

2006-05-08 00:14:09 | 視点
藤の花が見頃だ。藤棚の藤もきれいだが、山に咲く山藤もきれいである。
いままで三つ葉ツツジも山藤もその存在すら知らなかったが、あれが三つ葉ツツジ、これが山藤と教えられると、以来行く先々で目に付くようになる。
つくづく人間の目は便利に出来ていると思う。
それまでは見えていても気付かないものが、意識した途端に視えてくるようになるのだから。
人間の目を模したカメラのレンズにはこんな芸当は出来ない。
せいぜい焦点を合わした物以外をぼかすぐらいが関の山だ。

「見える」と「視える」は違う。
大事なのはいかに「視る」かということで、漠然と「見」ていても何も視えてはこないだろう。
「視る」時に必要なのは自分の視座、つまり価値観である。
きちんとした価値観を自分の中に持たない人は物事を見ていも、ただ見(え)ているだけで実際には何一つ視えてないのと同じことである。
私は講演の時などにこのことを例えて英語のseeとlookの違いだとよく言っている。

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