リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

夜のウォーキングが楽しくなる季節

2021年12月03日 | 日々の風の吹くまま
12月2日(その2)。今日は1日がかりで地中海クルーズで撮りまくった写真の整理をしていて日が暮れた。冬至が近づいて来て、日の入りは4時15分だから、暗くなるのはあっと言う間。日課のウォーキングはカレシの提案で晩ご飯のあと。今ごろの季節は、街頭にはクリスマスのライトがつき、ツリーを飾り付けた店やオフィスも多くて、暗くなってからの方がウォーキングが楽しいので願ったり。特に古くからの由緒ある住宅地クィーンズパークは前庭にクリスマス飾りをする家が多いし、(のぞくわけじゃないけど)カーテンをしていない家の中のツリーも見えるから、きょろきょろしながらのウォーキング。でこぼこの歩道には気を付けないと・・・。


ニューウェストミンスター市の中心地であるSixth & Sixth(6番ストリートと6番アベニューの交差点)の風景

ロイヤル・シティ・センターのモールの入口もきらきら(毎年同じライトだけど)

6番アベニューの家はちょっと張り切り過ぎたんじゃないかと言う気もするくらいのライトアップ

サンタもとなかいも目が眩んでしまうかも

6番アベニューと2番ストリートの小学校の校庭の隅にある大木がクリスマスツリーに変身。我が家のオフィスからよく見える。先週1日だけ点灯してからずっとライトが点いていなかったのが、きのうからまた夜景を彩ってくれるようになった。たぶん大雨でショートでもしたんだろうな。

あしたこそは地下駐車場のロッカーからクリスマスツリーを出して来なくちゃ。


旅の記憶が薄れないうちに~パルマ・デ・マヨルカ

2021年12月03日 | 日々の風の吹くまま
12月2日(木曜日)。🌤☀。今日もまた朝の4時過ぎに、今度はカレシに「何か大きな音がした」と起こされた。ワタシは聞かなかったけど、何かが落ちたような音だったと言うので、2人して起き出して「目視調査」。カレシは「金属的な音だった」と言うけど、それらしいものはどこにもないので、結局は、他の部屋か外から聞こえたのかもしれないし、カレシが「夢でも見てたのかなあ」と言い出すしで、調査は打ち切り。朝になって、リビングの角の隅で窓枠に両面テープで固定してあったプレキシガラスが外れて、敷居の上の置物(こなごな)と前の台に置いてあった(枯れた)ベゴニアの鉢をなぎ落としたためとわかったけど、何だってこんな時間に何度も騒ぎが起きるんだろう。寝不足ストレスになっちゃうじゃないの。

でもまあ、電話と煙探知器に続いて3度目だから、2度あることは3度あるの諺の通り、「午前4時半の怪」はこれっきりにしてもらうことにして、休養がてらのんびりと1日ごとに通し番号を付けたフォルダに入れてある旅の思い出の整理。終点のひとつ前の寄港地は、バレンシアからちょっと北上して、マヨルカ島のパルマ。マヨルカ島、メノルカ島、イビサ島、その他の島々を合わせてバレアレス諸島。まだ大砲や鉄砲がなかった頃、この諸島の男たちは中石器時代に始まった紐で敵をめがけて石を投げつける「投石術」に長けていたので、古代の地中海の覇権争いではその正確さと殺傷力で傭兵として引っ張りだこだったらしい。


朝のパルマ港。有数のリゾートだけあって、停泊しているボートやヨットの数のすごいこと

おや、またお会いしましたねえ。行く先々の港にいたTUIのクルーズ船Mein Schiff 2号。総トン数11万トンちょっと、船室が1500室近くあって、乗客定員は2500人以上だそうで、うわ、でっかぁ~い。それに比べたら、総トン数2万8千トン、船室200室、乗客定員380人のシルバーシャドウの何とちっちゃぁ~いこと。

埠頭で待っていたバスに乗って、まずは船から丘の上に見えていたベルヴェル城へ。世界のどこでも古くからある港町は坂道が多いけど、パルマにはあまり急な坂道はないという印象。いかにも観光地といった雰囲気で、日本からの観光客も多いのか、バスの窓からはすき焼レストランや寿司屋の看板も見えた。前日寄港したバレンシアと同様、マヨルカ島が所属するバレアレス諸島もカタルーニャ語圏にあって、ガイドさんは「カタルーニャ語のマヨルカ方言です」と言っていたけど、スペイン語と並んで公用語になっている。単にスペインと言っても、かってはいくつもの王国に分かれていたんだし、今のバレアレス諸島は「自治州」だそうだから、いわばいろんな言語や文化が集まってできた多重文化国家ということになるのかな。地中海を取り巻く世界の歴史はほんっとに奥が深い。


奇抜な壁画で飾ったアパートには思わず、うわっ。

マヨルカ王の居城だったベルヴェル城の「天守閣」。城は14世紀に建てられたもので、井戸のある円形の中庭を中心に、天守の他に3つの塔がある。敵に包囲されたときは城主の一家が天守に移って「橋」を破壊し、何ヵ月も籠城したんだそうな。たったの一度を除いて、籠城で陥落したことはないらしい。戦いの武器が弓矢から射程距離の長い大砲に変わったときは、砲弾が届かないように城壁を外側に拡張して対応したそうだから、地中海地方を行くとよく高い丘の上に見える中世の城砦や城跡はまるで生き残り戦略のお手本みたいなものかな。
中央の円形の中庭。真ん中は地下に貯めた水を汲むための井戸。中世の城の暮らしってどんなものだったんだろうな。
見上げると、真ん丸な空。満天の星空に何を思ったのか・・・。
何百年分あるのか、落書きを残したくなるのは人間の性なのかな。
城の外にあったオリーブの木。

丘を下りて来て、海に面した海岸公園へ。噴水のある広場を通って、階段を上がったところに向かい合ってるパルマ大聖堂とアルムダイナ宮殿へ。船からも見える大聖堂は、すぐそばに立ってみたら圧倒するような高さ。身廊はパリのノートルダム大聖堂よりも10メートルくらい高くて、元々イスラム教徒のモスクがあったところなので、メッカの方を向いているんだそう。1230年に着工して、完成したのは何と370年も後のこと。


右側がパルマ大聖堂、左側は14世紀に建てられたアルムダイナ宮殿。

大聖堂の身廊

一時期19世紀の大地震で受けた被害の修復計画を指揮していたガウディが残した祭壇

ステンドグラスを通して差し込む日の光に染まる身廊の柱

迎賓館にもなるアルムダイナ宮殿の塔の上に立っているのは大天使聖ガブリエル。風向計として作られたので、風によってくるくると向きが変わるので、パルマでは言うことがくるくる変わる人に「あなたって聖ガブリエルみたいね」と言うんだそうな。その通り、写真を撮ったすぐ後でくるっとこっちを向いてくれた。

大聖堂のある高台からパルク・デ・ラ・マールの向こうに港を望む。棕櫚の向こうで待っているシルバーシャドウ号

船に帰る途中でバスから見かけたクラフトマーケット

パルマ・デ・マヨルカは有名なリゾート/観光地と言う以外はまったく予備知識を持っていなかったので、見た目は典型的なリゾートだけど、中世の地中海の交易や覇権争いを経験して来た歴史の豊かさには目を開かれた感じ。ワタシにとって、今回のクルーズはまさに中世ヨーロッパ史の勉強の旅だったと思う。行けてほんとに良かった。