リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

今や日本語を手で書くのは風前のともしび

2021年12月20日 | 日々の風の吹くまま
12月19日(日曜日)。☀☀。日の出のオレンジ色の光が、ドアを開けたままの寝室にまっすぐ差し込んで来て、まぶしさで目が覚めた。午前8時15分。あさってはだんだん日が長くなり始める冬至。それからはどんどん春に向かうってことで、つまりはいつも「未来」があるってこと。朝っぱらからそんなことを言ってたら、こんな世情なのに能天気なやつという烙印を押されそうだけど、ワタシってどうも元々能天気なところがあるみたいで、かといって無鉄砲にのほほんと構えているわけじゃないのよ(と思いたい)。

明るい日差しが元気の素になったのか、今日は何となくやる気が出て来て、午前中はなぜかちんたらちんたらとやっていたクリスマスカードの発送準備に専念。日本の家族や友だちに送るのに、一言メッセージを添えるんだけど、何だか小学生が書いたような感じで、あぁ~あ、手書きの日本語はもう絶滅寸前の風前の灯火かぁとため息。ひらがなはまだいいとしても、漢字はいざ書こうとしても字画を思い出せなくて、うろ覚えのむにゃむにゃのいい加減。まあ、キーボードは英語だから日本語はローマ字でしか入力できないし、半世紀近い英語100%の暮らしで日常の手書きと言えばもっぱら英語だし、こんな時でもないと手で日本語を書くことなんかないから、しょうがないや。脳内では日本語はまだ健在なんだけどなあ(と思いたい)。

でも最近、日本のメディアに鉛筆で字を書けない子供の話が出ていて、タブレットを使うことによって鉛筆を使うスキルが低下してきれいに書けなくなったというようなことを言っていた。タブレット教材と言うのは初耳だけど(最近は初耳の日本語が多くなった)、あれ、確かに鉛筆で紙に書くのとは感覚がぜんぜん違うから、大人だってきれいに書けないよね。その上で漢字を書くとなると、今どきは何だってスマホやPCのキーボードでちょいちょいと「打って」しまえるから、いざペンを持って紙を前にしたら、はてと立ち往生することになるわけ。手書きというのは手首から先の手全体を使う作業なんだけど、まず指先でのタッチで済むキーボードの構成に慣れてしまって、ペンを持った手は思うように動いてくれない。おまけに、デジタル時代は、仮名でもローマ字でも単語の「読み」を打ち込めば漢字の変換候補が出て来るから、そこからそれらしく「見える」のを選べばいいわけで、字画も筆順も知らなくたって困らない、とにかく便利至極のいい時代。

もっとも、英文タイプ歴55年で、日本で高校を出て就職して以来のキャリア全体を通してキーを叩いて来たもので、両手の指先が英語を覚え込んでいるらしく、手で書くときでも、いちいち単語の綴りを考えなくたって、ペンを持った手が自然に書いてくれる。最初は修正機能のない手動のタイプライターの時代だったから、うっかり間違うとカーボン紙を挟んだ何枚もの紙を修正しなければならなくて、ラインがずれないようにそれをやるのに大変な神経集中が必要だったので、必然的に正確な綴りとそのキーの場所への正確な指運びを(手が)体得したらしい。それで、日本語もローマ字入力なので、漢字と仮名で構成される言語でも、例えば「日本語」はワタシの手にとっては「n-i-h-o-n-g-o」であって「にほんご」ではないわけで、まあ、ワタシの場合は、漢字を手で書ける、書けない以前に、「忘却」という問題があるのかもしれない。この先10年後、20年後にはどうなってることやら。


冷え込みそうな夕暮れの空の色

満月の輝く冬の夜は寒い