【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

歩いて探していい感じ

2011-09-25 16:27:16 | 趣味の器(壺)~その他






主張や執着という、どぎつさを取り去ってしまった
もので、こういう色はまれに天然の色に見る。
例えば残照の雲間にふと現れて
次の瞬間には消えるかも知れない である。
                【司馬遼太郎作 「街道を行く」】


   意外にも朝の庭には雨粒がキラリ。
  どうやら夜のうちに雨が降ったようです。

   道理で昨夜は一昨日のような寒さを感じませんでしたっけ。
  でも、程良い気温。降る雨としては眠っているうちに降り、
  夜明けと共に上がるって、最高の降り方ですものね。

   さて、昨日に引き続き、今日も四天王寺の話題を。
  つい何年か前までは・・いいえ、5年前にも既に閑散という風に記していますから、
  かれこれ10年前くらいにはなるかも知れません。ここが活気を呈していたのは。
  
   それこそ聖徳太子の命日である毎月21日は、沿道は人で溢れていましたし、
  ましてやお彼岸ともなれば、歩くのにも苦労した程。
  お手洗いも順番待ちで同様です。今は昔。

   以前、馴染みだったお店はまだありましたが、辺りはすっかり様変わり。
  人出が少なくなったからお店も減って行ったのでしょう。
  
   そのお店の方が言われるのには、景気をもろに被っているとも。
  神社、仏閣などは景気の動向にはあまり関係ないようですが、あるのですね。


【「根来(ねごろ)塗りのスプーン】


【土物のカップにくすんだ赤が粋】


   こちらは昨日求めて来た根来塗りのスプーンです。その前に今日の引用文。
  司馬遼太郎の 「街道は行く」 の作品中に、その根来塗りの記述を見つけました。
  まさに “刹那の赤” なのですね。

   その歴史は古く、骨董品好きの間では知る人ぞ知る塗り物なのだそうですね。
  和歌山県の真言宗のお寺、「根来寺」 に由来するとか。

   漆塗りの良さは既に碗等で実感していますが、
  しっとりと柔らかく、口当たりの良さは格別です。おまけに熱を伝えません。

   そして、スプーン。
  今日初めて使わせて頂いたのですが、耳に不快な摩擦音もなく心地良い響き。
  大好きなちょっと暗めの土物の珈琲カップに、この赤がアクセントとなって粋。

   そうそう、赤色に見え隠れする黒色の斑紋。
  これは年月を経た朱塗りの物に表れる特徴だそうです。
  という事は、このスプーン、かなり年代物かも知れません。