主張や執着という、どぎつさを取り去ってしまった もので、こういう色は稀に天然の色に見る。 例えば残照の雲間にふと現れて 次の瞬間には消えるかも知れない 赤 である。 【司馬遼太郎作 「街道を行く」】 |
意外にも朝の庭には雨粒がキラリ。
どうやら夜のうちに雨が降ったようです。
道理で昨夜は一昨日のような寒さを感じませんでしたっけ。
でも、程良い気温。降る雨としては眠っているうちに降り、
夜明けと共に上がるって、最高の降り方ですものね。
さて、昨日に引き続き、今日も四天王寺の話題を。
つい何年か前までは・・いいえ、5年前にも既に閑散という風に記していますから、
かれこれ10年前くらいにはなるかも知れません。ここが活気を呈していたのは。
それこそ聖徳太子の命日である毎月21日は、沿道は人で溢れていましたし、
ましてやお彼岸ともなれば、歩くのにも苦労した程。
お手洗いも順番待ちで同様です。今は昔。
以前、馴染みだったお店はまだありましたが、辺りはすっかり様変わり。
人出が少なくなったからお店も減って行ったのでしょう。
そのお店の方が言われるのには、景気をもろに被っているとも。
神社、仏閣などは景気の動向にはあまり関係ないようですが、あるのですね。
【「根来(ねごろ)塗りのスプーン】
【土物のカップにくすんだ赤が粋】
こちらは昨日求めて来た根来塗りのスプーンです。その前に今日の引用文。
司馬遼太郎の 「街道は行く」 の作品中に、その根来塗りの記述を見つけました。
まさに “刹那の赤” なのですね。
その歴史は古く、骨董品好きの間では知る人ぞ知る塗り物なのだそうですね。
和歌山県の真言宗のお寺、「根来寺」 に由来するとか。
漆塗りの良さは既に碗等で実感していますが、
しっとりと柔らかく、口当たりの良さは格別です。おまけに熱を伝えません。
そして、スプーン。
今日初めて使わせて頂いたのですが、耳に不快な摩擦音もなく心地良い響き。
大好きなちょっと暗めの土物の珈琲カップに、この赤がアクセントとなって粋。
そうそう、赤色に見え隠れする黒色の斑紋。
これは年月を経た朱塗りの物に表れる特徴だそうです。
という事は、このスプーン、かなり年代物かも知れません。