こうして自分の部屋に1人いるのが私は好きだ。 鼠たちも楽しく過ごしているなと 思うと嬉しくなる。 又私の小さな所有物からも 非常な喜びを感じる。 これらの物は他の誰にも 何の意味も成さないのに、 私には特別な意味を持っている。 (中略) ここへ来るや否や 私は自分の王国へ入った事になる。 ここで本を読み ―― ここで夢想に耽り ―― 窓辺に座って空想を詩に形作って 行くのが好きだ。 【「アンの青春」 第6章】 |
昨日は台風並みの強い低気圧が日本列島を縦断しましたが、
皆様の所は如何だったでしょうか。
この時期、こんな嵐は初めての経験です。
それにしても最近、初めての事が何と多いのでしょう。
その低気圧一過、一気に快晴とは行きませんでしたが、
少しずつ・・お昼ちょっと前ぐらいから回復。
今は東南の空にお月様が、くっきり出ています。
ところで、一気に駆け抜けたこの爆弾低気圧。
私の中ではなぜか、モーツァルト、
「交響曲第40番ト短調」 を思い描いたものです。
尤も、その根底には昭和を代表する文芸評論家、
小林秀雄の言葉にありますが・・。
今日のタイトルの 「疾走する哀しみ」 は、
第4楽章の氏の有名な評言です。雑踏の中で鳴る40番。
天才たる所以(ゆえん)の発想ですが、
大勢の中だからこそ、却って際立つ孤独(哀しみ)。
何となくですが、分からないではありません。
ただ自身が、あまり幸せな時ではないのかも知れませんね。
そんなこんなで昨日の吹き渡る強風は、
あの有名な旋律を物哀しく奏でているように思われ・・。
久し振りに、じっくりこの曲を聴いてみたくなりました。
スコア片手に。
40番は、ブルーノ・ワルター指揮のものが
聴きたかったのですが、ここでも又々、見つかりません。
レコードは見つかりましたけれど。
代わりにバレン・ボイム指揮、ウィーン交響楽団の演奏で。
そうそう、レコードジャケットの絵は、ロランの
「踊るサテュロスとニンフのいる風景」 でしたのに、
写真、全然写っていませんね。うっかりです。
モーツァルトにとって、ト短調という調性は、
特殊な感情を持っていると言われていますが、
第25番(小さいト短調の交響曲)と共に
独特の味わいがあります。
周りに手持ちのグッズを並べて18世紀のヨーロッパ気分。
「想像の余地」 の大切な産物です。