ある風変わりな農夫が植えた巨大な林檎の 木が、ぎっしりと枝々を差し交わして 立ち並んでいた。 頭上には香り高い、雪のような花が 長い天蓋のように続いていた。 枝の下には紫色の薄暮が一面に 立ち込め、遥か先の方に、寺院の通路の 外れにある大きな薔薇形窓のように、 夕焼け空が輝いていた。 【「赤毛のアン」 第2章】 |
花曇りの今朝は、鶯(うぐいす)の鳴き声で目覚めました。
どうやら近くまで下りて来ているようで、その声はすぐそこに聞こえます。
元々、山だった所を切り開いて造成した住宅地。
今、最後に残った田舎風情の垣間見える場所にも工事の手が入り、
鶯にしても、住む場所を失いつつあるのかも知れません。
便利さと引き換えに失うもの。
しかも私などは、その恩恵に与(あずか)るものですから、
複雑な気持ちです。
そうそう先日もお伝えした、切り取られた川土手の桜の事。
今、残っている桜の本数を数えてみましたら丁度、7本。
せめてこの7本だけは残して欲しいと、願ってやみません。
さて、冒頭の写真。
桜の花びら絨毯の小径と名残りの桜。
朝見た里山の桜は、まだまだ健在ですが、下界はそろそろ終わりでしょう。
それにしても、この径の向こうには引用文の如く、
紫色の薄暮が一面に立ち込め、薔薇形窓のような夕焼け空が
広がっているに違いありません。そんな想像を掻(か)き立てる径。
ところで、ちょっと道端に目を遣(や)れば、
まだまだ 「ナズナ(別名:ペンペン草・三味線草)」 が咲いています。
三味線草・・よく見れば実が三角で、三味線のバチに似ていますものね。
そう言えば、このナズナと 「種付け草(タネツケソウ)」 を
一部、間違えていました。(写真) でも本当に良く似ていますね。
かつて田植えの準備の一つとして種籾(たねもみ)を
水に浸けたそうですが、その時期に咲くので、この名前が付けられたとか。
もう一つ、「阿蘭陀耳菜草(オランダミミナグサ)」 も。
つい最近、名前を知ったばかり。どれも小さな白い花です。
「よく見れば 薺 花咲く垣根かな」 ~ 芭蕉 「妹が垣根 さみせん草 の花咲きぬ」 ~ 蕪村 |
ここのさみせん草は 「三味線草」、すなわちナズナの事ですが、
恋人(妹)の住む家の垣根にナズナが咲いて、その花が三味線の音を今にも奏でそう・・
~というのですから、ロマンティックです。
それにしても日本を代表する俳人である芭蕉も蕪村も、
道端の、この繊細な白い小さな花に心を寄せたのですね。
尤も、蕪村の句は芭蕉を意識して作ったものだそうですね。