歴史と地理のお勉強。旧ソビエト連邦を構成する共和国。加盟したのは1922年から1940年の間になりますが、1991年にソ連解体と共に消滅。その共和国とは…以下、解体後の国名です。
ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ウスべキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア、カザフスタン、キルギスタン、エストニア、モルドバ、ラトビア、リトアニア
う~む、聞いたことのある国名ばかりですね。でもよく知らない…。その中で、ソビエト連邦共産党中央委員会書記長を務めたヨシフ・スターリンの出身地ゴリがあるのが、グルジアです。
そのグルジアから、映画に愛を込めた作品がやって来ます。1934年2月2日、ソ連グルジア共和国出身のオタール・イオセリアーニ監督の「汽車はふたたび故郷へ」(10)です。
牧歌的な少年時代を過ごしたニコラスこと、ニコ(ダト・タリエラシュヴィリ)は、自分の夢を叶え、映画監督になりました。しかし、ようやく完成させたニコの映画は、検閲で“上映禁止”と判定されます。
ある日、ニコは友人の手引きで、フランスからやって来た大使に会うべく大使の滞在先を訪れます。ここでも盗聴に気を配りつつ会談するニコたち。ところが、何者かによって監視されていたのです。
投獄され、暴行を受けるニコ。どうにか祖父母が用意してくれたワイロ代わりのワインを片手に、政府高官の元へ。するとニコは出国を勧められるのでした。グルジアでは自分の映画を作ることはできない…。
ニコはフランスへと旅立ちます。プロデューサーに気に入られ、出資を受け映画制作に取り掛かります。しかし、ここでもニコは思うように映画を作ることができなかったのです。それは…
『独創性が強すぎる』とか、『映画は90分を越えてはならない』とか…。果たして、ニコは自分の作りたい映画を作れるのでしょうか?監督が初めて自分自身の半生を主人公に投影した作品。
イオセリアーニ監督は、自ら監督、脚本、編集、出演した「月曜日に乾杯!」(02)でベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)受賞。未見ですが。本作は、2010年カンヌ国際映画祭特別招待作品です。
ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ウスべキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア、カザフスタン、キルギスタン、エストニア、モルドバ、ラトビア、リトアニア
う~む、聞いたことのある国名ばかりですね。でもよく知らない…。その中で、ソビエト連邦共産党中央委員会書記長を務めたヨシフ・スターリンの出身地ゴリがあるのが、グルジアです。
そのグルジアから、映画に愛を込めた作品がやって来ます。1934年2月2日、ソ連グルジア共和国出身のオタール・イオセリアーニ監督の「汽車はふたたび故郷へ」(10)です。
牧歌的な少年時代を過ごしたニコラスこと、ニコ(ダト・タリエラシュヴィリ)は、自分の夢を叶え、映画監督になりました。しかし、ようやく完成させたニコの映画は、検閲で“上映禁止”と判定されます。
ある日、ニコは友人の手引きで、フランスからやって来た大使に会うべく大使の滞在先を訪れます。ここでも盗聴に気を配りつつ会談するニコたち。ところが、何者かによって監視されていたのです。
投獄され、暴行を受けるニコ。どうにか祖父母が用意してくれたワイロ代わりのワインを片手に、政府高官の元へ。するとニコは出国を勧められるのでした。グルジアでは自分の映画を作ることはできない…。
ニコはフランスへと旅立ちます。プロデューサーに気に入られ、出資を受け映画制作に取り掛かります。しかし、ここでもニコは思うように映画を作ることができなかったのです。それは…
『独創性が強すぎる』とか、『映画は90分を越えてはならない』とか…。果たして、ニコは自分の作りたい映画を作れるのでしょうか?監督が初めて自分自身の半生を主人公に投影した作品。
イオセリアーニ監督は、自ら監督、脚本、編集、出演した「月曜日に乾杯!」(02)でベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)受賞。未見ですが。本作は、2010年カンヌ国際映画祭特別招待作品です。