骨挫傷で 再び ベッドへ 逆戻りです。
本に読み耽りました。どうなるか選挙の結果はわかってはいたけれど 実際眼前にすると 日本の今後を 子どもたちの今後を思い暗澹としました。
本の世界に耽る 浸ることは 、気分転換になります。
流れる星は生きている 作者の藤原ていさんは 作家新田次郎さんの夫人です。新田さんは気象庁に務めていて 新婚の夫人を伴い 満州に赴任。正広 正彦 咲子の二男一女をもうけます。しあわせもつかのま 次第に食料事情は悪くなり ついに 8月9日 午前0時 ソ連の数百台戦車、150万の兵士 が満州に攻め寄せます。
荷物をまとめ 幼い子どもを抱え 逃避行がはじまります。夫たちは連れていかれ ていさんは男手のない気象隊の副代表を押し付けられます。この体験談にはソ連や中国人との葛藤はほとんど書かれてはいません。内部の日本人との軋轢に多くが割かれているのです。お金を持つもの 持たざるもの の食べ物の差 何百キロも歩くのですから 牛車に子どもを乗せられるかどうかが生死の境になる。
ていさんは 知恵の限りを尽くす。半ば、脅して 仲間から5百円のお金を借りる。川を渡るときはもうお金がないので ひとりずつ 抱きかかえ 往復する。小石が食い込んだ足で 血だらけになりながら 鬼のように我が子を追い立てる。乳飲み子を見捨て ふたりを助けようかと悩みながら いざとなったら 子をみな殺し 自分も死のうと覚悟の紐を握りしめる。
ていさんを、苦しめたのは 子を抱えていることで周りの日本人から受ける罵りや差別そして圧力でした。
現代日本の電車の中にそれは残っている。またそのために 満州や沖縄でどれだけの母親がわが子を手にかけたことでしょう。
ていさんは半死半生になりながら子ども三人 欠けることなく 日本に連れ帰りました。帰還船のシーンで 流れる星は生きている の意味がわかり 胸に迫ります。けれどもわたしは 開拓団の人たちは もっともっとたいへんだったことを知っているので なんともいえない気持ちが残りました。満鉄の家族 公共機関の家族はまだ恵まれていました。たとえば元川満子さんは11人家族で満州に渡りますが 父はソ連に殺され 長男は応召して戦死 妹はー逃避行で 母 幼い弟 12歳の兄は収容所で餓死あるいは凍死 姉と弟は中国人に引き取られますが 衰弱死 兄ふたりは帰国 満子さんは1985年 永住帰国を果たします。養父母には可愛がられますが 日本人であることが知れるといじめられるので土や雪のうえに棒切れで字を書いて 父母や兄弟の名を忘れないようにしたそうです。
幻の満州国 満州をめぐる 岸元首相をはじめとする 男たちの野望が 何十万 もの人生を、狂わせ 塗炭の苦しみをなめさせ いのちを奪ったこと 忘れてはなりません。
新たな野望が 台頭していることも。彼ら 権力を持つものは 国民ひとりひとりの人生 いのち かけがえのないものについて 一顧だにしないのです。わたしたちは コマ 小石 でしか ありません。
いろいろな方々に戦時体験を伺いましたが 中国人は優しかったという方が多かったことを記しておきます。
つづきはあとで。