遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



    少女まんが中興の祖、西谷祥子は水野英子が「白いトロイカ」を執筆中 アシスタントをしていたそうです。好きな漫画家は石森章太郎 水野英子。

    はじめての連載「リンゴの並木道」1965

......ジェーンは都会から家族と父の赴任地に移り住みます。芳しいりんごの並木道でジェーンは印象的な少年ビルに出会います。けれどジェーンが心を惹かれたビルはなぜか村のひとたちからつまはじきにされていました。村の名士の息子 ロバートはジェーンと友人になりたがっていたました。彼には車椅子の妹アンナがいました、ある日ロバートはジェーンとビルが親しげにしているのを見て嫉妬し 「これ以上家族を不幸にするな」とビルを追い出してしまいました。

    ビルがアンナを故意にかたわにしたのだというのです。その夜ジェーンの家にアンナが自分の足でやってきました。なんとアンナは立つことができたのです。「みんなわたしが悪いの、ビルを助けて!!」アンナの怪我はビルのせいではありませんでした。アンナは二年前から立つことができていたのですが、ビルを失いたくないばかりに歩けない振りをしていたのです。やがて、ビルは発見され ビルがアンナを見守りつづけ、愛していることをジェーンは知るのでした。

   西谷祥子の連載まんがにはシリアスなものと軽いコメディタッチのものがあります。けれども テーマは双方とも主人公のあるいは青春群像の成長です。彼等はあるときは喜び ある時は悲しみ おとなへの階段を上ってゆきます。家出、罪、あるいは死によってものがたりは展開します。「献身」も大きなテーマです。特徴的なのは、地の語りの文章がなく、ふきだしのない心情的なモノローグが多いことです。手紙も多用されます。

   白鳥の歌 バレー漫画

.......でも いちばん好きなのは一番目の世界よ そこでは あたしはあたしにもどるの ほんとのあたしになっちゃうのよ.....「ジェシカの世界」より

   短編は喪失のものがたりが多い。主人公の心の成長はあるのですが それとひきかえにたいせつなものを失うのです。それが長編より一層リアルになります、たとえば「風花」では....たしか友人の裏切りによって「愛」を失うという少女向きとは思えないすじでした。「わたぼうし」では、儚げな難病の少女が死にます。「いしだたみ」では日本画の大家であった父が亡くなり、少女が京都で芸妓をしているという腹違いの姉に遺産をわけようと 出向くのですが 姉たるひとは凛として お嬢さんにはお嬢さんの世界がある、自分はこの世界に生きてゆくと伝えるのでした。姉妹の名乗りもできなかった妹のモノローグ.......ねえさん......京の街はさびしいいしだたみがどこまでもつづく街ですね.....

   絶大な支持を得た「マリィ・ルゥ」はアメリカのジュニア小説にヒントを得たのではないでしょうか。その頃、プロムのドレスやデートに少女たちは胸をときめかせました。つづいて「レモンとさくらんぼ」「われら劣等性」「ジュンの結婚」などでは日本の青春群像が比較的リアルに描かれています。西谷祥子は学園漫画の扉をひらき、無国籍まんがと揶揄されまばゆいばかりの虚構の世界から等身大の日本の少女少女たちが活躍するようになりました。西谷祥子は少女たちを熱狂させ、多いときは月に3000枚の原稿を書いたそうです。もうひとつ見逃せないのは「ポーの一族」や「風と木の詩」以前に、「学生たちの道」ですでに少年を主人公にしていたことです。「ジェシカの世界」でも青年ハリーの目線でものがたりは語られています。

   レモンとさくらんぼ 「学園もの・群像もの」というジャンルをつくった

    わたしは西谷さんの短編がこよなく好きでした。そこには”ゆらぎ” ”諦念” ”無常” がありました。ひとが生きてゆくうえで失ってゆくものへの切ないまでの想いがありました。読者や出版社に媚びない西谷さんの思いと力のこもったものを短編で受け取れたことはしあわせだったと思います。多作さゆえもあって、作風から”あやうさのような””香りのような”ものが消えたあと わたしは西谷祥子のファンであることから遠ざかりました。それは西谷さんが漫画上で飛鳥幸子が自分の絵を模倣していると非難なさったころとかさなるかもしれません。

   岡田史子が西谷祥子のアシスタントをしていたのは1966年頃でしょうか。オリビア 白ばら物語 いしだたみ わたぼうし を描いた 西谷祥子がもっとも充実していた年ではなかったかと思います。そして翌1967年岡田史子はCOM2月号で衝撃的なデビューを飾ります。タイトルは「太陽と骸骨のような少年」西谷祥子の存在が岡田史子の作品にどの程度影響を与えたのか、それ以前の作品を読んでいないのでわかりませんが 岡田史子の登場は既存の漫画家にとっても、コアなファンにとってもノヴァに等しいものでした。


所有作品

長編 リンゴの並木道(別マ総集編)  白鳥の歌(別マ総集編) マリィルウ  白ばら物語 レモンとさくらんぼ  ジルとMr.ライオン 学生たちの道  ジェシカの世界 ギャングとお嬢さん ジュンの結婚 われら劣等性 花びら日記 すべて雑誌からはずしたオリジナル
   
短編 (風花  オリビア いしだたみ  わたぼうし クレアお嬢さん 行ってしまった小鳥  夏ものがたり  金色のジェニィ ぎんなんの涙 麻巳の湖)以上 まちがって燃してしまいました。一生の不覚です。 のこっているのは朝顔さんのみ
      
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       セシリア

    水野英子は1939年の生まれ、手塚治虫の漫画に驚愕し漫画家を志したといいます。....少女まんが史上に燦然と輝く水野英子は伝説のトキワ荘の住人でもありました。トキワ荘に住んでいたのは手塚治虫 寺田ヒロオ 石森章太郎 赤塚不二夫 藤子不二雄 水野英子 鈴木伸一 森安なおや よこたとくお つげ義春 .......多くが鬼籍に入られました。

    水野英子は少女小説の匂いを色濃く受け継いだ母子、友情、バレーものなど揺籃期の少女漫画から近代の少女漫画の扉を開いた先駆者です。最初の長編 「銀の花びら」には長編手塚治虫の絵の影響が見られますが、北欧神話などからインスパイヤされたと思われる「星のたてごと」で華麗な水野英子のスタイルがほぼ完成.....のちにつづく少女漫画家に多くの影響を与えました。出版社からの要請もあったようですが、再話者でもありました。「白いトロイカ」には原作(映画があると、水野英子のアシスタントをした方から聞いたことがあります。「ローマの休日」「奇跡のひと」は映画からの描きおこし、「セシリア」はネイサンの”ジェニィの肖像”をモチーフにしたものです。映画もあったかもしれません。

    わたしが水野英子さんの熱烈なファンになったのは「白いトロイカ」(1964年連載開始)の頃です。このものがたりはロシア革命(実態とは異なる)を縦糸に農奴の娘ロタ(実は皇帝に刃向かい殺された貴族フョードル伯の娘ロザリンダ)とロタを愛する貴族のレオ、コザックのアドリアンの恋を横糸に織り成した歴史ロマンでありました。水野英子こそは 少女まんがに男と女の”愛”を描いた最初の漫画家でした。さながら運命の糸に結ばれたふたりは自分たちの運命をうたがうことなく一途に求め合うのです。

    ロザリンダを愛するレオは金髪、皇帝を狙う黒い鷹・アドリアンは黒髪.....この構図は木原としえの「エメラルドの海賊」を思い起こさせます。少女をめぐる黒髪のナイーブな青年と麗しい金髪の若者、ふたりの青年の間には信頼と尊敬があります。皇帝の台詞に....「ロザリンダは幸せな娘よのう...このように男らしい男たちから愛されるとは....」とありますが、これは読んでいる少女たちの夢でもありました。ロザリンダのようにうつくしくありたい、強い男たちに愛されたい....というほのかな夢.....。

    もし「白いトロイカ」がなければ、「ベルサイユのばら」の存在もなかったのでは....と思うのです。というのも池田理代子さんは貸本漫画でデビューしたのですが、「祖国に愛を」1973年........構図が「白いトロイカ」そっくりでドレスの模様だけがマーブル模様になっていました。

     当時は絵柄を真似することはそうとがめだてされることではありませんでした。ロシア革命→フランス革命 黒い鷹→黒い盗賊 ロザリーの髪型は髪をおろしたロザリンダにとても似ています。インスピレーションを受けたのかもしれませんが、それは「ベルサイユのばら」の価値を損ねるものではなく、水野英子が多くの少女漫画家に影響を及ぼす華麗さ、ストーリーテラーとしての力、開拓者精神をもっていたことにほかなりません。

     もうひとつ1967年の「ブロードウェイの星」をとりあげて見ましょう。....少女・ステファニア・ロウがスターへの階段を上ってゆくものがたり.....母親は娘の夢のため身を粉にして過労で亡くなりスゥはひとり夢を抱いてブロードウェイに向かいます。そこでスゥは自分の出生の秘密、白人と黒人のハーフであることを知ります。演出家ノーマンはスゥと友人でスターをめざすジーンに”熾火”の演技をするように命じます。黒人の大プロデューサークラウンはスゥが自分の娘であったことを知り、ミュージカル「マリー」の主役に抜擢します。

     スゥは断り、オーデションを受けなおし、自分の力で役を勝ち取ります。マリーは混血の少女のものがたり.....役つくりに悩んだスゥは南部で肌を黒く縫って 黒人の苦しみを知り みごとに期待にこたえます。熾火のエチュード、ドレスが届けられるところ、姿を変えて役をつかむところなど 身内すずえは「ガラスの仮面」のヒントを得たのではないでしょうか。
    
    水野英子は”麗わしのサブリナ”をベースにした「すてきなコーラ」で少女まんがにおけるラブコメを確立、ハロードク ビーナスの夢 赤毛のスカーレットと描きつづけ 「ブロードウェイの星」で人種問題、「ファイヤー!」「シモンの夏」で60年代のロック世代、70年代のヒッピーの風俗を描き、自らも未婚の母になりました。ジャンルとしては①神話、伝説 から想を得たもの ②映画の再話によるラブコメディあるいはドラマ ③ 60年~70年代のアメリカをベースにした創作 ④ その他.....今までの少女漫画家になくジャンルを問わない作家でした。こうして振り返ると水野英子は神話・ファンタジーから一気にアメリカのポップカルチャーに飛んで行ったようです。わたしは事故で片腕を失った青年が日本アルプスを縦走する....その途中で見た幻影と山へのぼったことで再生してゆく「旅」という作品がすきです。テーマは一貫して”愛”男と女の恋を少女漫画にとりいれた漫画家でした。今 気がついたのですが 終盤になって 作品の向こうに”母性”が見えるようになったように思います。水野英子の人生にリンクしたものがたりをもっと見たかったなぁと思います。

        川の向こうの家  少年は盲目になるのも間近となったある日 貯めたお金を握り締めて川向こうにわたります。川向こうには娼婦館があって 少年はそこにいる水色の眼の娼婦マドレーヌに会いたかったのです。マドレーヌは川のあちらであこがれていたときとは違って見えました.......梳いてない髪 眼の周りのしわ....けれど その眼はうつくしく.....


少女漫画の中興の祖、西谷祥子も好きな漫画家に水野英子をあげています。水野英子は画力も文章力もありましたが、どちらかといえば視覚的な漫画家でした。水野英子の少女漫画におけるヒロインの「生」はプリミティブで骨太。運命に翻弄されながら原初の力強さを失っていません。考えるというよりは本能や感覚に従って生きるタイプです。

  .....西谷祥子にしてはじめて少女まんがの主人公の少女は、あるいは少年は人生にたじろぎ おぼろげながら「生」とはなにか考えるのです。主体としての自分から客体としての自分、視点の転換が起こります。ことばをかえれば西谷祥子は少女漫画に文学性を吹き込んだ漫画家です。その影響を受けた岡田史子がいて、萩尾望都は岡田から多大のインスピレーションを受け 少女まんがはサブカルとして絢爛たる花園となったのです。

        星のたてごと
    
所有作品 

長編...「銀の花びら」「星のたてごと」以上単行本「すてきなコーラ」「白いトロイカ」「セシリア(総集編)」「ハロー、ドク」「グラナダの聖母」「ハニーハニーのすてきな冒険」「ブロードウェイの星」「ビーナスの夢」「赤毛のスカーレット」「ファイアー」連載された雑誌からはずしとじたもの

短編....「ふたつの太陽」少女フレンド版 「ガラスの天使」「月とベニスと白いばら」「エリの窓」「トゥオネラの白鳥」「にれ屋敷」「三つの愛の物語」「川の向こうの家」「10月のセラフィーヌ」「エレクトラ」「シモンの夏」「旅」「ローマの休日」「奇跡のひと」その他ぶーけ コンパクト 別セブンティーン収録作品本のまま所蔵
そのほか 紫色のドレス他 絵物語多数。そのうち画像をUPします。

.....次回は西谷祥子、つぎに岡田史子 萩尾望都 大島弓子 山岸涼子を本流として あすなひろし、牧美也子、武田京子、八代まさこ 樹村みのり 飛鳥幸子諸氏のことも書いてゆきたいと思います。

水野英子の部屋は

ウィキペディアは→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%87%8E%E8%8B%B1%E5%AD%90

※少女漫画史① 男性作家と母物の時代はあとで書きます。



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.........さて、お休みに入る前のことです。古いダンボールの箱が二十ほど、みつかりました。中に入っていたのは処分してしまったとばかり思っていた古い漫画雑誌と切り抜きです。残念ながら、わたしが少女漫画の傑作と認めた作品が入っていた格別の想いをこめた箱ふたつは見つかりませんでした。そのなかには西谷祥子さんの風花、石だたみ、わたぼうし、夏物語、オリビア、金色のジェニーなどの名作、 竹宮恵子さんの暖炉....あとはもうタイトルもさだかではなく、取り戻しようもない名作が入っていたのです。

  けれども、西谷さんのマリー・ルウ、白鳥の歌、ジェシカの世界、学生たちの道、奈々子の青春などの連載、わたなべまさこ、水野英子さんの連載、八代まさこさんのようこシリーズほか、また萩尾望都さんの...精霊狩り、ドアの中のわたしの息子、キャベツ畑.....、などのコメディはほぼすべて残っていました。萩尾望都さんを語るのに忘れてはならない、岡田史子さんのCOM、ファニー掲載の作品、大島さんの真夜中の奇跡、デートははじめてなどの初期作品、山岸さんのラグリマ、水の中の空、白い部屋のふたりなどの作品群、里中満知子、青池保子、谷口ひとみ、忠津陽子、大和和紀などのデビュー作、牧美也子、水野英子、高橋京子他のうつくしい絵物語が残っていました。知るひとぞ知るあすなひろしさん、少女漫画の良心樹村みのりさん、ささやななえ、松尾美保子、武田京子さんの作品も多数ありました。

  S39年 デートははじめて 大島弓子

S39年 従妹マリア わたなべまさこ

 S40年    ガラスの天使 水野英子

  S39年   わたしの絵本 岡田史子

  S45年  水の中の空 (りぼん付録)山岸涼子

  S51年 ポーの一族から”エディス”の扉絵 萩尾望都


  切り抜きは昭和40年代から、雑誌は50年代から.あって....わたしは少女漫画の歴史の一端と(あしたのジョー、幻魔対戦、真崎守さんもありましたが)むかいあうことになりました。折を見てすこしずつ紹介してゆこうと思います。



  前置きが長くなりました。今日書きたいのは芝居と漫画と語りについてなのですが、少女漫画にくわしくない方のために、申しますと星の数ほどの漫画家のなかで大島弓子・山岸涼子・萩尾望都の三人こそが少女漫画を文学や映画や舞台にも影響を及ぼし、ひとつの文化としておしあげ、少年漫画をも一時リードしたベストスリーだとわたしは思っています。昔、漫画を描きたいと思っていました。自分のものがたりを伝えたい気持が語り手としてのわたしにつながっています。

  この三人のうちはじめから覚醒していたのが萩尾望都さんでした。デビューして時を待たずに、雪の子、かわいそうなママ、秋の旅...と矢継ぎ早に発表された作品は漫画ファンのどぎもを抜きました。すでにそれらの作品は善悪というものも少女漫画の目には見えないルールをも超越していた.....手垢のついていないまっさらなオリジナルだったからです。大島弓子、山岸涼子さんのふたりにはデビュー作にすでにたぐい稀な個性がありましたが、作品としては少女漫画のレールを踏み外すものでも地平をひろげるものでもなく、むしろ時代とともに変貌を重ね磨かれていったのです。

   萩尾さんが岡田史子さんからインスピレーションを受けたように大島さん、山岸さんともに萩尾さんの作品が一種の起爆剤になったのではないかと思います。山岸さんは”大泉サロン”に出入りしていたそうです。大泉サロンとは萩尾さん、竹宮さんが70年から72年頃住んでいた家で、みずみずしい希望に満ちた少女漫画家のあこがれの場所でした。手塚治虫さんを慕って石森さん、赤塚さん、水野さんたちが住んだときわ荘を思い出しますね。それにしても手塚治虫さんはご自分の存在を投げかけただけでなくのちの漫画家たちのために大きな大きなことをなさいました。”漫画ファンによる漫画専門誌”とうたったCOMを虫プロが発刊しなかったら、漫画の今はなかったであろうと思います。

   その手塚さんのあとを継いだ漫画家が石森章太郎さん、水野英子さん、石森さんは当時少女漫画が多かったのです。このふたりに強い影響を受けたのが西谷祥子さん、西谷祥子さんの漫画が好きでアシスタントをしたことがあるのが、前述の岡田史子さんでした。西谷さんは、花の24年組のひとり竹宮恵子さんのデビューの後押しもしたそうです。

   貧しい少女が障害を乗り越え一心に生きるというような少女小説の流れを汲んだ漫画から、欧米の映画を換骨奪胎(再話)し、手法をとりいれたラブコメディー(すてきなコーラ....うるわしのサブリナ)、ミステリ(従妹マリア....ウールリッチ原作の映画、さくら子すみれ子)、ファンタジー(セシリア....ジェニィの肖像)、大河ドラマ(白いトロイカ)を漫画によって描いたわたなべまさこ、水野英子....そのあとを踏襲しながらも少女漫画に文学の香りをそそぎこみ(風花、石だたみなど)、青春群像(学生たちの道、レモンとさくらんぼ。奈々子の青春ほか)を創作して、のちの漫画に大きな影響を与えたのが実は西谷祥子さんでした。この青春群像は里中満知子、津雲むつみを経て花よりだんごなどにいたるまで続いています。漫画家たちはテーマや技術を真似しあい、影響しあってここまできた....1ページまるごとの模倣もあったけれど、それをゆるす過去のおおらかさがあればこそ、より深くより広くより豊かにサブカルチャーの一翼をになうものとして、漫画は急速に育ったのではないでしょうか。

   少女漫画の歴史になってしまいましたが、今日 おはなししたいのは実は些細なことなのです。きのう、わたしはある芝居を観にゆきました。17歳のふたり....マグとジョゼフの1966年6月4日の午後のできごと.....ふたりは丘のうえで試験勉強をしています。あと3週間で結婚することが決まって....というのもマグのおなかには赤ちゃんがいたのでした。リアリズムの芝居でした。ふたりの役者とふたりの語り手で語られる芝居は2時間飽きさせることがありませんでした。

   大道具は三段の台ひとつ、一幕だけ....二時間のあいだふたりの役者は饒舌に語りつづけ、飛び撥ね、転げまわります。けれども、そうすればそうするほど観ているわたしは傍観者になってしまうのです。景色はあまり見えませんでした....これはいったいなぜなんだろう......ヒロイン、マグの今の目的は?ジョーゼフにこちらを向かせる....超目的は結婚、しあわせになることそしてたぶん家を出ること。....障害は? ジョーゼフの性格......台詞を前にだす....ここで内側に落とす....仕掛けが見えてしまう.....わたしは台詞の応酬を聞きながら、考えていました。見るひとのイマジネーションを喚起するものはいったいなんだろう.....

   そのとき、大島弓子さんの漫画が脳裏に浮かびました。大島さんはどんなものがたりにも合うようにタイトルをつくっておくのだ....と以前読んだことがありました。ものがたりは生まれ、ときに作者はものがたりを進めるのに伸吟するのですが、いつのまにかできあがってしまうのだと....大島弓子さんの作品からインスピレーションを受けた作家や映画監督は多いようです。詩的な日常離れしたことばや、作品にそこはかとなくただよう雰囲気のせいでしょうか.....

   岡田史子さんの作品はまさにそうですね。ものがたりのすじもはっきりとはわからない。けれども光と陰、そして秘めやかな夜の匂いを、甘い花の匂いを、濃厚な雰囲気をよむひとに感じさせずにはおかない。聴き手や観客のインスピレーションを呼び起こすためには、曖昧さ....すきまというものが必要なのではないかな....と思ったのです。

   きっちりくっきり論理的につくりあげると、こちらが入り込むスキがない。だから曖昧さを残しておく、トワイライトゾーンを残しておく.....きっちりつくりあげた自分の世界を渡そうとするなら、綿密のうえにも綿密につくりこむ。仕掛けが見えたらダメなんじゃないかな、あるいは仕掛けが見えたところで圧倒的に持って行っちゃえばいいのじゃないかな.....伝えようとする強い意志を持つことだと思いました。

    山岸さんはこのタイプです。デビューの頃は構成が不得手のよう....だったのですが、用意周到に伏線を張り、エピソードを積み重ねる長期連載の構成は男性作家顔負けです。今回読見返して一番泣けたのは山岸さんの”幸福の王子”でした。山岸さんは再話の上手い作家です。オスカー・ワイルドの幸福の王子が香気溢れるものがたりになりました。どうしようもないチンピラ・マルティンにかつて愛した少女の忘れ形見の少年が残してくれた贈り物。マルティンはたちあがって歩きだします。死そして再生。

   .......さて、6/4 6時過ぎ 湖にボートが転覆しているのが発見されました。ふたりは失踪したものとみなされましたが6/25(たぶん 結婚式をあげるはずだった日)11歳の少年が岸辺にくしゃくしゃになった洋服のようなものが浮いているのをみつけます、警察がひきあげ、家族はその遺骸がマグとジョーゼフであることを確認しました。......


   ふたりの死がカタルシスを呼ぶものでないとしても、死のあとに再生があってほしい。神経を病んでいたマグの母親は立ち直ります、それもひとつの再生。けれども、たぶん この戯曲では観客のなかで結婚生活の体験をした、今している観客のなかでなんらかの再生が起きる必要があるのではないか.....そのためにマグとジョーゼフの青春は輝かしくあらねばならない。日日の闇を照らすほどでなくてはならない、その耀きに照らされて観客は自分の人生の青春を生きて、結婚をもう一度問い直す...のではないかと.....そのように思ったのでした。役者にはパワーと繊細さ、そしてオリジナリティが必要です。語り手にも漫画家にも。


   ものがたりを聴き手や読者や観客に伝える、それだけでなく魂の扉を叩くためには、感性と客観性と両方必要です。おそらくバランスなのです。客観性がないと流され主人公に溺れてしまう、あるいは自分を押し出してしまう.....すると聴き手はついていけない。けれども、論理的に伝えようとするとつまらない、語り手、役者または作者の息吹が感じられなくては感情移入ができない。つかず離れず、そのあやうい細い道をたどってゆくのが名手、名人なのでしょうね。などとつらつら芝居を見て思ったりしたのでした。



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  S46年 白い部屋のふたり  山岸涼子

   地球(テラ)へ  漫画少年別冊  竹宮恵子




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    これはさきほど書いた鶏が先か卵が先かの付記です。わたしが中島梓さんを知ったのは少女漫画をとおしてでした。当時はいわゆる花の24年組、萩尾望都、山岸涼子、竹宮恵子が意気ようようと時代を切りひらいていました。中島梓さんはそれらの漫画家の優れた評論を書きました。当時中島梓=栗本薫と少女漫画をむすびつけたものはそれによって中島さんが有名になったやおいでした。

    いわゆるやおいについて、その起源は1975年の沢田研二主演のテレビドラマ...「悪魔のようなあいつ」だといわれます。その「悪魔のようなあいつ」に触発され書かれた作品が「真夜中の天使」1979年であって そこからやおいやボーイズラブが少女たちのあいだにブームとなったと言われています。

    しかし、その先鞭を切ったようにも言われる萩尾望都「11月のギムナジウム」1971年「トーマの心臓」1974年 は外見はそのように見えても決していわゆるボーイズラブのものがたりではありませんでした。.....内面世界を補佐するものとしての少女漫画のあり方から、当初少女漫画における「少年愛」とは、手垢にまみれた既製の男女関係の枠組から自由に、「純粋な関係性」のみをとりだそうとした試み....(藤本由香里boy'slobe)だったのです。

    それが変質したのは竹宮恵子”風と木の詩”1976年でした。河合隼雄は少女の内界を見事に描いている」と評し、上野千鶴子は「少年愛漫画の金字塔」と言いました。しかし当時のわたしの目には見るに耐えないものとしてうつりました。”ある拒絶される愛”として出発せざるを得ない「少年愛」が、異性愛が 陥りがちな安直なパターンを廃して、「緊張感と葛藤」を維持するための装置であるったにしても(竹宮恵子・木原敏江両氏も中島梓との鼎談(『美少年学入 門』)、性愛をことこまかに描くことに、どんな必然性があるのかわからなかったのです。

    ひととひととの魂の交流を描くにあたって、わたしがもっとも感銘を受けたひとつがアーシュラ・ル・グインの闇の左手です。地球人の主人公アイは文明を超えて異星人エストラーベンとある目的を持って道行きをするのですが、彼(彼女)は男性でも女性でもありませんでした。そこにはゆらめくような情動の向こうに結晶のような精神的な愛がありました。人種を超え、性差を超え、ひとはいかにして魂の餓えを癒すようなコミュニケーション、愛を成就させ得るか....それは永遠のテーマです。肉のみの試みは真に癒されることがありません。ひとたび満たされた器は欲望によってまたカラになる。乞愛はとどまることを知らない無間地獄....です。ですからラブストーリーは結婚か死によってしか終わらない。

   究極の関係性、あるいはものがたりに不可欠なものが”障害”です。男性同士で交わす愛情は歴史の一時期、恥ずべきものではありませんでしたが、やおいの生まれた頃は忌避されるとはいわないまでも認知されることではありませんでした。しかし社会的にとりあげられることでゲイ、ホモセクシュアル、少年愛すべてタブーではなくなってしまった、不倫が文化になりあたりまえのことになって、禁断の甘さを失い、それ以前に婚前交渉があたりまえになり、表面的には身分差別もなく、韓国ドラマで多用される兄妹愛、不治の病、記憶喪失などの使い古されたシチュエーションをのぞき恋愛における障害はなくなってしまったのです。

   しかしながら真の関係性のドラマはまだまだ成り立つとわたしは思っています。ここで突然語りの話になります。ひと昔ふた昔まえ村々の炉端、おひまち、おなごしや男衆のあつまりで語られた80%は色話だったと聞いたことがあります。男女間のむつごとは労働に明け暮れる日々の最も大きな関心事であり娯楽であったことでしょう。ひとびとはかなりおおらかに性を謳歌していたふしがあります。明治以降、性はどのように扱われたか、暗闇でひっそり、あるいは悪所で処理するものになりさがりました。


   語りがおとなのたのしみから、子ども向けのストーリーテリングになり、性的なものはおのずと避けられ、おとなのための語りの会でも、一部役者さんの語りを除けば性的なシチュエーションは注意深く排除されることになりました。たとえば”つつじの娘”において、娘は5つ山を越えた村のわかものを恋い慕って通うのですが、その表現は 「夜も寝ないで語り合う日がつづいて、わかものはしだいにやせ、かおいろもあおざめていった」松谷みよ子....とされています。そのような飛躍があるために魔物ではないふつうの娘が聴き手には魔物に聴こえてしまうこともあるようです。それでも、つつじの娘....を語る語り手は多く、高学年の少女たちは目を見開いて聞き入ります。


    さて、ふたたび”やおい”あるいはボーイズラブに戻ります。やおいとは成長を忌避、女性性を拒否して、少年として男を愛したいという少女の内面の欲求のあらわれという説が有力だそうです。昔、若い世代には若い衆宿?というものがあった..と亡くなった叔母から聞いたことがあります。少女から一人前の女性への橋渡しはどのようにおこなわれたのでしょう。......今、徐々に中学校での読み聞かせやストーリーテリングの動きがあるようですが、絵本だけでなくもっと語られていいものがたりがあるのではないかと思うのです。愛することはとてもたいせつなことです。それは自らの男性性、女性性を自覚し、いとおしむことからはじまります。

   わたし自身は今、おとなのための語りに、自然に性が語られていいのではないかと思っています。隠すから隠微になる、興味本位にすると品位は下がる、さりげなくふつうに語ればいい、性をふつうに語ってはじめて、その奥にある男と女の関係性、ひととひとの真も伝わるのではないかと思っています。緊張感を維持するにはさまざまな技法があるのではないでしょうか。もちろん目的は性そのものではなく、性描写をつまびらかにすることではありません。

   筆が足らず、まとまりのない話になってしまいました。中島梓さんのことから、この春 とりくんできた、「さくらひらひら」「たまゆらの紀」など性の彼方にあるひととひととの係わりについて語ったものがたりとつながって思わず書いてしまいました。でも、これでよかった、いつかは書かなくてはならなかったとすこしほっとしています。そして、少女漫画の歴史を変えた”11月のギムナジウム”(萩尾望都)が有志によってアニメ化されたとき、エーリクの母親役をやらせていただいた、そこに語り手としての原点があったのかもしれない、と今思いついた次第です。中島梓さんに心から感謝します。あわせて遅ればせながら米澤嘉博さん(コミケット二代目代表)のご冥福を心からお祈り申しあげます。
(原田さん お元気でしょうか)




闇の左手 光は暗闇の左手、暗闇は光の右手。生と死。(男と女)ふたつはひとつ。


やおいとは

やおいウィキペディア

風と木の詩

トーマの心臓

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    鉄腕アトムがもともとは女の子だったって知っていましたか?  わたしはまったく知りませんでした。アトムのブーツが赤いのは女の子だからなのだそうです。う~ん それを知ってうなづけるところがありました。アトムがなぜ好きだったのか...アトムが完全無欠のヒーローだったらあんなに好きにはならなかっただろう...と思うのです。アトムはつよい正義の味方でしたが繊細でやはらかでした。そしてアトムはじっさいよく壊れました。アトムは最初1万馬力だったはず、それがうろ覚えですが、史上最大のロボットの巻のとき、プル-ト-に敗れて壊れ、天馬博士が改造してしまい10万馬力になるのです。10万馬力になってもアトムは不完全でした。ロボットでありながら人間のこころを持っていたアトムはヒーローでありながらいつも揺らいでいました。

鉄腕アトムの裏話

   
    わたしはエロティシズムとはただ即物的肉体的なものではないと思います。...と申しますか、それ以前の予感のような気配のような匂いのようなあわいにあるもののように感じそこに惹かれます。手塚漫画のなかにエロティシズムがあると指摘される方がいます。わたしもう思うのです。(とくに初期の作品)手塚さんは宝塚を子どものころごらんになったそうですが、その影響もあるのでしょうね。リボンの騎士のサファイヤは女と生まれながら勇敢な王子として生きなければなりませんでした。そして王子でありながら、隣国の王子に恋心を抱きます。そこにはひそかなエロティシズムがありました。

    そして後年、山岸涼子、萩尾望都、大島弓子にであったとき、つよく惹かれる作品にはいつもひそかなエロティシズムを感じていたのだと気がついて今驚いています。ポーの一族、日出る処の天子、野イバラ荘園、ミモザ館でつかまえて、7月7日に、海にいるのは....えとせとら....エロティシズムは美と限りなくむすびついています。生の極みでありながら死と限りなくちかいものです。しかし竹宮恵子さんの風と木の詩の裸形や即物的表現にはついてゆけませんでした。エロティシズムは秘してこそなおにじみ出るものだと思うのです。

私的大島弓子論(8年くらい前に書いたものです)

    男とか女とか超えたところに、青いもの、未分化なもの、爛漫たる成熟の翳にある死にその匂いがあります。そして異形のもの...未成熟な青さや欠けたもの、喪われたものなかにそれはあります。禁忌を侵そうとするときそれは生まれます。それはある種の羞恥とむすびついています。太陽の下で堂々と行われることにはないようです。本能のなせるわざでしょうか。子どものころヨイトマケを歌う丸山明宏さんという歌手に惹き付けられた記憶がありますが。それは見てはならぬものを見るような羞恥をともなった感覚でした。まだ美輪さんと三島さんの関係も知りませんでしたから、それは直感だったのだと思います。今の美輪さんを拝見して(以前同じ飛行機に乗り合わせました)エロティシズムは感じませんが、荒地の魔女やモロの声はすごいなぁと思います。台詞の声にあれだけの情報を含ませられる方はいらっしゃいません。


三輪さんのことば

ある三島論


    さて、語りを聞いてエロティシズムを感じたことはありますか? じつはわたしはいまだかってないのですね。わたしが聞いた語りは清く正しくうつくしくそして楽しく愉快に...の範疇のおはなしがほとんどでしたし民話の色話はエロティズムをわたしは感じませんでした。学校での読み聞かせや児童書ではかなり徹底的に排除していますね。そのなかでつつじの娘は異質です。聴いているとき、とくに女子の目がひたむきになりきらきらと熱を帯びてくるように思います。思春期の子どもたちにもっと戀のものがたりを語っていいのではと感じることがあります。

    
    雪女はその底にエロティシズムを湛えています。お雪自身は侵されざる存在であり死であると同時に愛であるのですから...。そして子どもを生み、また無機的な存在=死に回帰してゆくのですから。子どもたちは果たしてどのように聞いていたのでしょう。あやうさを、想いだけではどうにもならぬこともあるのだということ感じ取ってくれたでしょうか? もう一捌けほのかな色を付け加えてもよかったかなと思います。


    おとなに戀のものがたりを語る時すら、今までは無意識のうちに避けてきた、あえて透明な静謐なものにしてしまったな...という想いがあるのです。弥陀ヶ原心中は情交のない心中なのですが、それって深いエロティシズムとして語れないことはない。しかしそれを雪に封じ込めるように清らかに語ってきてしまった。(と思っている).....こんなことを書くのも今、染殿の后...異形、変身、の恋物語....のことであたまがいっぱいなのです。聴き手がおとなであるときも慣習に従って避けてきたことを、この際正面切ってことばにしたものか、それとも秘して秘して伝えたものか悩んでいるのでした。


   子どもたちにたいしてもメディアが漫画や映像において即物的な見るに耐えない画像や情報を流しているこのときに、語りのなかで自主規制することはないのではないか....上質の叙情性やほのかなエロティシズムは子どもたちが生きてゆくうえで、とてもとても必要ではないかと思ったりもしています。自分自身を守る、相手の身体や立場を思いやる気持ちともつがってゆくように思います。もっとも感受性の高い子どもたちは語り手が心配するよりもっと先をいっているかもしれません。この項はまだ語りつくせないのであとでまた書こうと思います。






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   大島弓子さんを知っていますか?小泉今日子さん主演で「ぐーぐーだって猫である」という映画が封切られ?ましたが、その作者が大島弓子さんです。大島さんが最初にブレイクしたのは”ミモザ館でつかまえて”....タイトルからサリンジャーのライ麦畑でつかまえてを想起されたように....イノセント...喪うということ...愛をテーマにしたものがたりです。

   わたしが少女漫画にはまっていったのは十代の後半でした。少女時代から本がすきで図書館から父の書棚、暮らしの手帖、週刊朝日、リーダースダイジェスト、高橋和己、三島、大江、倉橋由美子、カポーティー、ブラックウッド、シムノン、グリーン、モーリヤック、クラーク、ハインライン....なんだってよかった。本ならなんでもよかった。本さえ読んでいれば”向こう”に行けた。....

   なぜ本を読むのか?異世界へいけるからです。想像は羽ばたき飛翔する。ここではないどこか、いまではないいつかに向かって旅することは、現実とのどうしようもない違和感...現実と擦れ合うイタミを癒してくれたのでした。

   けれども、飢えを充たすように読んできて...10代の後半...その魔法が消えかけてきた。本を探して探して読んでも...以前のように満たされなくなっていた。そのとき漫画はあったんですね。そこにあったのはエッセンスそのものでした。文学をたぐってたぐってようやくたどりつける一滴の至福がそれこそ一作につき水晶の小壜一本分あった。おりしも萩尾望都、山岸涼子....など、高い文学性とみずみずしい叙情性、繊細な心理描写があいまって少女漫画は黄金時代を迎えようとしていた...ありとあらゆるジャンルがあり実験がされました。

   そのなかで繰り返されたのは”此処はわたしの場所ではない”というこ主旋律そして”傷痕””愛””再生”であったように思います。少なくともわたしが惹かれた作品はそうでした。それは存在そのもののイタミなのでした。自分のいるべき場所はどこなのか...ポーの一族のエドガーとアラン、トーマの心臓のユリスモール、スターレッドのスカーレット、日出る処の天子の厩戸、ダリアの帯、....”此処ではない場所”はどこなのか彼らは絶望しそうになりながら渇望します。それは当然作者である三人の問いかけでもあったわけです。

   此処から飛翔する翼となるものは...それはほぼ愛のようなものなのですが、三人三様です。強いていうなら萩尾さんの場合は思念、祈りであり、山岸さんは行為であり、大島さんの場合は天から降ってくる光や海に降りつづける雪のようなもの...でした。三人とも此処では得られないこと、死することでしか”向こう”にはいけないことを知っていて、それでもあきらめはしないのでした。


   此処...わたしたちが生きている現実....壁のようにとりまいている、学校、政治、社会 蟻の這い出るスキマもないほど構築された歴史、実は厳然とある身分差別、絵空ごとの平和と平等....それらのものと自分の内面の感受性や認識とのギャップ...を埋めるもの、埋められなくとも橋になりそうなものをわたしたちは欲していたのかも知れません。

   70年安保の歴史的敗退、そして浅間山荘、よど号事件は日本の若者たちのある方向性を殺してしまった....日本でサブカルチャー、オタク文化が隆盛したのはいきどころのいないエネルギーの持って行き場のように思えます。寛容なひとびと、自分と社会の折り合いをつけられるひとびとはいい、けれども埋めようがないひともいます。不登校とかニートとか、それは社会への不適合とは言い難いとわたしは感じています。

   こんな理不尽な世界に適合しようとしたら自分の中のやはらかい何かを殺さなければならないからです。生きているうちにひとは幾度傷つき自分を殺すことでしょう。殺さないためにはどうしたらいいのか。強い使命感を持つ、あるいは仮の世であると認識する。自分の趣味に没頭する。あくまでも冷徹な意識を持つそれとも酩酊か、盲いになるか、或は隠棲か行動か。

   本、そして少女漫画はわたしにとっていたみをやはらげ、生きる力を奮い起こしてくれるものでした。そして語り、も自らを癒すだけでなく、聴き手を癒すことさえできる、生きる力を呼び起こすことができるものでした。語りに出会い、自分にもその力があることを知ったとき、わたしは自分の手のうちにはじめてひとを癒すことのできるアイテムを見つけたのです。わたしが語るのはほんとうに語ることが好きだから、語ることで自分を癒し、聴き手からいただく波動で力をいただき、聞いてくださる方のなかになにかを呼び起こさせていただけるからです。

   ことばを磨く、ものがたりをつくる。デッサンの力を身につける代わりに声を磨き、そしてなにより自分の内なる声に耳を傾けます。此処はどこだろう、どこが痛むのだろう、わたしはどこに行きたいのだろう。そのためになにをすればいいのだろう。


      


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手紙  


   友人からTELがきた。なにをしてるの? あなたには充分過ぎるほどわかっているはず、ことばで実証しようとする必要がこれ以上あるのか なにをぐずぐず...のような詰問で たしかにそれはそうだと思いつつ やはり必要があるからだという気持ちは否めない。

   この二週間バラバラになっていたきっかけは、ヒーラー養成の研修に行ったことからだ。いままでのわざとの差 受けたことによる身体的不調も原因だし 資金繰り上 また経営上の決断 家庭的な問題が いつものなにかをはじめるときのようにわっと押し寄せてきた。

   だが、一番ひっかかっていたのは、テクストにあった ”ワンネスを選ぶか集合的無意識をえらぶかふたつにひとつ”という一節だったように思う。ワンネスとは....梵我一如のこと?....梵我一如とは、梵(ブラフマン:宇宙)と我(アートマン:個人)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。不二一元論ともいう。....とある。(このヒーリングはアーユルヴェーダと真言密教の流れを汲むもののようだった)

   この梵は神を意味するのではなく、生命の源であり、我とは真我であって、ふつうの状態の人間をさすものではない。集合的無意識とは人各々の深層無意識は人類全体の心の奥底で1つに繋がっていて集合的無意識を形成し、それがさらに宇宙的な普遍的集合的無意識に同調するというユングの考え方である。

   如しとは...のようなの意味である。ゆえにわたしは梵我一如=集合的無意識とまでいかないまでも梵我一如≒集合的無意識と考えていた。そこで葛藤が生じたのである。それではワンネスのわたしの解釈が違うのか...ワンネスとはひとつになる...とある。....このままの状態でひとつになることができるだろうか。今のままで? ひとつになろうとする試み..というのならわかるのだけれど。テクストの書き手から直にうかがったわけではないから、真意はわからないが。

   梵我一如=集合的無意識が問題になるのはわたしにとって語ることの根がまさにそこにあるからなのだ。語ることは喜びであり、自分のささやかな使命のひとつと考えているけれど、語ることが目的ではない。たとえば目的のためによりよいと思う手立てがあってそれに見合うわざを自分が持っているのなら、語りでなくそちらへ向かうかもしれない。乗り物ではない。目的地へ近づくことがたいせつである。

   目的とは...自らを癒し他者を癒す...自ら気付きつつ気づくように示唆する....梵我一如の我...真我に向かうこと...自分ひとりではなくて。そのために個の無意識の領域、集合的無意識の領域に響く語りがしたいのである。

   古代ギリシャでは癒しとは病人に向かってではなく、人間に向かってなされた。自らを癒したい人々は神殿に赴いた。沐浴し身を清め、哲学者と語り、マッサージを受け、自分とおなじように悩むひとびとが出るギリシャ悲劇を観てカタルシスを感じ、医師から診断を受け、薬をもらい 神殿で眠り神から啓示を受けた。これこそほんとうのホリスティック(まるごと)医療である。

   現代ではそれがバラバラにされている。ひとは哲学書を読み、温泉に行き、マッサージを受け、週末は映画を観たりして病気になれば病院に行く。語り手も一端を担う。子どもたちのおはなし会であろうとデイケアであろうと聴き手が喜びを感じ、あるいは自分の人生と重ね合わせ、なにかに気付くのであればそれは癒し+αすなわち再生であり、芸術とは本来そういうものであったはずだ。

   萩尾望都が2006年にSF大賞を受賞したバルバラ異界を読んだ。このことはもうひとつのブログで書きかけたのだが、今日のテーマにつながるので書いておきたい。アオバはいう。...わたしたちは生き返ってひとつになれるのよ....一つが全部に...苦しみも悲しみも飢えも死もなく....永遠に一つの生命体になれる....キリヤはいう....ひとつだって...永遠に?...そんなのおかしい...オレはオレだ....あなたはわたしでわたしはあなたなんていやだ....(原文のままではない)

   我の枠から解き放たれておおいなる波にのみこまれる至福を知らないわけではない。没我のなかで二度体験したことがある。...だがそれには個を我をまっとうしなければならないのだと考える。それはまだわたしが未熟であるからかもしれないが。とことん行けるところまで行きたい...もっと見詰めて葛藤して味わって愛して苦しんでそれからでいい、いつかゆだねられるようになるだろう。怒ったり悲しんだりすることはむだではないのだ。

   そういうわけで わたしは彷徨いながら見つけながら歩く。もうすこしでたいせつななにかが見えそうな気がする。語りはじめると自然にトランス状態になることが多いのだけれど、それを強化できないか知りたい。魂をもっときれいにすればいいのだとわかってはいるが、もっと簡単な方法があるのではという気持ちも捨てきれない。なによりもっと自由になりたい。

   さまざまな出会いとまた別れがあった。それぞれに意味があった。あした行きたい場所がある。やってみたいことがある。月曜は小学校で語る。いつもこれっきりと思って語りたい。TELをありがとう!心にかけて行動にうつせるあなたはゆたかなひとです。必要なときお日様があなたのうえにほほ笑むように、風が吹きわたるように..。


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 母たちにそれから自分のために花を求めた

  きのう今日と息子の運転手付きで古本屋に行く。自分で運転するのが億劫になってしまった。3000円で20数冊購入する。ブックオフではゲド戦記とソフィアの世界と官能小説と冬のソナタがとなりあわせに並んでいてぎょっとしたが、安いということはいいことである。内容は村上春樹と大島弓子と花郁悠紀子、篠原烏童 半分は少女漫画だった。

  少女漫画!?とばかにすることなかれ 少女漫画は日本が世界に誇るサブカルチャーである。大島弓子の作品がなかったら 吉本ばななは世にでただろうか。また「秋日子かく語りき」と北村薫のスキップとの類似性、「秋日子かく語りき」「庭はみどり川はブルー」(1987年)と東野圭吾「秘密」のプロットとの類似性、四月怪談の弦の丞と江國香織「草の丞のはなし」の雰囲気の相似性等々、四月怪談他多くの作品が映像化されていることなども含めて 大島弓子の影響は大きいといわざるを得ない。

  少女漫画を引き合いに出しながら語りの要素を考えてみよう。少女漫画の三要素はストーリーの構造とことばそして絵である。絵とことばでイメージを伝える。 一方語りの要素はものがたりの構造とことば ことばを載せる声 ことばと声でイメージを伝える。

  ストーリー・ものがたりの構造はプロット・エピソードの積み重ねで起承転結 あるいは序破急の流れをつくり テーマ・メッセージを伝えようとする。もちろん双方ともに まず 読者・聞き手になにを伝えたいか作者あるいは語り手が希求するものがなければならない。三要素の比率は構造3ことば3絵あるいは聲4といったところか。

  構造はきちんとしているにこしたことはない。が、どちらかといえば臨場感 勢いがあった方が生きているものがたりになる。磨きぬいたことば それしかないことばを択ぶ 新鮮なことばを生み出す 大島さんはことばの魔術師と呼ばれているが ...ミモザ館の住人のあれはさだめだったのだろう....ではじまるミモザ館でつかまえての導入....ことの起こりは花びらの乱舞する 七年前の春ではじまるジョカへ...の導入 家の近くの水の辺のげにしたたかなパスカルの群れ げにやさしきパスカルの群れ....で終るパスカルの群れ ぼくの前方に寂しさが 後方に寂しさがあった...ダリアの帯など そのことばの絶妙さは悶絶ものである。

  そして漫画にとって 絵が重要なように 意外となおざりにされがちなのが語りにとっての聲である。聲は絵の具のようなものだ。いろあい 翳り 強弱 光 匂い 深さ あらゆるものが聲でまったく違うものになる。 そのうえに語りではパフォーマンス 歌 自然なしぐさ 目の輝き ほほえみ などが加わる。

  そのほか 視点の問題がある。誰の立場で語るか 通常語りでは客観的に地の文で語りそこに登場人物の台詞がはいることが多い。だが わたしの場合 一人称の語りが比較的に多い。それはライフストーリーに近い語りが多いためである。

  大島さんの初期の作品では地の文があり そこに主人公はじめ登場人物の台詞心象風景をあらわすモノローグがはいる。これは当然 感情移入しやすい。つまり読者は多角的にものがたりを見ている。神の視点である。後期になると一人称の語りが主流となる。読者は主人公の視点でものがたりを追ってゆくのだ。構造 ことば 聲 パフォーマンス 視点 まだまだ 実験的にできることはあるような気がする。

  わたしが語りのつぎに少女漫画に言及することが多いのはなぜか?といえば上質の少女漫画は 女でいることの苦しみ、女になることの苦しみから救済するなにかを持っているからである。少女漫画で男性が中性であるように描かれたり(最近のどうしようもない少女漫画は別として)少女が少年に仮託されて描かれているのはそのような理由にもよる。たとえばグリムにおいても 女性が主人公である物語 積極的に前に進む物語は少ない。生と死 子どもの自立は象徴としてあつかわれても 女であることの苦痛を癒すものがたりは少ないのではないか。それはグリムが男系社会における男性であることにも起因しているのではないか。少女漫画における癒しについて また昔話におけるジェンダーの問題についてもいつか考えてみたい。

  

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