遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

ツイッターの情報を見て 興味をもち 数年ぶりに 漫画雑誌を買いました。@バンチはなんと新潮社発行の月刊誌でした。なかなか見つからず 本屋の店員さんが駅構内のショップで見つけてきてくれました。なんて親切なんでしょう。

家まで待ちきれず立ち読みしました。最初の感想は 絵は大島弓子さんというより竹宮恵子さん? なんて乱暴な展開 ネームが雑....でした。 でもなんだかわからない不思議な魅力がありました。二度三度読み返すと 主人公ガブリエルの心の声がものがたりのウラをしっかりささえていることに気づきました。 思い切りのいいコマ割です。初回と言うこともあるのでしょうが 伏線が網の目のようにざくざく張り出されていました。謎を解きながら進むストーリーのようです。ネタをわらずどこまで読者をひっぱってゆけるかな いったいどんなテーマなのかな.....

ライプチヒの聖トーマス合唱団をモデルにしたような全寮制合唱団

.....ガブリエルという10歳の少年が入団してくる。その日はあたかも一人の合唱団員の葬儀の日でもあった。最高の声を獲得したとき その少年は死を賜り 天使になるという合唱団の言い伝えとおり 少年は天使になった..... 高い空から天使の梯子が合唱団の庭園に樹影を縫って差し込んでいた..... TOPクラスにはガブリエルもいれ 8人の少年がいた 先生の支持に従い ガブリエルの高く澄んだ歌声が流れる.....少年たちの驚きの顔.........

→ こちら

→ こちら

疑問がいくつか スコア(楽譜)が読めてなぜ字が読めないのか 母からの手紙の文面 兄に別れを告げる妹の奇妙なあかるさ すべて伏線かな...

いちばんの問題は コマをとおして うたごえのうつくしさがつたわってこないこと.... 表情 背景 ネームにもう一工夫がほしい きっとできるはず。

大島さん 萩尾さんは デビュー直後から際立ってネームがうまかったように記憶します。漫画は絵から受ける印象が強いけれど ものがたりに力を与えるのは「ことば」です。売野さん 台詞をあとすこし磨かれるといいなと思います。山岸さんの場合 最初はぽっきりぽっきりでした それがほんとうに変身しました。

で......次回も買ってしまいそうです。650円は高いけど。 本屋で一色まことさんが気になった.....またはまると困るな.....



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    萩尾望都氏の紫綬褒章 一少女漫画ファンとして心からうれしく思います。萩尾望都の登場ならびにその実験的果敢な試みは漫画の内包するあらゆる可能性を示唆し 少女マンガを変貌させたのみならず 少年漫画にも多大の影響を与えました。ことにSFにおいては着眼の自在さ、スケールにおいて他の追随をゆるさず 異星の歴史 風土 文化 政治 などをあますことなく構築するという男性作家顔負けの荒業を緻密な表現でやってのけました。

    紫綬褒章受賞を聞いて 一瞬 閃いたのが 山岸さん どう思ったかなということでした。わたしにとって 少女マンガとは萩尾望都さんと山岸涼子さんとそして大島弓子さんの三人に尽きるのです。 牧美也子 水野英子 西谷祥子等々の先駆者はじめ 飛鳥幸子 岡田史子 樹村みのり 矢代まさ子はじめ 忘れえぬ数多の漫画家がいるにしても 煎じ詰めれば この三人なのでした。三氏に共通するのは 少女マンガで人間の救済を試みた ということではないかとわたしは感じています。

    花の二十四年組と称されるひとたち以前 たとえば 牧美也子の場合 不幸なおいたちの少女が母とめぐりあう それにバレーがからんだりします。水野英子は自己の表現を求める 生きることの意味を求めるヒーローやヒロインを描きました。岡田史子は生の不条理と悪夢を 樹村みのりはひとの心のなかに存在する闇を描き なおかつ日常のなかにきらめくひとのやさしさを 矢代まさ子はよりそうひとびとのぬくもりと それでも癒されぬ孤独 ひとを苦しめずにおかない心の闇をも描きました。 飛鳥幸子は透徹した愛を描きつつ なにもかも笑い飛ばす強靭なセンスを持っていました。西谷祥子は青春群像といささかの毒と珠玉の短編をいくつか描きました。

    時代がすすむにつれ少女マンガは少女たちの夢やあこがれを描きながら 紗のカーテンのすきまから生のおどろおどろしさ 少女のむこうに見える女 女性という性の受ける抑圧 生のの裏側にある死というものを少女たちにほの見せるようになっていきました。 ある意味で岡田史子 矢代まさ子や西谷祥子が抱え持つ矛盾は のちの三人の母体となったようにも思うのです。

    それでは萩尾望都 山岸涼子 大島弓子 この三人が漫画をとおして したことはどんなことだったのでしょう? それは結論的にいうなら ひとの欠落をどう埋めてゆくか ということのように思います。もちろん それまでの少女マンガにも欠落 たとえば親がないこと 貧しさ 現実と夢とのギャップ などさまざまなトラウマ 障碍が設定されていました。ものがたりとは障碍がなければ存在しないのですから あたりまえといってしまえば あたりまえなのですが 貧しさの克服 切り離された親子などという問題を 援助者の出現 偶然といったものでのりこえてゆくことが ストーリーの醍醐味であったのです。最後には大団円が待っていました。

    萩尾望都に 秋の旅という初期の佳作があります。ひとりの少年が作家 モリッツ・クラインを訪れます。クライン氏が留守のため 少年ヨハンはクライン氏の妻の連れ子であるらしい少女ルイーズと話をして帰ろうとするのですが ルイーズは彼の偽名に気づき 少年が父親の別れた最初の妻の息子であることに察知するのです。

    けれど少年はルイーズの勧めを断り 父に名乗ろうとはしません。少年にとってクライン氏は敬愛する作家 父と子であるよりは 人生の先達者 先人 自分が人間としてめざすべきおおきな目標であったのでした。.....父は馬に乗り 息子を追いかけ 列車に手を差し伸べ ふたりの視線と魂は瞬間 交差します。ヨハンは ありがとう ありが...とう とつぶやき 狂気の母と弟の待つ家に帰ってゆくのでした。

    昔の漫画にあったパターンでは 息子は(娘は)父にひきとられ めでたしめでたしとなり 読者はほっと胸をなでおろし 日常に帰るはずでした。しかし 萩尾望都はそうはさせてくれません。ヨハンは気の狂った母あるいは世話をしてくれる叔母さんと弟の待つ家に帰ってゆくのです。欠落は表向き埋められません。読者はヨハンの心情を思いながら やるせなくたたずむばかりです。秋の旅 とは ヨハンの心の旅でした。自分の人生をひきうけ まえに進むための旅 イニシェーション(成長への儀式)といってもよいでしょう。読者はヨハンの旅立ちに立ち会うことで 人生の意味 喪失と獲得の秘儀を見たのです。

    .......どうやらとてもながくなりそうです。次回は 山岸涼子と大島弓子 の欠落 と其の回復について かんがえてみたいと思います。



    

    

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    埃のあるところ 数値が高いと聞きまして 日曜はそうじに明け暮れました。アメリカ製品は遠慮しておりますが ダイソン サイクロンは いいですね。鴨居からたんすのほこりあっという間に吸い込んでくれます。洗濯物はあいかわらず 内干しです。

    不要のものは捨てるようにしていますが なかなか 思うようにはまいりません。.......布がすきです。紗や織った布 語りの衣装......ケルトの伝説 ディオドラ用の衣装は片肌脱ぎの黒.....ケルヴィンの竪琴はブルーの染めのシルク、ダブルガーゼを藍で染めたギリシャ風の衣装 雪女の真白の.... 芦刈のための...... でもひとつだけ残すとしたら白麻......たどりついたのは白の麻....

    少女マンガが好きでした。揺籃期は男性の漫画家もおおく少女マンガをかいていました。手塚治虫 石森章太郎 千葉てつや あすなひろし....それから 牧美也子 わたなべまさこ .....水野英子 西谷祥子.....ときて

    岡田史子 八代まさこ 樹村みのり 萩尾望都 大島弓子 山岸涼子......あとは小粒になりました。.....文庫本ではないので保存がたいへんです。一編ずつ 透明なフィルムに入れて作家ごとにまとめています。萩尾さんは岡田史子さんや八代さんに強い影響を受けたようですが 八代さんは義姉の漫画家新城さちこさんの影響をうけていたんだなと 今日読みかえして思いました。

つまるところ 少女漫画の根っこには手塚治虫がいて 貸本屋まんがの潮流もその底に流れているわけ......昔 新界....新少女漫画界 という 貸本まんがに書く漫画家を育成するところがありました。池田理代子さんだって 貸本屋まんがに描いていたんですよ。漫画雑誌が勃興するまえ 貸本屋は町のそこここにありました。

主な漫画家のほかに 作品が気に入ってとってあるものがあります。その整理がむつかしくて どうしよう 雑誌別? アイウエオ順 と考えあぐねていて そうだ 派手目と地味目にわけてみよう.......これ うまくいきました。

派手目 一条ゆかり もりたじゅん 山本寿美香 名香智子 池田理代子 など

地味目 ささななえ 里中真智子 青池保子 大和和紀 忠津陽子 津雲むつみ など

外側で表現する? 内側で表現する? なにを大事にする?一概にいえないけれどおおまかなくくりになっているような気がします。

大島 萩尾 山岸の 三氏はバランスがいい そして 志でしょうか? うちに燃えるものの強さ 方向性 そこに技術の切磋琢磨 ことばへの感受性 がくわわって はじめて偉大な漫画家は生まれる 市井から生まれる。

    万一 なにかあったら 持って行きたい本は 闇の左手 ルグイン とシムノンの雪は汚れていた.....持ってゆきたい漫画はなんだろう......やっぱり大島さん それから山岸さんの白眼子かな.....そこはかとなく 身辺整理しているのか とわらってしまいまし....。

    少女漫画について .....三人の漫画家についてまとめなくては.....これ課題です。

    

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大キナ デンデンムシノ セナカニ ウマレタバカリノ 小サナデンデンムシガ ノツテ ヰマシタ。小サナ 小サナ スキトホルヤウナ デンデンムシデシタ。
「ボウヤ ボウヤ。モウ、アサダカラ、メヲ ダシナサイ。」ト、大キナ デンデンムシガ ヨビマシタ。
「アメハ フツテ ヰナイノ?」
「フツテ ヰナイヨ。」
「カゼハ フイテ ヰナイノ?」
「フイテ ヰナイヨ。」
「ホントウ?」
「ホントウヨ。」
「ソンナラ。」ト、ホソイ メヲ、アタマノ ウエニ ソーツト ダシマシタ。
「ボウヤノ アタマノ トコロニ 大キナ モノガ アルデセウ?」ト オカアサンガ キヽマシタ。
「ウン、コノ メニ シミル モノ コレ ナアニ」
「ミドリノ ハツパヨ。」
「ハツパ? イキテンノ」
「サウ、デモ ドウモ シヤ シナイカラ ダイヂヨウブ。」
「ア、カアチヤン、ハツパノ サキニ タマガ ヒカツテル」
「ソレハ アサツユツテ モノ。キレイデセウ」
「キレイダナア、キレイダナア、マンマルダナア。」
 スルト、アサツユハ、ハノ サキカラ ピヨイト ハナレテ プツント ヂベタヘ オチテ シマヒマシタ。
「カアチヤン、アサツユガ ニゲテツチヤツタ。」
「オツコツタノヨ。」
「マタ ハツパノ トコヘ カヘツテ クルノ」
「モウ、キマセン。アサツユハ オツコチルト コハレテ シマフノヨ。」
「フーン、ツマンナイネ、ア、シロイ ハツパガ トンデ ユク」
「アレハ ハツパヂヤ ナイコト、テフテフヨ。」
 テフテフハ、キノハノ アヒダヲ クグツテ ソラ タカク トンデ イキマシタ。テフテフガ ミエナク ナルト、コドモノ デンデンムシハ、
「アレ、ナアニ。ハツパト ハツパノ アヒダニ、トホク ミエル モノ。」ト キヽマシタ。
「ソラヨ」ト カアサンノ デンデンムシハ コタヘマシタ。
「ダレカ、ソラノ ナカニ ヰルノ?」
「サア、ソレハ カアサンモ シリマセン。」
「ソラノ ムカフニ ナニガ アルノ?」
「サア、ソレモ シリマセン。」
「フーン」小サイ デンデンムシハ、オカアサマデモ ワカラナイ フシギナ トホイ ソラヲ、ホソイ メヲ 一パイ ノバシテ イツマデモ ミテ ヰマシタ。


新美南吉は 「でんでんむしのかなしみ」 が有名ですが わたしはこのでんでんむしもとても好きです。ちいさなでんでんむしは世界には自分とちがう生きものがいっぱいることを知ります。そして一度おっこちたら コワレテシマフ ことも知ります。そして おかあさまにみわからない ふしぎなとおい空があることを知ります。ちいさなでんむしはたとえ世界が不思議なことで満ちていても......しあわせです。このものがたりはしずかなすみとおった調和に充たされています。 なぜなら でんでんむしはお母さんの背中に乗っていて 存在の重さを母にゆだね 母から掛け値なしに受け入れられているからです。

萩尾望都 の”トーマの心臓”に出てくる登場人物 には父親の喪失を持つひとが多い。”まろやかな”家庭をつくるのよ とポーシリーズのマドンナは言いますが、まろやかな家庭に育ったのはエーリクだけ。ユーリにもエーリクにも父はいない。そしてオスカーの父はほんとうの父ではありません。  これはいったいなんだろう。喪失がまずあって それを回復してゆく道のりが ものがたりでもある。つまり 傷ついた子ども愛されない子どものものがたり。インナーチャイルドのものがたりであり それらのかなしみをかかえた子どもが肩を寄せ合い お互いの傷 というか生来人間がもっている空洞を認め合い おとなへなってゆくものがたり でもあるのです。成長の痛みを描いているといってもいいかもしれません。

大島弓子 山岸涼子の作品にも 繰り返し語られるテーマですね。この傷ついた子ども はたいていの人の中にいまもいるわけで 萩尾さんや大島さん 山岸さんに根強いファンが多いのも 読むひとはそれと知らないで 似た境遇のキャラクターに同化しているのではないか。少年と少女のイニシエーションはおのずと異なります。「その後の大島弓子 萩尾望山岸涼子」では癒しについて三人に共通すること そして違いを書いてみたかったのですが こうして少しずつ書いてゆくのもいいのかもしれません。

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     『私たちは意識して言葉(セリフ)を読みます。意識的でなく無意識に画像を視覚として読みます。
マンガはこの二重性として読んで見るわけですが、「トーマの心臓」で、萩尾望都さんはこの意識と無意識を微細に融合させています。.......「物語」と少し違うところでの関心があります。そこのところで少しお話ができたら嬉しいのですが。』

      らんらんさんのコメントにわたしは固まってしまいました。わたしは意識的に漫画を読むことはあまりないからです。つまり、意識させられる(客観的に読まざるを得ない)漫画は自分にとって相性のいい漫画家ではありません。(この辺は語りにも通じる)らんらんさんはひょっとして 男性!?と思ってしまいました。

      けれども そこからあたるのもおもしろい。それで あした 語り継ぐ戦争と平和の練習があることなどわすれて、(ともかく脚本はつくりなおしたし あしたのスケジュールも組んだし あとは自分のパート「焼き場の少年」の練習だけだといいわけしつつ) トーマの心臓をひっぱりだして読んだところ すっかり ひきこまれてしまいました。

     トーマの心臓のせりふの一部 1ページ分を書き抜いてみます。

カシッ  皿に本がぶつかる音

オスカー おっと!
     なにやってんだ やめろ みんな!
先生Ⅰ  君たち! 席を立たないで!!
先生Ⅱ  席を

バチャ! 皿にスプーンがぶつかる音

生徒Ⅰ  この! なんのうらみが
生徒Ⅱ  そこにいるのがわるい!
オスカー こらーっ!やめろったら! バカ!
オスカー やめ

パシャッ オスカーの顔に飛んできた皿からスープがはね 髪と顔をぬらす

生徒Ⅰ  ......あ....
     オスカー.....あの

ズイ   オスカー 生徒Ⅰをおしのける

ガターン! 生徒たち なぐりあい
ボカ!

エーリク ひとがおとなしくしていれば このうっ
ボカ!
(小学館 フラワーコミクス)

寮を併設したギムナジウムの喧騒。せりふの奔放な生き生きしたリズム 登場人物はコマから飛び出さんばかりで 少しもじっとしていません。この臨場感に読むものは観応し 読者に考えるすきなど与えないのです。



それでは 大島弓子の 野イバラ荘園から やはり 1ページ分 抜書きしてみることにしましょう。

バンッ ドアをあける音

るか   わぁー 勉さん!! みんな!! いらっしゃあ.....
勉    しばらく るか!! またきたよ この気まぐれな妹君はふろくだ。

るか  (ひときわ青白いほお にじむような目のふち うすく笑ったそこだけがぐみのようなくちびる....どういうわけか この荘園を忌み嫌い 彼女が他のいとこたちにまじって夏季休暇を過ごすことはかつてないことだった。-----しばらく見ないうちになんてきれいになったのだろう なんて.... それまで まったく気にしてなかったことだけど....それにくらべて...わたしは くらべると なにひとつ美しくなっていないのだろう 去年とおなじょそばかすのかず 日に焼けたあから.......妹とはいえ ..こんなひとと毎日をともにしているのだったら 勉さんはわたしなぞ さぞ味気なく見えるだろう)

勉    ああ るか 芙蓉にあいてる部屋あったら
るか   ああっ あ....っ はいっ はいっ
芙蓉   クッ(笑う)  

(朝日ソノラマ)

これは冒頭の1ページですが わたしたちはすでにるかの心のなかに入り込んでいます。彼女の抱えるコンプレックス 勉さんへの想い 美しく気まぐれな従妹芙蓉への屈折した気持ち......

どちらも ほぼ同じ時代の少女漫画の傑作ですが 同じ1ページにこめる文字の量、台詞とモノローグとの占める割合 はかなりちがうように思います。後年 萩尾作品が舞台化されることが多く 大島作品が 小説家に影響を与え 映像化されることが多かったこともわかるような気がしますね。

     同時代のごくふつうの漫画は探し出さないと出てこないし わたしは自分のめがねにかなった作品しか していないので 比較のしようがないのですが この二作品は方法は違えど らんらんさんのおっしゃる台詞と画像 意識と無意識の領域を融合する作品ではないでしょうか。もちろん トーマの心臓はより感覚的 直感的であり 野イバラ荘園はことばから喚起されるものがより多かったのですが......。

     物語の世界に溶け込む・我を忘れる それこそが 漫画にせよ 小説にせよ 語りにせよ 受け取る側の醍醐味です。現実を忘れたいからひとは夢中になるのかもしれません。少なくともわたしは批評しながら読んだり聴いたり 見たりするより ものがたり世界に没頭したい。読み手をものがたりに引きずり込む 漫画家 語りべ 映像作家はそのためにしのぎを削るのです。

     受け取る側をひきつけるのは ものがたりそのものの力であり もうひとつは作者がものがたりに抱いている情熱でしょう。稿料のためだけでなく どうしても伝えたいものがあるのです。トーマの心臓連載途中で萩尾望都さんは読者にアンケートの評価が低いらしいこと このままでは連載が打ち切られてしまうかもしれないこと 応援がほしいことを漫画の中で訴えていました。

     では 読み手はものがたりからなにを受け取るのか。ただ物語の展開を待ち望んでいるだけでなく 読み手の無意識の領域でも複雑な動きがあるのではないでしょうか。深層意識の膨大な過去の記憶にヒットして 思考がうごいてゆく 読み手自身の感情の記憶 嫉妬 やるせなさ 哀しみ 葛藤 とかさなる......ものがたりは重層的にダイナミックに動いてゆく。


     らんらんさん ごめんなさい。結局 ものがたりに行き着いてしまいました。トーマの心臓 はひとりの少年が精神的な死から救われるものがたり そこには死と愛がありました。しみじみ 萩尾さんはストーリーテラーだと思います。生と死と再生 ものがたりの古からの永遠のテーマが子どもを相手にした商業誌で堂々と語られていた時代に生きたことをわたしはうれしく思います。そこには少年たちだけでなく その奥にオスカーの父 校長 またユーリ・シドという三人の男の生 愛と死そして癒しと再生が語られるのです。

     野イバラ荘園の場合は 従妹たち五人のひと夏のできごとから 一族の秘密があきらかにされ 死によってあがなわれるのですが これも やはり 生と死と愛 そして再生を内包しています。 なんだか タイトルがちょっとずれたみたいですね。ものがたり 死と愛と再生 萩尾望都 大島弓子 かな........

     



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    愛犬ケヴィンを美容院に連れて行ったあと、心配なのと所在ないのとで娘とカフェで待っておりました。ロケットカフェは居心地のいい空間。美味しいワッフルは生クリームがたっぷり カップ二杯分はゆうにある熱いカフェラテをテーブルに、本棚を物色したところ”いけちゃんとぼく”がうつくしい絵本の数々のなかにありました。

    読んで思わず泣かされてしまって 娘にわたすと 娘は読んだあと 「マリーン....だね」もうひとりの娘もそう言いました。いけちゃんとぼく まだ読んでない方は このつづき見ないでくださいね。

    いけちゃんとぼくは2006年西原理恵子さんの書いた作品

場所は日本 海辺の町。時代は昭和20年代!?ある日、ぼくはいけちゃんに出会った。いけちゃんはうれしいことがあると数がふえて、こまったことがあると小さくなってちぢまる。いつもぼくのことを見てくれてるし、ぼくが友達にいじめられて落ち込んでるとなぐさめてくれる。でも女の子となかよく遊んでるとまっかになって怒り出す。そんないけちゃんのことがぼくは大好きで――。........さようなら 私たち 人生の終わりに とても短い恋をしたの あんまりにも 短い恋だったから、私、もう一度 あいにきたの こどものころのあなたに――

    
    マリーンは1977年萩尾望都さんの書いた作品 原作・今里孝子(萩尾氏マネージャー)

エイブは6歳。父親はおらず、母親が病気になり、ろくに学校にも行けない。ある日、エイブは母親の薬を買った帰り、近所の悪童たちに薬壜を割られてしまう。路上で途方にくれる少年エイブの前に、一人の美少女が現れる。マリーンと名乗った少女は、片方のイヤリングを差し出し、これで薬を買うように言う。薬屋は高価すぎるとイヤリングをエイブに返す。真珠を配し翼をかたどった銀のイヤリングはエイブの宝物になった。

10歳のとき母親が亡くなり、エイブは雇い主だったペイトン氏に引き取られる。ペイトンの娘のディデットは何かとエイブに意地悪をするが、そんなときもマリーンはたびたびあらわれエイブを励ましてくれる。 ある日ディデットのテニスコーチとして、全英ベスト4に入った実力のあるテリー・ローブがペイトン家にやってくる。テリーはエイブの才能に目をとめ、彼をテニスクラブに誘う。1年後、強くなったエイブは他校との試合で完封勝ちする。エイブを思うように出来なくなったディデットがヒステリーを起こし、エイブは罪を着せられ追い出されそうになるが、テリーが引き取る。

テリーのコーチの元で、エイブはプロテニスプレイヤーになり、さらに強くなっていく。力任せのプレイと言われるが、金を稼ぐため必死のプレイに全米、全仏の強豪とも戦って名をあげていく。エイブはマリーンの面影を追っていた。ところが、 ある日、エイブはマリーンの正体を知る。彼女はフィールズベリ伯爵のひとり娘ですでに婚約者もいた。エイブは強いショックを受けるがついに全英チャンピオンになった。そして、彼女の婚約者ビンセント・クラークがアマチュアのテニスチャンピオンだったことから、豪華客船で開かれる結婚披露宴に招待される。

クラークの挑発で、船内のコートでエイブとクラーク プロとアマのチャンピオン対決がはじまる。炎のようなエイブのプレイ エイブが振り仰ぐとマリーンの目がエイブのプレイを凝視めていた。一瞬交わされるふたりの視線。その夜、マリーンは海の中に身を投げた。船の上にはイヤリングの片方が残っていた。

マリーンは この日 はじめてエイブに会ったのだ。そしてひと目で恋に落ち、自分が他の男のものになることを悲しんで、波間に落ちて行ったのだ。そして繰り返し繰り返し マリーンの夢が時を越えて波間からエイブのもとに訪れたのだ。追憶 追憶.....エイブは追憶の波に沈む。

セシリアは1964年水野英子さんが描いた作品 原作は映画ジェニーの肖像

きらめく星をこえ、めくるめく時をこえて二人は出会った---。 貧しい青年画家が出会ったふしぎな美少女セシリア。ロバートはその少女のデッサンを画商に持ち込み糊口をしのぐ。出会うたびに美しく成長してゆくセシリア、セシリアはロバートの希望だった。ロバートとセシリアに恋をする。画商に勧められセシリアの肖像画を描いたところ その絵は美術館に評価され引き取られ ロバートは嘱望される新進画家としてデビューした。前途洋々たるロバート。やがてセシリアの”時”とロバートの”時”は重なる…......しかしその時ジェニーはロバートの目の前で船から落ち溺死する。..........メトロポリタン美術館の片隅に今も黒衣の少女の肖像画がひっそりかざられている......その名はセシリア。

    映画 ジェニーの肖像 1947年 ネイサン原作

1938年の冬、貧しい画家のイーベン・アダムス(ジョセフ・コットン)はセントラル・パークでジェニーと名乗る可愛い少女(ジェニファー・ジョーンズ)と出合った。彼の描いた少女のスケッチは画商のマシューズ(セシル・ケラウェイ)の気に入り 彼もようやく芽が出かけた。

公園のスケート・リンクで再びジェニーに出合ったアダムスは、彼女が暫くの間ににわかに美しく成長したのにうたれ、早速その肖像画を描く事を約した。約束の日彼女は来ず、彼女の両親がいるという劇場を訪ねたアダムスは、その劇場が既に数年前に潰れて当時からジェニーは尼僧院に入れられていることを発見した。数ケ月後、消息不明だったジェニーは、成熟した女性になって突然アダムスの画室に現れた。彼は直ちに肖像画制作にかかるが、未完成のまま彼女は姿を消してしまった。

しかしモデル不在のまま完成したその画は非常な評判となり、アダムスは一躍画壇の寵児となった。ジェニーを求めて尼僧院を訪れたアダムスは、彼女が1920年ニュー・イングランドを襲った津波で溺死したことを聞いた。彼はすぐさま現場の岬へかけつけねボートを漕ぎ出したが、とたん、彼のボートも猛烈な暴風で叩き潰された。命からがら崖にはい上った彼はジェニーのボートが近づいて来るのを見、夢中で救い上げたが、襲いかかった波は二人を呑んでしまった。アダムスが気がついた時、周囲の人々は誰ひとりとしてジェニーを知らなかった。彼女は、ただアダムスの心の中だけに永久に生きている女性なのであった。


とくに セシリア マリーン いけちゃんに共通するのは ......

”時”を超えて会いにくる女性的なるもの

それは少年(青年)の成長を見守り手助けする母性的な存在

過去=未来に一瞬の恋 がありものがたりが遡ってゆく



........ものがたりがかたちを変え、時代と場所を替えても キーワードとしての「海」は残っていました。海 子宮 母 ........恋人が母性そのものとして未来の恋人の成長に手を貸してゆくという このパターンを女性が描くということに対する眩暈がわたしのなかにはあります。.....いけちゃんはひとのすがたではあらわれません。ちょっとどらえもんをおもいだしましたが かわいいひとだまみたいなかたちなんですね。いけちゃんを老いらくの恋にして だからもあるのだろうけど おばけにしちゃって増殖もするというのは西原さんの卓越したストーリーテラーとしての資質であるような気がするし 美少女・美少年にしなかったのがまさにそうなんですが ものがたりの骨格を考えるとき、セシリアなくしてマリーンはなかったし マリーンなくして いけちゃんもいなかったような気がするのです。

    たぶん西原さんはマリーンを見ているだろうな.....漫画が好きだったら 漫画界をその時代牽引していた水野英子や萩尾望都の作品に目をとおさないはずはないし、インスパイヤされるのがわるいというわけではもちろんありません。ただ 漫画ファンとしてこのような流れがあったのではないかということを明らかにしておきたいのです。

    最近 カーロ・カルーソー(自作のものがたり)のカーロに天分があることから 気持ちを投入できなかった という感想を読ませていただき 主人公の設定について いたく感じたこともありました。そういえば漫画の主人公って ふつうの子のほうが受け入れられるようですね。のび太くんとか ちびまる子ちゃんとか。そこに不可思議な力がはたらくとすれば 昔話の王道 魔法昔話を踏襲したものですし 今日 取り上げた3つのものがたりもその範疇にはいることになります。成長譚 イニシエーションと捉えることもできる。

    主人公を寝たろう・イワンのばかタイプにするか 小太郎(貴種流離譚)タイプにするか 幸福の王子(非凡だが 制約がある)タイプにするか これはもうすきずきなんですが 絵の上手なきれいなひとは ルックスの綺麗な主人公にしがちかもしれない。わたしは創作のときどうなのかな 美醜ではないけれど 秘めたうつくしさ 凛としたものを持つヒロインが多いかもしれない。主人公のアーキタイプからさぐっていく、ものがたりを組んでいくのもおもしろいかもしれません。.........少女漫画史も 大御所萩尾望都を直前にしばらく 足踏みしていますね。書きたいのは以前書いた 私的大島弓子論のつづき 萩尾さん 山岸さん 大島さんの”その後”なんですが これは力仕事になりそうです。そのうち じっくり はじめることにましょう。




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    きのう 仕事もしないで大島弓子さんの漫画 を読んでいました。サンコミクスのアンソロジー”野イバラ荘園”と”夏の終わりのト短調”だったと思います。意外にも心に残ったのは”夏の終わりの.....”でした。


① 悲劇の時代
  この間に学園ものやハッピーエンドの女王と呼ばれる時代があります。
② ロマンの時代
③ チビ猫の時代
④ 神経症の少女たちの時代
⑤ トラウマと甦りの時代

大島漫画はおおざっぱに五つにわけられるように思うのです。はじめの頃は 詩子と呼んで もう一度!! とか誕生とか もう一度生きたい とかこれでもかこれでもかというように悲劇ばかり描かれていました。

②はミモザ舘とか 野イバラ荘園 海にいるのは のように悲劇ではありますが 障害を越えて成就した”愛 ”のかたちがあります。殉愛 といってもいいでしょう。そしてそれを見つめるのは少年少女の瑞々しい瞳です。またすべて緑になる日までのようにハッピーエンドのものがたりもたくさん描かれています。 わたしが大島弓子さんに夢中になったのはこの時代でした。流麗な線 瑞々しい感性 そしてことば 大島さんの奔流のようなことばに幻惑され魅了されました。

③はご存知のとおり 一世を風靡したチビ猫のシリーズ。チビ猫は貴婦人のようなお姫様のようなスプリングフィールドになることを夢見ますが いつまでもチビ猫。少女のままでいます。

④になって少女は少女のカラを脱ぎ捨てるための痛々しい戦いをはじめるのです。 ”バナナブレッドのプディング” ”痛い棘 痛くない棘””草冠の姫””赤西瓜 黄西瓜”などなど。

そして圧巻が⑤です。 今日 読んだのは 黄昏は逢魔が刻 夏の終わりのト短調 夏休み?  なのですが 共通しているのは 長い間抱えていた心の傷 .....母親に棄てられた青年 好きだった少女に贈り物を渡せずずっと想いを胸にしまっていた初老の紳士 満たされぬその妻 憧れのひとと結婚できなかった痛みを完璧な家庭をつくることで補おうとする主婦......のトラウマの解消とあらたな旅立ちのものがたりです。そしてそこに介在し 手を貸し 見守るのが登場人物の少女の役目なのです。少女は主人公に見えて狂言回しでありあるいは語り手です。

これってすごい 少女漫画じゃないんですもの。 生と死と再生.....ものがたりの真髄がありますね。

     少女も少女のままでいつまでもいられない。萩尾望都 山岸涼子 の両氏も 少女のカラを脱ぎ捨てる葛藤を別のカタチで描きました。フロル・ベリチェリは両性具有体から変異します。萩尾さんの場合は意識的無意識的に主人公の少女が選択しているように思います。山岸さんはもっと生々しい 天人唐草 潮の音 時じくの香くの木の実 など無念にも 少女のままに固定された少女たち あるいは少女のカラを脱ぎ捨て男をとろかす蛇体のような存在になってゆく少女を描いています。

     少年が男になるための通過儀礼より もっと陰湿な奥深いものが少女の成長にはつきまとう......そのあたり 三人の変遷をより深く辿ってゆきたいと思います。




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    みなさまはコミケットをご存知でしょうか?コミケットはコミック+マーケットの造語でしょうか?世界最大の漫画ファンならびにオタクのためのイベントです。そのコミケットがなぜ生まれたか....みなさまにご紹介しようと思います。

    漫画ファンのための漫画専門誌 それがCOMのキャッチコピーでした。現代漫画の神 手塚治虫が万をじして企てたのです。(いよいよ白土三平のカムイ伝の連載がはじまろうというガロに影響を受けたようです。ガロもまた新人発掘を積極的にしていました。)

    1967年1月 創刊 わたしたち漫画ファンは一日千秋の思いで創刊号を待ちました。手塚治虫の過去現在未来をつらぬく大連載「火の鳥」スタート 実験的な石ノ森章太郎のジュンのファンタジーワールド 伝説のときわ荘ものがたり......時代が変わる予感がしました。

    COMは漫画家をめざす若いひとたちの希望でした。商業紙へのデビューの第一歩となったからです。これはという若い作家の作品を積極的に掲載したばかりでなく、ぐら・こんでは真崎守が「峠あかね」名義で漫画評論を行い、また全国規模の同人誌を組織していました。ぐら・こんはあたらしい漫画をめざし漫画家と予備軍とファンと批評家を結ぶ場所にもなりました。岡田史子や樹村みのりの作品が耳目を集めました。矢代まさこの作品もCOMや姉妹紙ファニーに多く掲載されました。

    わたしの見解では少女漫画は萩尾望都によって 本来持っていた翼をひろげたのです。そして萩尾望都とそれにつづく少女漫画家群は一時は少年漫画を凌駕し、漫画だけでなく演劇や映画、小説なども揺さぶり影響を与えました。手塚治虫・岡田史子・矢代まさこ・樹村みのりは萩尾望都がもっとも影響を受けた漫画家でした。萩尾さんの作品も「ポーチで少女が子犬と(投稿作品) 10月の少女たち(原稿依頼から)がCOMに掲載されました。


☆COMの刊行期間は、1967年1月号 から1971年12月号です。最後のほうはあまりおもしろくありませんでした。1973年に8月号として、1号だけ復刊された(1973年8月1日発行)が、その後、虫プロ商事は倒産しました。

☆萩尾望都の年譜
1969年 ルルとミミ すてきな魔法

1970年 クールキャット 爆発会社 ビアンカ ケーキケーキケーキ

1971年 ポーチで少女が子犬と ベルとマイクのお話し 雪の子 塔のある家 花嫁をひろった男 ジェニファの恋のお相手は かたっぽのふるぐつ かわいそうなママ 精霊狩り モードリン 小夜の縫うゆかた ケネスおじさんとふたご もうひとつの恋 10月の少女たち 秋の旅
白き森白い少年の笛 11月のギムナジウム セーラ・ヒルの聖夜 白い鳥になった少女

1972年 あそび玉 みつくにの娘 毛糸玉にじゃれないで すきとおった銀の髪(ポーの一族) ごめんあそばせ! ドアの中のわたしのむすこ 3月ウサギが集団で 妖精の子もり 6月の声  ママレードちゃん ポーの村(ポーの一族) グレン・スミスの日記(ポーの一族) ポーの一族 とってもしあわせモトちゃん ミーア

1972年 萩尾望都は堰を切ったように作品を発表 のちの萌芽がすでにそこにありました。COMは役割を終えたように虫プロ商事の倒産とともに姿を消します。

    グラコンはなくなり 漫画家予備軍ならびにファンは行き場を失います。グラコンの継承者はあらわれず 受け皿として 漫画大会が開かれます。漫画大会はSF大会を模して開催されたコンベンション形式の漫画イベントで入場者有料-申込みで合宿あり、内容はスライド講演・作家挨拶・パネルディスカッション・ファン賞選定・オークション・ファンジン即売。1972年7月のことでした。

    ところが 漫画大会は思わぬこと(参加者の投書)から頓挫、4回で終わりを告げ そのあとをコミケットが引き継いだのです。初回コミケットは1975年12月21日のことです。このときの代表が原田央男さん(ペンネーム 霜月高中.....11月のギムナジウム...高等中学校をもじったもの)と米澤嘉博さんでした。米澤氏は少女漫画の収集家 批評家でもありました。

    しかしながら コミケットは主催者も思わなかった変貌をとげるのです。あたらしい漫画をめざし漫画家と予備軍とファンと批評家を結ぶ場所からお祭りの場へ 大きなお金の動く場へ......一番大きな変化は...参加者が漫画を描くこと 漫画家になることから 参加する 遊ぶことへの圧倒的なシフト替えでした。同人にしてもパロディがふえ、同人誌、グッズの販売やコスプレなど文字とおり巨大なマーケット・市場になったのです。

    漫画を描きたいという情熱の中身はいったいなんでしょう? 自分のなかにあるふつふつとたぎるものを外に出したい欲求、あたらしい世界観の創出と言ったら過ぎるでしょうか。その目的が作品を世に送り出すことから すでに世に出た既存のまんがの周辺にたむろし 擬似的亜流的世界に身をゆだねることへの変換 そこにコミックマーケットの成功も逆にいえば失敗もあったのではないでしょうか。


    ひさしぶりに 真崎・守の”連作・錆びついた命” を見ました。商業紙...少年マガジン....でこれが連載できた時代にいたことをわたしはうれしく思います。(光る風も衝撃でした)今日 内山まち 千明初美 ささやななえ を読みました。新城さちこさんを読みました。漫画もまた読むひとの心を癒し揺さぶり 生きる力をよみがえらせる力を持っています。あたらしい漫画家 を待望します。


昔 漫画大会とうイベントがあったは→コチラ  


    

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花の24年組に先立つ漫画家のなかで、少女フレンド系の漫画家は絵柄が地味だったし ストーリーも華やかではなかった。それで生活派ではない? わたしは一歩引いてみていたのだが 講談社漫画賞の受賞者には興味津々だった。


里中真智子  1948年(昭和23年)生

1964年第1回講談社新人漫画賞受賞
デビュー作は銀のたてごと。これは未読だが タイトルからして水野英子とおなじである。マヤには水野英子・セシリア(1964) の影響を感じる。くらい空のはては核戦争?がテーマ。 マリアは知っているはキリスト教徒が受けた迫害をテーマにしたもの。王女エレナはここから派生したような気がする。はじめのうちはストイックで理想を追い求める作風であった。絵はあまりうまくはなかったが 作者の想いがものがたりに輝きをあたえていたように思う。

里中真智子オフィシャルサイトは→コチラ

所有作品

1964年 ピアの肖像 マリアは知っている
1965年 くらい空のはて いとしのレナ マヤ


青池保子 1948年(昭和23年)生

1960年、中学一年生の夏休みに、敬愛する少女漫画家の水野英子宅を訪問。その人柄に感銘し、大きな刺激を受ける。
1963年(昭和38年)りぼん『さよならナネット』15歳でプロデビュー。その後少女フレンドで活躍。第一回講談社新人漫画賞佳作
1976年 「イブの息子たち」で絵柄・作風がガラリと変わる。

「死の谷」は好きな作品だった。水野英子のトゥオネラの白鳥(1962)に似ている。

公式HPは→コチラ

所有作品

1964 ローラのほほえみ  ミラ  死の谷
1965 パティばんざい  月まつり  おおキャロル!
1969 青蓮の恋歌

大和和紀  1948年(昭和23年)生

1966年、『少女フレンド』(講談社)掲載の『どろぼう天使』でデビュー  しかしその前に資本漫画で書いていたらしい。デビュー作どろぼう天使はシリーズもの。どろぼうを稼業にしている少年のさまざまな出会いから生まれるドラマ。大和和紀は少女フレンド系の漫画家のなかではセンスを感じる漫画家だった。

所有作品

1966年 どろぼう天使 週刊少女フレンド37号
1967年 星空にこんばんは 増刊少女フレンド4/11号
    星空のエンゼル(扉絵・谷悠紀子) 増刊少女フレンド8/10号
1968年パリのおじょうさん 別冊少女フレンド1月号
  ふたりでお茶を 別冊少女フレンド6月号
1970年真由子の日記
KILLAなど
1976年 薔薇子爵

大和和紀作品リストは→コチラ

谷口ひとみ 1949?1950年生?

1966年、高校2年生で第四回講談社新人まんが賞に入選。受賞作エリノアはとても印象的な作品だった。みにくい少女が主人公の漫画がなかったわけではない。しかしエリノアは並外れていた。仙女の贈り物で一日だけエリノアはカミーリアに変身する。うつくしいカミーリアを愛した王子は 泉に映ったそ真実の姿エリノアを見たとき「君はみにくすぎる」とつぶやく。この瞬間 エリノアは死んだのだと思う。これを描いた作者の心象風景を考えると辛くなるような、自虐的ともいえるものがたりである。エリノアは王子を救うために生命を投げ出す。だがエリノアの死は報われない。

なぜなら王子はエリノアが変身した うつくしいカミーリアを忘れてしまう ふたりのわすれ難いきらめく結晶のような一瞬も忘れてしまうのだから。思い出に残ることもゆるされない、それは全き無である。エリノアは究極の贄をささげたのかもしれないが、だが それは真実 王子のためであったのだろうか。むしろ そのことで自分を救ったのではあるまいか。 逃げたのではあるまいか。今のわたしには エリノアにある種の不遜ささえ感じる。作者とおなじ年頃の頃は若干のわだかまりを感じながらもたいせつに思える作品であったが.....。〆のことば、エリノアは世界で一番幸福な少女だったのではないでしょうか.....それは嘘だと思う。谷口ひとみさんはそのことを知っていたと思う。ひとは傷ついても傷ついても 血を流しも 決して、決して.....。

(追記:この作品で漫画賞を受けた谷口さんは一ヵ月後睡眠薬自殺をなさったそうだ。エリノアには予兆があったのかもしれない。生きて描き続けてほしかったけれど 今はご冥福を祈るのみ。 エリノアは復刻されています。)

所有作品

エリノア (オリジナル)

忠津陽子

マーガレット系であるが 忠津さんはここに置くのがバランスがいい感じがする。初期作品はことの大和和紀に画風が似ていた。デビューは1967年 夏の日のコーラ 
毒がない.....清潔で明るい漫画。

所有作品

1967年 夏の日のコーラ とびだせリタ
1973年 ミリーただいま参上
1968年 ただいま留学中  パパとママは世界一
その他いろいろ

作品リストは→コチラ




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飛鳥幸子の活躍した期間は短かかった。けれども その軌跡はとてもあざやかで 辛口のウィットといい 鮮烈なカットといい 着想のユニークさといい ハチャメチャにもってゆく度胸といい、日本人離れしていた。COMに連載した超短編ホラーの切れ口は血が滴るようだった。漫画界を去ってイラストレーターとして活躍のようだが、わたしたちは飛鳥幸子を忘れない。


    「白いリーヌ」 吸血鬼ものである、白い霧のなかから腕いっぱいの白百合を抱いてあらわれるリーヌのうつくしさ.....愛によって滅びてゆくリーヌ.....

    「フレデリカの朝」 英国人少女 フレデリカの前にあらわれたのは憎きドイツ兵だった。人質にされたフレデリカはなんとかして逃げようとするが、折も折 幼い弟が高熱をだして倒れる。ドイツ兵がとったのは意外な行動だった......フレデリカは撃たれて瀕死の傷を負ったドイツ兵にすがりつく.....→あすなひろし参照

所有作品

連載
1967白いリーヌ フレデリカの朝
1968 恋は銀色 ほほえみをあなたに 恋のメロディ
MissイブとMr.アダム 紳士は甘いのがお好き ハレンチIQ大作戦
1969 ブラボー5人娘 Dr.アシモフの華麗な冒険
短編
いま見ちゃいけない 狂い咲き そして…夜に …赤はお好き?

すべて掲載誌からはずしたもの

飛鳥幸子HPは→コチラ

作品リストは→コチラ



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    樹村 みのり(きむら みのり、1949年11月11日 - )矢代まさこから影響を受けたという。

    1964年、14歳にて『ピクニック』(集英社『りぼん』春の増刊)でデビュー。
    樹村 みのりの登場は岡田史子の登場とは違った意味で衝撃だった。ひとはどういうときに 嫉妬するのだろう。圧倒的な超え難い仕事や作風ににたいしてはひれ伏し 憧憬するばかりである。もしかしたらがんばって届くかもしれない才能、届かないにしても ある種の注意深ささえあれば 自分でも気づけたかもしれない視点 あるいは描きたかったものがたりの先を越されたとき、嫉妬するのではないだろうか.....。 今思えば わたしは樹村 みのりにすこしばかり 嫉妬していたのかもしれない。といっても近くに見える山が実ははるかに遠いのである。

    樹村みのりや矢代まさこにたいして わたしの中には屈折した想いがある。それでいい.....だけどそればかりではない....という感情。卑近なささやかなものの細部に神は宿るのかもしれないが、天翔ける翼が....臈たけた美しさが.....地に囚われた人間の営みから矢のように放たれた憧れが.....少なくとも地上と天井と二つの秤のバランスがほしかった.....それはもう好みの問題に過ぎないのだけれど......

    ピクニックはそれまでのまんがとは一線を画したまんがだった。ものがたりは事件があってはじまる。しかし 樹村 みのりのまんがにはそれほどだいそれた事件は起きない、日常のなかに淡々とはじまり 多くはひそやかに終わる。もちろん登場人物のこころのなかでドラマが起こる........樹村 みのりの作品のなかではなにが起こり なにが語られるのか?

.......幸福....こうふく....とはなにかが語られるのだ。そして読むわたしたちはリアルにものがたりを生き こうふくとはなにかを味わい あるときは研ぎ澄まされた刃のようにつきつけられるのだ。樹村 みのりほどこうふく ということばにふさわしい漫画家はそうはいない。

    樹村 みのりは短編作家である。唯一 長編といえるものは ”あした輝く星”。この作品は出版社の要請でテーマが決まったのだろうか? 田舎から出てきた少女が悩みながら女優になるまでのものがたり...樹村みのりにしては異質である。同じテーマを扱った水野英子の”ブロードウェイの星”(私的少女まんが史②)は週刊マーガレット 1967年38号~1968年18号に掲載された。月に4.5冊出るとして38号というと9月頃か? ”あした輝く星”はそれに先立つりぼんの4月号...3月発売 ......水野英子がインスパイヤされた可能性が高い。(ガラスの仮面..美内すずえ....は1976年1月から)

    この作品が画期的だったのは主人公の容姿....と演技についての考え方....この項はあとで書きたいと思う.....さて 会合にでかけるので 強引にまとめる。

    樹村みのりのソースはほんのちょっとした断片 幼い日の記憶 日々の暮らしのヒトコマ 新聞や雑誌の一行....ではないかとわたしは想像する。(姉弟のはなしが多い)樹村みのりはそのちいさなかけらをあたため 心のなかで結晶化させ 作品にする。病気の日の冒頭....

........病気の日ってステキなの......だってね 好きな時間まで眠っていられるでしょ

........病気の日ってステキな日 だって おとうさんとおかあさんがとってもなかよしに見えるんだもの......そしてラスト

........だけどきょうは病気の日.....きょうは魔法がつかえる日

.......これは幼稚園から小学校時代の「病気でやすんだ日」のわたしの気持ちそのものだった。

そして もうひとつの視点 一見善なる平凡なひとのなかに棲むひとりよがり 心の弱さ 他者を不幸にしてしまうかもしれない種子を 樹村みのりは過酷なまでに わたしたちの目につきつける。”まもる君が死んだ!” ”開放の最初の日” それだから わたしは樹村みのりの作品を前に 目を瞑ってしまうのかもしれない。

  


今 所有している作品

1967(昭和42)年 あした輝く星 りぼん4~6月号

1969(昭和44)年 おとうと COM 9月号
1970(昭和45)年 まもる君が死んだ りぼんコミック5月号
        解放の最初の日 COM 5・6月合併号
病気の日 りぼんコミック8月号
海へ・ ・ ・ りぼんコミック9月号
1971(昭和46)年 冬の花火 りぼんコミック2月号
跳べないとび箱 りぼん5月号
おねえさんの結婚 COM 9月号
こうふくな話 COM 12月号
1976(昭和51年 姉さん 別冊少女コミック6月号

        翼のない鳥 
        贈り物
        雪どけ
  

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矢代まさこは昭和22年、花の24年組にほんのすこしさきがけて生まれ 15歳で貸本漫画でデビューしました。貸本漫画の終わりのころの花形であり 商業誌とふたつの媒体を生きた漫画家です。貸本漫画では26冊つづいたようこシリーズ(さまざまな「ようこ」を主人公にした連作漫画)が有名です。わたしのなまえがようこであったこともあってようこシリーズをほぼ全巻持っていました。かさばるので7冊を残して処分してしまったのが今となっては残念です。(一時は1冊4000円から9000円という高値がつきました)ようこシリーズでは”見えないながれ”と”ピーナツをひとつぶ””笑ってごらん”が好きです。

見えない流れは幼い少女が家族の復讐をするものがたり、笑ってごらんは少女の再生のものがたり.....とても鮮烈でした。

   その後別冊マーガレットに登場、COM ジャンプ、キング、チャンピオンなどの少年誌、青年誌で矢代まさこは果敢な挑戦をつづけました。女性が男性誌に書いた草分けではなかったかと思います。西谷祥子が高橋留美子について 男女の垣根を越えた漫画家があらわれた(それが望みだったが先を越された)感慨を書いていましたが、少年誌に掲載されることは女性漫画家にとってひとつの夢であったのではないか、それを最初にしてしまったのが矢代まさこではないかと思います。

   貸本まんがで活躍した新城さちこさんが夫君山本まさはるさんの姉であると知ったのは 近年のことです。新城さんは生活に根ざしたテーマを鋭く描く漫画家で社会派でもありました。矢代まさこは新城さちこにから影響をうけたようです。新城さちこの漫画にはキラリ光るものがありましたが、絵柄が地味だったので捨ててしまったのがこれも残念です。

    生活に根ざした明るいコメディー、家族や動物がある苦難を乗り越えてふたたび歩き出すというテーマが印象に残っています。またそれとうらはらに ひとの心に潜むトワイライトゾーン.......自分でもわからない薄青い闇を描くことのできる漫画家でした。後半の作品から感じるのは、たとえばヤツデの木の下 薄暗がりにひっそり咲く白い花のイメージです。日本固有のものといわれる私小説に似たこまやかなひそやかな湿った匂い.....それは独特のものでした。いつのまにか指をすり抜けていったしあわせ....のようなテーマ....商業誌では書けないものがたりをファニィ などで書いたのでしょうか。すこし昔の日本の少女の揺れ動く思春期....清潔な首筋 かすかなせっけんの匂い うちに秘めた秘密....がこれほど似合うひとを知りません。

    作品はほとんどが自分のなかから生み出されたもの...創作のひとでした。再話というとジェイン・エアしか思い浮かびませんが、力のこもったものでした。この作品ばかりではありませんが、畳み掛けるような緊迫感 主人公が心理的に追い詰められるシーンが秀逸 のちの漫画家が参考にしたのではないかと思います。男性の描き方は類型的でした。のちに睦月とみの名で書きましたが それらの作品はとってありません。......名前を変えれば中身も変わるような気がした.....という後年のコメントが心に響きます。

    樹村みのりは矢代まさこの影響をもっとも受けたひとです。もっと光をいれて明るくして影と光のコントラストをつけ ひとの闇をより社会にひろげたひとでした。矢代まさこは萩尾望都が 横山光輝 水野英子 とおなじように模写し 初期に強く影響を受けた漫画家でもありました。

画像はあとでUPします。

所有作品

1965年 
しあわせの後姿 (単行本) ようこシリーズ 4  
見えない流れ (単行本) ようこシリーズ 5  
ジョオの青い星 (単行本) ようこシリーズ 14  
歌うこがらし (単行本) ようこシリーズ 17  
1966年
ちびっこ聖者 『別冊マーガレット』 10月号 24
ミミー,みっつ 『別冊マーガレット』 12月号 31
ピーナッツを一粒 (単行本) ようこシリーズ 20  
よっこヒヨッコ逃亡記 (単行本) ようこシリーズ 21  
ママに乾杯 (単行本) ようこシリーズ 22  
笑ってごらん (単行本) ようこシリーズ 23  
おはぎのお嫁いり (単行本) ようこシリーズ 26  

1967年
ゲンの吹雪 『別冊マーガレット』 1月号 24
子象のデイト 『別冊マーガレット』 2月号 31
ジーン・ブルース 『別冊マーガレット』 4月号 16
こねこのピアノ 『週間マーガレット』 24号 29
えくぼがお似合い 『別冊マーガレット』 6月号 30
虹どろぼう 『別冊マーガレット』 8月号 48
ミセス・モンローのお嬢さん 『別冊マーガレット』 9月号 31
水晶のフェアリィ 絵物語『別冊マーガレット』 10月号
トルウラブ ひとりぼっち 『週間マーガレット』 39号 29
サチのポプラレター 『週間マーガレット』 43号 ~48号
イブのらくがき 『別冊マーガレット』 12月号 24
赤い風船 『マーガレット増刊』 12/14増刊 7
キキの新しい歌 『別冊マーガレット』 1月号 24
水晶の山 『別冊マーガレット』 2月号 6
石の花 絵物語『別冊マーガレット』 3月号 6
短編シリーズ 1 蝶々の泣いた夜 『COM』 6月号 16
短編シリーズ 2 笑いかわせみにいえない話 『COM』 7月号 20
短編シリーズ 3 歌うたう里子 『COM』 8月号 20
短編シリーズ 4 わが名はボケ猫 『COM』 9月号 20
短編シリーズ 5 クモの糸 3話 『COM』 10月号 22
短編シリーズ 6 ここちゃん 『COM』 11月号 16
短編シリーズ 7 5匹と2人の物語 『COM』 12月号 24
ほおずきの歌 少女コミック 6月号 31
パパと7人の仲間 少女コミック 8月号 53
おんぼろデュエット 少女コミック 10月号 31
1969年
短編シリーズ 8 シャボン玉 『COM』 1月号~3月号 71
短編シリーズ No.9 影を落とした・・・・・・ 『COM』 4月号 20
短編シリーズ No.11 熱・すすき・白い闇 『COM』 6月号 20
短編シリーズ 最終回 まり子の涙 『COM』 7月号 20
ノアをさがして 『COM』11月号 48
愛と感動のシリーズ 4 白神 週刊少年マガジン12号 30
純愛シリーズ① ひとときだけ・・・ ファニー 創刊号 16
純愛シリーズ② 6月は、もの想う ファニー 6月号 16
純愛シリーズ③ 永久花の死 ファニー 7月号 16
純愛シリーズ④ ひぐらしの季節 ファニー 9月号 16
純愛シリーズ⑤ 風が通りすぎる・・・ ファニー 10月号 16
純愛シリーズ<最終回> 何処の波に・・・ ファニー 11月号 16
ジェーンエア ジュニアコミックス 5月号(通巻9号) 163
イルカのくる島 りぼんコミック 9月特大号 31
1970年
トムピリビに会った? 『デラックス・マーガレット』 春の号 30
シークレット・ラブ 『デラックス・マーガレット』 冬の号 31
風のある絵 『COM』昭和45年 3月号 24
イルカのくる島 別冊ファニー 7月号 31
ひいらぎ 『COM』 1月号 24
エミのストールのこと 『COM』 4月号 24
うそつき鏡 『COM』 10月号 24
1974年
雪の夜に聞かせて 月刊ファニー 5月号 32
矢代まさこよみきり劇場(1) 赤い実たべた!? 週刊少女コミック 8月19日号 40
1975年
かわいそうなイヴォンヌ! 週刊少女コミック 10月12日号 40



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    アンドレ・ジイドは自分の小説をレシ(récit)、ソチ(sotie)、ロマン(roman)の三種に分類しました。レシは回想 日記など一人称の伝統的な小説、ソチは風刺性のあるもの ロマンは大河小説のようなものでしょうか。漫画を論じるにも分類があると便利ですね。

    しかし、ここでむつかしいことに気づきました。ひとりを主人公にしたものがたりにも長編もあれば短編もあります。連作短編の長編もある....たとえば”綿の国星””ポーシリーズ”

    ここでは単発のもの、前後編を短編、3回以上の連載について長編、単なる個人史の段階を越えて、集団や時代、更には人類全体を視野におさめた歴史を描いたものを大河(連載)とします。

    内容について喜劇的ストーリー、コミカルなハッピーエンドで終わるものをコメディ、「不幸や悲惨な出来事を題材とし、人間や人生を悲壮さ・崇高さの面からとらえ、受難とそれへの闘いの過程を厳粛に表現したもの...大辞林」をロマンとします。(ドラマとどちらがいいでしょう、ドラマのほうがリアルになりますね)

    ジャンルについて 1 恋愛 2 ファミリー(親子や家族をテーマにしたもの 3 学園 4 ファンタジー 5 SF 6 心理(トラウマなどを扱ったもの)7 スピリチュアル 8 怪奇 9 芸道 10 歴史 11 社会派  とします。

たとえば、「スターレッド」はSF大河ロマン......「日出る処の天子」は歴史大河ロマン......「柳の木」はスピリチュアルファミリー短編ロマン?

    こんなことを考えたのも萩尾望都さんの作品は ウラが見えない....それだけ創造的ということなんですが.....そのうえジャンルが広大です。少女まんが史をわたしは簡単に考えすぎていました。......さまざまな作品を反芻しているうちに 気がついたのですが まんがの根っ子には”癒し”がある......語りとおなじでした。娯楽というものの根っ子はすべからくそうなのでしょうね。作者(語り部)はものがたりをつむぎながら 自らを癒してゆく.....読者(聴き手)はそのものがたりをうけとめて 味わい ともに生きることで自らを癒してゆくのではないでしょうか......少女まんがの場合 それは岡田史子、西谷祥子のあたりからはじまったのです。「私」を意識すると 孤独と向き合う闇の夜がはじまる......

    あとがきみたいになってしまいました。それでは本編はもうすこしお待ちくださいね。



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    「白い霧の物語」をはじめて見たときの衝撃は一種独特のものでした。那羅原伝説と題されたものがたりはわずか26Pでしたが、濃密さがハンパではなくて、二時間の映画を見たような気分になりました。はるか時を超えてまや姫のさまよう那羅原の白い霧に封じ」こめられたようでした。精緻な絵 斬新な構図は44年の年月を経ても古びてはいません。ヒロインは星百合子さんに似ているような気がします。

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     あすなひろしさんは商業デザインをしていたそうです。そのせいか扉絵が実にシャープ、映画のポスターのようでした。タイトルのレタリングも独特でした。職人わざといえるのはこの方くらいと思うほど、こだわりをもって仕事をなさっていたようです。花と十字架、しろがねの雪はなかよしの増刊でA4サイズなのですが 大胆な構図と精緻で丹念な描線は息を呑むほどうつくしい。

     水野英子さんとの共作 ミルタの森は覚えているのですが、無いところを見ると捨ててしまったのでしょう。惜しいことをしました。あの頃は水野英子さんの熱狂的なファンでしたから、たとえあすなさんでも共作がゆるせなかったのでしょう。ビビデバビデブー 水色の花も捨てたみたいです。乙女心というのは過ぎ去ってしまうとよくわからないものです。

     あすなさんは叙情性のゆたかな少女漫画とともに青年誌にはハードボイルドも書きました。また人情ものも味わい深かった。ラメのスゥちゃんという一杯飲み屋のおばちゃんを描いた読みきりもよかった。市井の生きているひとを描ける漫画家でした。

     少女漫画においては圧倒的な画力で叙情的な恋とコミカルなコメディを書き分け、後続の漫画家たちに大きな影響を与えました。モノガタリのモチーフをつくったのです。.....たとえば 冬の水車....逃れてきた兵士が少女を助けて撃ち殺されるというものがたり.....このモチーフは数年後 後述する飛鳥幸子さんが「フレデリカの朝」でリメイクしますし、ほかにもこのかたちを踏襲した漫画家が2.3人はいます。

     また、文学の漫画化にもセンスがあって 絵物語では「悲しみよこんにちわ」「黒猫」など他の漫画家の絵物語とは一線を画していました。漫画では「嵐が丘」を堂々ジュニアコンパクトの創刊号に書きました。「赤と黒」それからもうすこしあったような気がします。男性作家全般に言えることですが、構築力とか背景 メカなどに優れている反面 登場人物がどうしても地味になってしまうという欠点があります。それが後年 男性誌に活動の場をうつすことにつながったのではないかと思うのです。


     あすなひろしさんは2001年3月肺がんで逝去されました。追悼ウェブサイトがあります。一部が復刊されたようです。

追悼ウェブサイトは→コチラ






所有している作品


1964 白い霧の物語 花と十字架 妖精の白い花  さざんかの咲くころ 冬の水車 しろがねの雪 雪のはなびら おとうの貝 コレットの白ばら むらさきのゆめ わたしのジャック キャシーといっしょに! 秋風のうた 星空のかなたに (全4回) クリスマスばんざい! リムのおっちょこちょい ブローニュの少女 さようなら王子さま 1967 嵐が丘  拝啓ジュリーです! リリオム 1968 恋のサンモリッツ 300000KM/sec 「三つの恋の物語」リリオム サマーフィールドから来た少年 北極光 (全3回) 赤と黒 (全2回) 1969その日、ノースビルは雪 悲しみよこんにちは 黒猫 ビリー・タムタムは空へ! 1971 寒いから早く殺して  以上 雑誌からはずしたもの 嵐が丘(ジュニアコンパクト)赤と黒 三つの物語(りぼんコミック)は本のまま 単行本 サマーフィールド(虫プロ商事)




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    岡田史子が群青を切り裂く彗星のようにあらわれたとき、漫画を描いていたもので嫉妬しないものがあったろうか.....岡田史子はらくらくと文字の呪縛を超え コマについての暗黙のしばりも超え 絵柄さえ脱ぎ捨て ペンをわりばしにかえさせした。そして 見るものたちを瑞瑞しく綺羅綺羅しいコトバのコダマする迷宮に置き去りにし 囚われたわたしたちをひそかにわらっていたのかもしれない。......けれども自ら用意周到に張り巡らした虹色にきらめく蜘蛛の糸の迷宮に岡田史子自身もとらわれ、たいせつなものはなにかを見失ったような気がしてならないのだ......。

    才能というのは不思議なものだ。拙い才を血の滲むような努力と うつくしいものに向かってゆこうとする身の程を知らない歓びでもって磨きぬいてゆくものがいる。デビュー当時山岸涼子はヘタだった。実際 恥ずかしいくらいヘタだった。 今の色彩の洗練をだれが予想しただろう。伽藍のごとく構築されたものがたりをだれが予想しただろう。

    岡田史子の項垂れるヘルマプロディトスや阿修羅を視ると、わたしは今でも戦慄する 焦燥に駆られる 暗い灰色の不安にゆびさきまで染まりそうになる。......ヘルマプロディトスも阿修羅もほかの人物も永遠に呪縛から逃れられはしない......岡田史子はかろやかに蝶のように飛翔してゆくように思われたのに ものがたりからひとつだに糸口は見つからないのだった。書くこととはなんだろう 語るとはなんだろう...自らを縛める呪縛からひとつずつ鎖をはがすように自由にしてゆくことではなかろうか.....まず自分を....そして読者を聴き手を。.....岡田史子にとって漫画とはいったいなんだったのだろう.....おそらく試すことであり....ひとつのステップに過ぎなかったのだろう。

    それにしても なんとうつくしいこの残骸.......日に灼かれガラスのように結晶化した白い骨..... 春の夢の、希みの哀しみの残骸.......けれども 此処からはじまったのかも知れないのだ。......そこにあるのは見えない吐息......見えないけれど立ちのぼるかげろい......聴こえない音楽。

    耳を閉じ 眼を瞑り 受け継いだひとたちが それぞれのコトバにして解きはなし手渡していったとしたら....これこそ再生......  55歳で逝ってしまったあなたの若き日の贄はたしかに受け取られたのです。


所有している作品 すべてCOM ファニィ から
1967 太陽と骸骨のような少年 フライハイトと白い骨 最終ページが行方不明だったので、前のページを最終ページとして発表された。夏 ポーヴレド 天国の花 1968 ガラス玉 サンルームのひるさがり 春のふしぎ いずみよいずみ 胸をだき 首をかしげるヘルマプロディトス 赤い蔓草 PART1 赤い蔓草 PART2 1969 夢の中の宮殿 ピグマリオン 死んでしまった手首 阿修羅王 前編 死んでしまった手首 阿修羅王 後編  愛の神話 - 絵物語。連載作。私の絵本 イマジネイション 邪悪のジャック 死んでしまったルシィ ほんのすこしの水 PART1  ほんのすこしの水 PART2 1970 墓地へゆく道 トッコ・さみしい心 いとしのアンジェリカ

岡田史子の好きな漫画家 手塚治虫 水野英子 西谷祥子 大島弓子
影響を受けた漫画家 永島慎二
好きな文学作品 チボー家のジャック 楡家のひとびと

ウィキペディアは→コチラ

岡田史子インタビューは→コチラ
2005年10月30日 1000の昼と夜に書いたこと

........岡田さんが漫画を書くようになったのは「人間はいつか死ぬのに、どうして生きていかなくちゃならないんだろう」という疑問に取り憑かれて、それを漫画にぶつけて、読者に問いかけたのだそうだ。その根底に12歳で母上をなくされた深い喪失感があったという。なぜ生きるか、なぜここにいなくてはならないか.....この不条理この不可解な世界を耐え忍ばなければいけないということ.....永遠の謎 .答のない命題を岡田さんはいともやすやすと漫画紙上にのせてしまった。もちろん それまでだって 試みをした漫画家はいたのだけれど 岡田さんはその象徴性 美 難解さにおいて神話そのものだったのだ。

 わたしは同じ世代だった。そしてわたしは岡田史子という漫画家を正視できなかった。その世界が美しすぎて 痛ましくて 答えがでないとわかりきっているのに.....夢に溺れている感じがして.....どこにも逃げる場所など在りはしないのだ 汚れたってここで生きるしかない......とどこかで思いつつ 羨ましかった。破滅さえも。途中までしか知らないがわたしの知っている岡田史子の作品にハッピーエンドはない。


 「喪失感を埋めてくれる人を探し求めて、漫画を発表していたのです。、だけども、誰もいなかった。わたしががそういう人を求めているということに気づいた人さえいなかったから。」岡田さんはのちにそう語っている。1990年岡田さんはペンを折った。そしてクリスチャンになって 4月3日亡くなった。晩年は穏やかな顔をなさっていた。求めていたものを 手にされたのだと思う。

 なぜここに岡田さんのことを書いたのかといえば....わたしは絵が書けなくてついには断念したのだけれど漫画家になることを夢みていた。.....あきらめたのち長いことかかってペンのかわりのものをみつけた。わたしが声に託して語りをしているのは、そういうわけなのである。なぜ生きているのか....なぜここにいなくてはならないのか......それをずっと問いかけたかった  わたしのものがたりを伝えたかった  語りをしているときは ここにいることを許されていると確かに感じとることができたから。

 そして今は .自分も他のすべてのひとびともここにいることに意味がある.....(どんなに悲惨な状況であったとしても) と信じている。そしてよきこと美しきことのためなにかを生すことができると信じてもいる。アートとか芸術をわたしはフェルメールやダヴィンチの...はるかな高みにある世界のことと思っていた。そうではなくてごくふつうのひとたちが自分を回復するための試みなのだと気付いたのはおとといの電車のなかだった   歌うこと 踊ること 弾くこと 奏でること  創ること 芝居をすること 描くこと  書くこと  わたしたちの語りもそういうものなのだ。自分を知ること  この世の秘儀を知ること 復活と甦りの試み。

 成熟とは受けとめること 逃げないこと この手に世界の闇の一部をひきうけなお あかりを灯そうとすること。しかしわたしは愛惜する。薄青い闇のなかでかすかな苦痛と予兆に眉根を寄せながらなおまどろんでいたあの頃 岡田史子という漫画家が光芒を放ち 夏樹が未だ生きていて 日本がまだ若く わたしたちの足音が建築さなかの新宿の地下通路に響いていたあの頃のこと。



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