遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



  昨夜、奇妙なことがありました。寝入りかけていたときに、子どもの声が聞こえた...「おかあさん....でよかったね」....うたうような声...それはわたしの子どもの幼い頃の声....とわかっているのですが...4人のうちのだれか思い出せないのです。....それから今度は笑い声が聴こえました。....とてもなつかしくもう一度聞きたかったのですが、眠り込んでしまいました。

  朝、LTTAの11月の模擬授業打ち合わせのため、電車に乗りました。すると、二組の会話...女性同士..と男性同士.....が耳にくっきり飛び込んできて軽い嘔吐感がありました。内容がどうのというのではなく、その声だけが周囲から浮き上がってくる感じ....つぎに右の耳の奥でキーンという金属音がしました。そのとき、わたしはきのう、常世の水 を観ているとき、右耳の5センチほどのところから笙の音が響いていたことを思い出したのです。トマティスでは右耳を利き耳にする訓練をおこなっています。

  セシオン荻窪でうちあわせのあと、ふたたびトマティスジャパンに向かいました。聴覚トレーニング二日目です。音楽が響きだすと、嘔吐感があって、それから頭の中が熱く感じられ、中心に向かう力と拡散する強い力を感じました。それは変性意識に入るときのめまいに似た感覚....と似ていました。オーロラのようにさまざまな色彩があらわれました。深いブルー、青の中の青、緑、白、、むらさき、あざやかないろあいは変化して一瞬たりともじっと止まってはくれません。

  白く耀く都が見えました。だれかの顔が見えました、とても、とてもながい時間が経ったように思われました。たくさんの昼と夜....緊張と弛緩.....感情の波が押し寄せてきて、わたしは涙を流していました。.....これはいったいなんだろう。トマティスは科学的なものです。ですが意識の底にしまいこまれていたものがひらきはじめようとしており、わたしはそれに身をゆだねようとしています。





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  ついに決心して市ヶ谷のトマティスセンターに行きました。今日は聴覚トレーニングの初日です。以前にも書きましたが、トマティスはフランスの科学者、”聴き取れない音は発声できない”ことを発見したひとです。"声"を求めてトマティス博士のトレーニングには実際多くのアーティストが押し寄せたそうです。

  わたしがトマティスを受けようと思ったのは”ほんとうの自分の声”を取り戻したいからです。そしてトマティスジャパンのみなさまの声と佇まいの美しさに感銘を受けたからでもあります。ヴォイストレーナーをわたしはその方の声で選びます。力のある、奥深い、艶のある、のびのある....さまざまな方がおいでですが、低くても心に響く声、心地よく、あたたかく、なお清い声に今は惹かれます。

  さて、トレーニングはモーツァルトとグレゴリア聖歌を2時間聴くだけなのですが、ただのグレゴリア聖歌ではありません。その間眠るのも絵を描くのも自由ですが本を読むことはできません。わたしはうとうとしていましたが、途中で頭頂部が..それになぜか腕が痛くなりました。さすっているうちに痛みはおさまりましたが、終わったあと視界があかるくくっきり見えるように感じました。まだ、変化は起きるでしょうとのことです。

  そのあと、新高円寺まで”常世の水”を観にゆきました。住宅街のなかのふつうのお家になんと能楽堂があるのです。鏡板には決まりごとの立派な松が描かれています。これは戸外で能が演じられたとき、依り代として高い木に神が降りられた...その名残で、鏡板は反響版の役目も果たしています。橋掛かりは住宅の中ということもあり舞台に直角についており白州はありません。しかし立派な舞台です。正面の椅子に座らせていただきました。しばらくして白い衣裳を纏った方が風のようにふわりと横切って右のすみに座りました。

  客席は固唾を呑んで開演を待っています。やがて橋掛かりのほうから遠い無限から響くような声がしました。....むかし、永遠の若さをあたえられたひとりの女がおりました.....うつくしい声でした。.....やがて白いかつぎをかむった女がしずしずとあらわれます。舞い手は秦さん...正面、高くうつくしいウタの声は満喜子先生、風のように地の響きのように啼く笙は田島さん....三人の女性の共鳴のパフォーマンスです。しずかな悲しみに充ちた前奏から、舞台は一変、ウタの声は地を這い紅い絹が蛇のように炎のようにうねり靡きます、笙の音が耳元に囁きます。.....そして受容と変容。

  うつくしい舞台でした。...それだけでも満足すべきところですが、わたしはもうすこし田島さんの語りが聞きたかった...舞いながら語る....そういう語りもあるのだなぁと新鮮な驚きでした。....求めるなら空白、無がほしかった。間とことばで、わたしたち観客のうちに起こされたざわめきを鎮めてほしかった....おおまかなあらすじだけでほとんど即興、まったくのパフォーマンスなのだそうです。即興は完璧なパフォーマンスになるときもあるし、そうでないときもある。もちろん台本に即して上演されたものもそうだし、そしてどのようにたちあがったにしてもその日、その時唯一の意味のある結果にちがいなく、その意味で惜しむこともないのですが。

  終演後、秦さん、満喜子先生、田島さんとご挨拶したりお話したりのあと、在り得ないことが起こりました。開演前あらわれた白い女性、わたしはその方に話かけた....まるでそんなつもりはなかったのに。...「あなたは天女です。いつかとおいむかし、どこかでお会いしたことがありますね」.....そして思わずハグしました。「あなたにあえてうれしい、なみだがあふれそうです...」ほんとうになつかしさで胸が熱かった.....その方はいいました。「また、会えますよ」...「そうですね また お会いしましょう」....

  玄関を出て歩きながら 自分のしでかしたことにあっけにとられて 不思議でなりませんでした。あぁ やっちゃった なんて思われただろう。。新高円寺の駅で舞台を見た方たちと出会い名刺の交換などして、それまで未知の方たちでしたのに旧知のように語り合って、かの白い女性が漫画家の岡野玲子さんと知り驚きはいや増しました。....たしか50近い方のはずですが、どうみても20代でした。今日のステージの常世の水は白比丘尼....がテーマでしたが岡野玲子さんこそ不老不死の白比丘尼のようでした。秦さんはシュタイナーの学校の校長をなさりながら、現代の神楽舞を創造していらっしゃるとか.....シュタイナーに関わりの方とつながることがなぜか多いようです。さまざまなつながりがつながりを生んでこれからなにが起こるかたのしみです。

  

   

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