おおるり の名は聞いていたが まぢかに見たのははじめてだった。図鑑で見たよりずっとやせてすんなりしていて 紫紺の翼は金粉をまぶしたようにきらめていた。あんなにうつくしい鳥は見たことがない。
寒い冬 食料が乏しく 家の庭のみかんをめあてにきたのかもしれない。足にからまっていた糸をほどくと 低く飛び去った。どうか カラスに捕まらぬようにと祈った。飛んでいったあとで あ あれが青い鳥だ! と思った。助けてあげたから わたしたちしあわせなれるかな と娘がつぶやいた。
今 あなたといるこの一瞬がしあわせだよ と心のなかでわたしは思った。
あたらしい年 ブログをかきはじめるのが 紀元節だなんて ... どういうこと? もはや ブログに書くことはあまりないと感じていた。行動しかないと....。秋から冬にかけて 1000人ちかいわかいひとたちに語ってきた。
今朝 古本屋から取り寄せた数冊の谷川健一の著作を読んで 柳田國男のことばにゆきあたった。.... 特段のいいことをするのでもなく わるいことをするのでもない 伝えることばを持たないひとびとの きえさりゆく人生の周辺に目を向けるのがフォークロア 民俗学であると ....
それならば わたしがこの10年 人と出会い寄り添い聞かせていただき 書き留めてきたものがたりを語ってきたこと これも民俗学の一端なのだ。戦を生き 戦後を 風に吹き飛ばされそうになりながらいき続けたひとたちの人生をイデオロギーを峻別し 託されたそのままに語ること。
予科練を志願し昭和20年4月6日菊水一号作戦で散った弟 戦火のもと 親と死に別れ 騙され 売られ 殺されそうになりながら 生き抜いてきた子ども ジャングルで人肉を食ろうて生き抜いた兄の魂を救おうと生きてきた弟 空襲で見ては成らぬものをみて65年PTSDにさいなまれたひとがどのように救われたか ... 零下40度のシベリアで強制労働につかされた少年がなぜ生き延びられたか
そこには 人智では考えられない不可知のものが存在した。運命というもの 天の援けというものがあることを確信せざるを得なかった。その方たちに語られたものがたりにどれだけちからをもらったことか。
わたしはなかまと語らい 伝え 鍛え続けた。自分自身と向き合うことが辛くて去っていったひとも幾人かいる。苦しいこともたくさんあったし 悲しいこともあったけれど それももう終わりだ。3/25 主催する最後の会のために 今一度 白紙になろう。まっしろになって 降ってくるものがたりをまとめよう。
書くだけではなにも変わらない。声の響きにのせて聴く人の魂に届けること。そのとき 過酷な12時間労働に耐え切れず命を絶った蒼白な少女たち 戦後病でいのちを落とした少女たちの手向けになる。そのとき 未来の母たる少女たち 子どもたちの平和なあしたにつながるささやかだけれどたしかな息吹となる それのみをよすがにものがたりにし 声の響きにのせて伝えよう。