遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   きのうはカタリカタリのワークショップだった。日程が変わったため カタリカタリのメンバーは1/2しか参加できなかたったが 幸手の演劇グループとトムの会 ミクシイのメンバーからと寄せ集めでワークショップは成立したのだ。

   わたしはガス欠でもうひとりが故障とアクシデントはあったがほぼ定刻にはじめることができた。寄せ集めと思えないほど昼食タイムは和気藹々としたものだった。それは松本永実子さんのおひとがらもあろうし エクササイズの楽しさもあったと思う。あっという間に密度の濃い時間はたってゆき 感想によればそれぞれが自分について、コミュニケーションについて、また感覚と身体の関係性について気づくことができたようだ。

   自分なりにおもしろかったのは’開く’ということについて RADAで学んだ西洋的な定規での開くと川瀬さんが言う東洋的な’開く’は少なくとも感覚的に違うのだと気づかされたことだ。感覚を開くとは蛇口を開くことに似ている。水道がきていても蛇口をひらかなければ水は出ない。扉や窓を開くのにも似ている。 風が吹く 雨が吹き込む 木々の匂いとひとつになる。一方 東洋的な’開く’は自分が一本の木になったような感じ、屋根と床がなくなる。天と地をつなぐ一本の木になる。ミクロコスモスとマクロコスモスがつながる。

   今まで数多くの講座 レッスン WSに参加してきたが 自分の語りについて かたちが見えてきたのは目白ゼミと銀座ゼミだった。ふたつとも実践の講座で六年前目白でまだほやほやの語り手のたまごだったわたしは市川さん 君川さん 今井さんというはっきりした個性を持つ経験豊かなメンバーのなかでシェイクされた かなり強烈な思い出がある。銀座も少人数で語り手ではない方が多く 実践のなかで 初心者の方の新鮮な感覚のほうが長年の経験よりインパクトがあったりして興味深かった。講師は両方とも櫻井先生で今思えば贅沢な講座だったが 数回で終ってしまった。
 
   そのあとは語りの講座より他の分野で学んだことが覚醒させてくれたし 語りとはなにか かえって明確に見えてきたように思う。大気圏を出てはじめて 青い丸い地球のすがたが見えるように...。すべてのものはつながっている。そういう意味で語り手のための包括的な学びの場はまだない。語り手たちの会のセミナーさえもっと充実してもらえたら...と思う。しかし これは各々の 語り手の意識によるのだ。まなぼうとするなら学ぶ場はそれこそ無限なのだから。

   それにしても今急務なのは底辺拡大もさりながら 中核を成すであろう語り手たちの育成である。 必要なのは互いに切磋琢磨する場、語る場である。さまざまな分野のある意味で一流の講師を招き 少人数でゼミ形式にすれば 才能は開花するであろうが それにはお金がかかる。それだけの投資を自分にするひとはどれだけいるだろうか。

   演劇同様 語りを学ぶことは 生きるとはなにか 自分とはなにか 学ぶことでもある。このような自分への投資ほど 間違いなく自分にもどるものはない。それは自分が個・孤ではなくたくさんのもの、たくさんのひととつながっているということを教えてくれるし 自分をも含めてあらゆるものへ働きかけることが めぐりのものを確実に変えてゆけるのだという自信を与え ゆく道を照らしてくれる。




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   いつもは氷のように冷たい足先が 今日ははぽかぽか温かい。西洋医療で治らない膝の関節の痛みが代替医療や体質の改善 ただ天地とつながることでよい方向にいくものか これは実験である。

   身体と心と魂 また感覚の統合 に向かって努力することが 生活をどう変えるか 語りがどう変わるか または変わらないかも実験である。人間関係のしがらみや細かな錯綜したもろもろから自由になれたら ひとは飛躍的に伸びてゆけるような気がする。

   ルイが家にいると 花が部屋にあふれてるようで ひとことしゃべれば さざなみが起こりみんなをつなぎ ほほえみがこぼれれば みなのかおがやはらぎ 笑顔がひろがってゆく ちいさなこどもはなんておおきな力を持っているのだろう。いつもの冬より温かい。

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   ヴォイストレーナーのK先生のレッスンを受けた。レッスンというよりセッション というよりヒーリングというより 身体と心と魂のチューニングだった。

   今 辛いのは格別さまざまな問題が起きているというより 身体と心と魂のベースが落ちているのだという先生の指摘は正しいと思う。さて それはどこから来るのかといえば いちばん弱い変わりやすい部分心に 身体と魂が引っ張られるからなのだろう。...祭以来だと思う。なんてやはなわたし。わたしがしたいことはずっと変わっていないはず、まわりのことにそして自分のこころに惑わされないよう、自分の中心をしっかり見つめ意識すること。

   自分が声を出すのではない。自分が語るのではない。開いて任せること。ことばで書くとなんでもないことがときになんとむつかしいのだろう。力を抜いて任せれば澄んだ声が自然に出る。自分で出そうとすると余分な力のこもった声になる。出ないのではないかと不安を覚えれば掠れてしまう。語りたくないものがたりを語ろうとすれば 声はくぐもりことばを忘れる。

   股関節と膝関節を緩める方法 呼吸法を教わる。求めるものが明確になってゆく。アレクサンダーも自力整体も操体も根底はおなじであろう。魂や心のほうが身体より大切だと思い ずいぶん傷めてしまったけれど まだ遅くはない。



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  ずうっと行き詰っていた。....というより息が詰まっていた。

 朝 幼稚園で年少さん3クラスのおはなし会 プログラムも朝決めた。年少さんにとってははじめてのおはなし会なので 実家の片付けのとき出てきた「籐の大きなバスケット」にろうそくやマッチ それから赤頭きんのお人形を入れた。すこしワクワクしてもらうために。長いふわふわのスカート 二連のパールのネックレス ブラウスも袖と首にタックがとってあるのを着てでかけた。ジーンズで語るのもよいが 子どもたちには特別のこと(と幼稚園の先生に言われた)なのですこしでも それを感じてもらうために。

 最初なので20分ずつだったが 3クラスとも ひとりの集中も途切れることがなかった。わたしのものがたりは クラスごとにすこしずつ変わっていった。ライブだから 子どもたちの反応によっても それから主人公が生きて動きだすということもあって性格もはっきりしてゆくから それに伴ってものがたりも変わる。赤頭きんちゃんは食べられなかった、自分で運命を切り開いて かりゅうどさんさえ従えて おばあさんを助け出した。これでいいのかはわからない。でも、これが今わたしが子どもたちにプレゼントしたいおはなしだった。

 このところ 会社に入るのが辛かった。午後 銀行の担当者がみえたので 思いのたけを話してしまった。無駄をはぶく 原価管理を推し進める そのことでたいせつなものが 手からこぼれてしまったような気がすること。...一見 無駄にみえるが実はそうでないものがあるのではないか? このまま進めていいのだろうか?この逡巡があるから 前に進めないのではないか?

 担当者はときおり ことばを挟みながら 聞いてくれた。最後に融資の話を手渡すようにおいて...。わたしは気持ちが切り替わったのを感じた。できる、きっと。事務のひとたちに言えなかったことを伝える。それから考えあぐねて ちっとも進まなかったことを立て続けにかたづける。語る 伝える 受けとめる 考える 行動する 一歩一歩 ためらいつつ そして納得しながら歩いてゆく。不器用だから そのようにしか進めないのだ。

 ミクシィもワークショップは進んでいって ついてこられるひとはそう多くはないのだが 考えるきっかけになるだろう。気づいてくれるひともいるだろう。それでいい。もうすこし ゆっくり進めれば..とも思うが 想いが募れば どうにもならない。自分の気づきにもなったから 無駄な努力ではなかったのだ。
 
 今は息がずいぶん楽になった。




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  語り・ストーリィテリングは読み聞かせとは範疇がまったく違うとわたしは思っている。(押し付けはしません あくまでもわたしの考え)パフォーマンスであって わたしはもっとそちらへ行きたい。じっさいまだまだこれからだ。

  今 あたらしいワークショップの方法について考えている。デイケアのおばあちゃまたちだって語れたのだからだれでもすぐ語れるワークショップはできるはず。そして図書館のストーリィテリングの洗礼を受けていないひと、語りについてまっさらな考えのひと、もう開いているひと、ビジネスの場にいるひと、人生経験の豊富なひと、発想のやはらかいひとにはじめの一歩の手ほどきをしてみたい。

  そしたら どんな語りが聴けるだろう、触発されることがたくさんあるだろう、わたしにも垢はついてきたであろうし。その方たちとあたらしいじつはクラシックの語りをいっしょに学んでゆけたらいい..とこれはまだ夢のおはなし、がふと思った。丸々開いてるひとはストーリィテリング要らない...たぶんすでにストーリィテラー。





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  寧...の庭はうつくしかった。あとで写真をUPしよう。サザンカ咲き カラスウリは赤く 小鳥は囀っていた。わたしは外のベンチに食事を運んでもらってあおい空と裸木の寸分の狂いもないコントラストに驚嘆していた。自然はそのままで足すも引くもいらない。

  それから 「ケルヴィン」を語ってみる。おとつい テキストができてきのう歌ができて 今日はじめてとおしで語る。まだ粗削りであろうが 庭の木々が聴いてくれた。語りは屋外がいい...自然のなかが増していい。ものがたりが直くなる。家のなかではなぜか語れないのだが ふしぎだ ....。

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   朝 佐倉に向かった。Tさんからおはなし会があるので自分の語りを聴いてほしいと手紙をいただいたのはつい一昨日のことだった。電車を乗り継ぎ乗り継ぎして二時間がかりで佐倉に着いた。...が改札を出るとどうも様子が違う。ひなびた町だったがずいぶんと発展したと 駅前に出てみたがミレニアムホールは影もかたちもない??

   とおりすがりの方に訊くとJRでなく京成佐倉ではないかという。しまった!とタクシーを走らせる。京成佐倉に着きほっとしてミレニアムホールに入ると イベント案内におはなし会がないのだ。えっ 今度は場所を間違えた? 放心状態で置いてあったちらしを手にすると おはなし会は11/22だった。早すぎた 二日ばかり。

   しばし 呆然として そうだjunさん この近くだったかも..携帯にかけてみる。今日は電池がはいっていた。。junさんは東西線の妙典がお住まいだった。迷子になりながら妙典の駅前で再会した。junさんはとてもきれいだった。あかちゃんのゆうたろうくんもきてくれた。おかおをのぞいて 目をみておはなししたら にっこりわらう。不思議ととてもなつかしくてゆうたろうくんのかおばかり見ていた。あかちゃんのエナジー、あかちゃんのゆだねるちからは宇宙みたいにひろくておおきい。抱かせてもらったらなみだがぽろぽろこぼれて なんでわたし泣いているのだろうと思いながら こころがほどけてゆくのだった。


   わたしは語りが好きだった。語りのことを知りたかった。語りをとおしてずいぶんといろいろなことが見えてきた。ものがたりの実相 語りの可能性 人間の生と死 則(のり)とはなにか 表現とはなんなのか 自分の目から隠されていた自分のことも少しは見えたし あきらかになってゆく過程がおもしろくて 伝えずにはいられなかった。語り手・ストーリィテラーには賦与された役割があると信じ伝えるべきことを生きたことばで伝える本来の語りを..と身の程知らずにずいぶんがんばってきたけれど もういいような気がする。ゆうたろうくんを抱きながらもういいよと自分にいってみる。


   自分の語るものがたりに取り組むのはおもしろい。今日は電車のなかでうたをつくっていた。こんどのものがたりは歌をひとつでなく入れよう。語ると唄うはもともと不可分のものだった。まだまだ実験的にやりたいことがある。それは自分の語りのなかでひとつひとつしてみよう。箍をはずしてもみよう。12/3はjunさんも聴いてくれる。たいせつなひとたちに胸をかしてもらって ものがたりを聴いてもらえて わたしはしあわせだとしみじみ思った。

  

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   ミクシィのweb上ワークショップで語りの歴史を伝えるために 口演童話について調べてみた。現在でもプロ、アマ問わず口演童話家 口演童話作家はいらしゃるようだ。この口演童話については堀田先生がブログで公開していらっしゃるので ぜひ目を通していただきたいと思う。平成14年「語りの世界35号」に発表されたようだ。なんて迂闊なのだろう 見過ごしていたなんて....。

   要約すると---
  明治時代からはじまった口演童話は大正、昭和と盛んであったが それは現在 図書館で行われている ストーリィテリングの前身といってもいい。 「口演童話」とはその名のとおり読む童話ではなく語る童話である。口演童話家は外国の昔話などを どんどん取り入れたが ハンスやヘレンと いう名は日本に馴染まないと考え 太郎とか お花とかいう名前に変え 農村で語った。 そのため 外国のものがたりが日本の昔話として 農村で採集されるという奇妙なことが起こった。(味噌買い橋、大工と鬼六など この件については櫻井美紀さんが詳しく語られている)


  子どもたちは熱狂的に口演童話を迎え口演童話は子どもたちに夢やあこがれを与えたのではないか。 当時の記録によると口演童話は自然な語り口で自然な手振りをまじえたものであったようだ。 しかし口演童話には暗い過去もあった。小学校などで語られるようになったとき不幸な ことに当時 ほとんどのものがそうであったように軍国主義に利用されたのである。

   東京子ども図書館の歴史では 昭和39年松岡享子さんがボルティモアから戻り 公共の図書館でストーリィテリングがはじまったのが日本でのストーリィテリングの発祥とされている。 実質はストーリィテリングであったのにもかかわらず かっての口演童話の歴史が抹殺されてしまったのは 戦争協力を嫌ったからと思われるが、日本におけるストーリィテリングの歴史を正統なものにするためにも今一度口演童話の復権が必要ではないか。


   ようやく 謎が解けたように思った。口演童話とは活字で書かれた児童文学(書承による昔話を含めて)を生のことばで伝える まさに図書館で行われている”ストーリィテリング”である。松岡享子さんたちがなさったのは戦前ホールや学校で行われていた口演童話を 図書館を中心にひろめた...読み聞かせそして素話しへ 名を変えてストーリィテリングへ..それは素晴らしいことをなさったのだが 本来の語り、本来のストーリィテリングの歴史を切り離してしまったのだ。一言一句文字を変えない 身振り 手振りはいけない、語り手は背景にいなくてはいけないという始めのころのルールがこのように ひろまったのは自分を表現することが苦手なシャイな日本人に合っていたのかもしれない。

   いっそ 活字をそのまま語るものを口演童話、口演文学と名づけたら簡単だったのにと思う。今 日本の語り、ストーリィテリングは混沌としている。伝統芸能の語り 口承はとうに絶えているのに伝承と銘打たれた語り 方言の昔話丸暗記も語り ひとり芝居も語り 台本通りのナレーションも語り 本を読むのも語り 童話や絵本をそのまま暗記のストーリィテリング たまさか見えるイギリス、アメリカ、カナダのストーリィテラーのストーリィテリング 再話して語る 自分の身とこころに通して語る 自分の裡にあるものがたりを語る 自分の奥底深くしまわれた深層意識の呼び声に呼応して語る....それぞれが語り・ストーリィテリングの遠い深い歴史に想いを馳せ それぞれの立ち位置を確認して語るなら それでいい..選択はそれぞれのひとのもの それぞれが子どもたちのために未来のために 祈りを込めて語るなら...それでいい。語り手・ストーリィテラーがその掌にうけるは それぞれが差し出すものの深さに因るのであるから。
 


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   今日 12/3のストーリィテリングの夕べ「四つの旋律」のチケットをメンバーとお客さまに郵送した。わたしの分は口コミとネットで完売したが全体としてはまだ残があるようである。チケットを送ってほっとしたが、肝心のテキストはまだできていないし 歌もできていない。いつも直前の仕上がりでリハーサルもないまま本番を迎えるという成り行き任せから離脱して 十二分に練習をして心置きなく本番を迎えてみたいものだと思う。 あと半月のあいだにどうか仕上がりますように。

   もっとも別の意味で苦い経験もある。「朱雀門」はわたしにはめづらしく気合を入れて準備したのだが リハーサルはよいできで 本番には悔いが残った。刈谷先生からは「来ていただく方から時間とお金をいただく以上 それだけの準備はしなくてはならない、あなたは甘すぎる」とよく叱られたが、よい語りになるかそうでないかは あながち練習ばかりでもないように思う。自分ガ語る..から抜けてその場に任せる ものがたりが場と聴き手の力でいのちを持つのを待つ、語り手は案内人というか 触媒というか 依り座のようなものだ。

  高岡をはじめとして遠方からのお客さま そしてこのような語りをはじめて聴くミクシィからのお客さま LTTA関係のお客さまも見えるので プレッシャーが次第に高まるが どうか当日4人のメンバー全員が最上の語りを届けられますように。

   きのう 川越の帰り 古着屋で衣装をみつけた。とてもおもしろいものになりそうだが 染色家の浄土喜久子さんからもTELがあり ネモさんとアトリエにうかがうことになっている。こんなときはどんな助けも借りたいし 衣装はものがたりへ自分を誘い 聞き手をも誘ってくれるので 衣装のちから 会場である名曲喫茶ミニョンの歴史のちからもお借りして ものがたりをその場に甦らせたきものと思う。




   

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   父が亡くなってもう12年になる。父の形見の背広の背中に顔を押し当ててもなつかしい父の匂いはもうしない。 実家を改築するので 毎日のように父の遺品の整理に行くのだが、ひとはなんてたくさんのものを遺してゆくのだろう。掛け軸、写真、日記、 多くのひとにお譲りしたのに まだ引き出し一杯にうねうねと溢れるネクタイの絹の光沢。

   父はお洒落なひとで ハンカチにほのかに伽羅を香らせていた。趣味も多く和歌は下手の横好きだったが、書道はなかなかの手跡だった。 文化の名のつくものはなんでも好きで詩を吟じ 寺社仏閣をおとずれ クラシックの演奏会に顔を出し 展覧会にもよくつれていってくれた。宝塚に連れて行ってくれたのも歌舞伎に連れていってくれたのも父だった。若いころは苦労したが 人生を充分楽しんで向こう岸へ渡ったのである。

   書籍類はビニールひもでくくられ二世帯住宅の弟の玄関に山と積まれていて 傷ましい気持ちになったが、昭和20年代のさいたま伝説集を見つけわたしは小躍りした。 黄ばんだ粗末なざら紙に印刷されたなかに、櫻のころに語る権現堂堤の巡礼塚の原話もあった。 旧かなづかひの筑摩書房の日本文学全集...むかし応接間で隠れるように読んだ芥川の地獄変 赤いほのおがゆらゆら燃えて 読み終えて悪夢から覚めるように現実に戻った少女の頃の心象が甦ってくる。浦商時代の教科書 短歌 書道の本...書き込みと付箋のたくさんついた ちいさな字源にはまだかすかに父の匂いが残っていた。

   わたしが死んだらなにを遺してゆくのだろう。箪笥いっぱいの絵本 箪笥いっぱいの漫画 本棚三本の書籍 箪笥四棹の洋服和服 パソコン二台とその中身 思い出と遣り残したこと。書きためたものもいつか散じてしまうだろう。そうながくないあいだに わたしの生きた跡は子どもたちの記憶の片隅にしか残らなくなる... 。だが....

   父がわたしに遺したものは 本ではないのだと思う。好奇心 あたらしいものに向かっていくこころ ボランティア精神 がはははという開けっぴろげの品のない笑い聲。わたしが遺してゆくものはなにか おはなし会で子どもたちの心のすみに残る 楽しさ 響くなにか...膨大な脳のシノプシスに刻まれる記憶....それはことばとなって発現することもあるだろう 行動にほんのすこしの影響をあたえることもあるだろう....もしかしたら その子の人生をほんのすこし変えてしまうかもしれない。

   そして いまやろうとすること し残したことが意味のあるひつようなことならば いずれ だれかに手渡してゆけるのだ。今から20年前 県の公聴課時代に父は県民にむけて水資源をたいせつにというコンセプトから小雑誌「さいたまの水の伝説」をつくり配布した。 その、もしかしたら最後の一冊からわたしが「権現堂の伝説」を語り カタリカタリのひとたちに伝え この地域の子どもたちにおかあさんたちに伝わっていったように... 水のおはなしとしてかたちを変えたように...かたちはかわり 手はかわってもだれかがきっと受け継いでくれるのだと思う。





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   先週来のギックリ腰からどうにか復帰した。空はあかるくなって 峠から見下ろすように視界はひろがり歩いてきた道が見晴かせる。不思議なものだ。考え方ひとつで世界のいろあいはこんなにも変わる。語りの祭りのあと 内輪の話を聞き 暗い憤りに捉われていた。腑に落ちないことがあったのである。だが 客観的な基準や視点を持たない団体にはありがちなことであろうし そのことでいささかも自分が損なわれるものでもない。そこに考えがいたった時 霧は晴れた。

   知らずに わたしは道を曲がったようだ。青い花はなかったが白い花々が咲き群れていた。 多くの出会いがあり えにしが結ばれた。養護学級でLTTAをもちいることについて賛同を得た。語ることをついの目的にせず語りをとおしてひとびとつながってゆくこと 開いてゆくことを目指してゆけるかもしれない。棄てる神も拾う神もある。ルネ高校の教頭醍醐先生と教えることとは火をつけることであり 気づかせること teachよりcoachであることと語り合った。

   ルネサンス高校はソフトバンクのモロイさんがつくったネットをつかった通信制高校である。来年大学が再来年大学院ができる。モロイさんのご子息は不登校だそうだ。はじかれた子どもたちに高卒の資格をあたえる駆け込み寺としての通信制高校でなく、既存の高校が子どもたちに与え得ないものを差し出せるような学校であってほしい。気づかせ 火を点ける場所であってほしい。

   もっと先にゆけそうな気がする。視界はもっと広がるような気がする。遠くちかく灯火を掲げてあるくひと、ふとみればすぐとなりにいるひとびとを感知しながらまなざしを交わしながら歩いてゆけるような気がする。



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   実家が改築することになって、わたしのものを引き取りに行った。父に譲った浮世絵を目当てにいったのだが 弟が処分してしまったのか もうなかった。がっかりしていたら 講談社の少年少女世界文学全集50巻のうち48巻 少年少女日本文学全集20巻全巻が出てきた。昭和33年発行 今から半世紀昔の本である。

   もうとうに失われてしまったと思っていたから 死んだと思った旧友に再会したようにうれしかった。わたしはこの全集に育てられたといっても過言ではない。監修 安倍能成 小川未明 志賀直哉他、 編集委員 那須辰造 福田清人 矢崎源九郎 山室静他、 当時一巻420円 背表紙が皮の装丁 落ち着いた赤い表紙 およそ400頁の美しい本 何度も何度も読み返したから手ずれもし なかには解れているのもある。

   今 手にとって一冊ずつ読んでいる。中世から各国ごと3から7巻 なかにはもう読むことのできない絶版の物語もある。訳はまったく古びていない。端正で美しい日本語である。明けがた 仔鹿物語を読みおえてわたしは枕に涕をこぼした。成長の痛みのものがたりは子どものころ読んだときとは違う悲しみでわたしを衝いた。黒い海賊 ちいさなトロット アリスちゃんの話 マテオ・ファルコーネ 首なし馬 ああ無情 連隊の子 ローランの歌...古事記などは三段まで網羅している。語りたかったまよわの皇子がある。各国のおわりには必ず民話がついている。もうテキストはいらない..と思った。

 わたしが死ぬまで 語れなくなるまでかかっても この70巻のものがたりを語り尽くせはしないだろう。この全集には当時の出版界や文学者の子どもたちに寄せる熱い想いがこもっている。ほとんどの方がすでに亡くなられたことだろう。物語は子どもだったわたしに耀くような夢をくれた。 人生の真実を喜びや苦しみを越えたなにものかも含めて予感させてくれた。古びた本から わたしはふたたび汲み取ろう、そしてもの・かたりとして今の子どもたちに語りつたえてゆこう。古き酒をあたらしい甕に注いでゆこう。

   わたしの本の他にもおとなの全集本やさまざまなものが積み上げられていた。イランの皿や東南アジアの面、ヴォーグの表紙 古い双眼鏡 わたしが娘時代につかったあめ色の籐のバスケット。古いものをいとおしいと思う年になった。古いものは今失われてしまえばもう戻らない。あたらしくつくられるぴかぴかしたものはもうほしくはないのだった。なにがしなにかが抜けているような感じがする。気がつけば伊勢丹にもしばらく行かなくなっていた。このところ服も買っていない。たまにリサイクルの店に行くとシルクオーガンジーのブランドもののロングスカートが3000円だったりする。ステージ用の衣装しか もう目に映らない。年をとったのかもしれなかった。

   これからは 好きなものをたいせつにつかっていこう...そういう世になったのだと思う。古いレコードや事典や古書 大事につくられたものを大事にしてつぎの世代に手渡してゆこう。実はこの全集は揃っていればかなりの値がつく。一冊わけがあって手元にないのだが それでもそれなりに売れるだろう。が、娘はおかあさんが死んでも売らないで手元に置くといってくれた。....母から10何万したという軽いウールのコートもせしめて わたしはしあわせだった。



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   ミクシィでは、日記や語り・ストーリーテリングのコミュニテー、他の方の日記 他のコミュニテーでさまざまな出会いがあり対話がある。それはとてもスリリングであるけれど ブログのようにまとめて留めてはおけない。いづれ埋もれてしまうだろう。ミクシィの対話の一部 相手の方の了解を得ていないので わたしの書いたものだけをすこし記録する。

----難しい用語についてどうしたらいいかという問いについて----

みゆさん

...わたしの場合はものがたりを聞いてくれる子どもたちの年齢やその場の雰囲気 状況を感じてケースバイケースで伝わるようにしています。 たとえばふくべなら幼い子にはさいしょからひょうたんとか他のことばに言い換えます。ことばを伝えるのが目的ではなくものがたりの世界を伝え楽しみを共有するのが目的だから...けれどふくべって若いおかあさんも半ばはわからないでしょうね。ものがたりを聴きながら推し量れるひとならそのままのことばで....ときにはものがたりのなかで ふくべって知ってる?ひょうたんのことなの そのふくべを持ってね...というように語ることもあります。

  昔話はずっとながいあいだ 口承で語り伝えられてきたものなのです。テキストに書いてあるのは、ある時期 誰かが語ったものを聞き書きしたものを 誰かが編集したものです。それなので ことばの言い換えはかまいませんと図書館の方からうかがいました。 わたしは昔話を語るとき おはなしのろうそくはお借りしないで岩波の日本昔話(文庫三巻)...元の話に近いので....から 今のことばになおし 語る年代にあわせて語っています。

....それから みゆさん
語るのに上手下手はまったく関係ありません。聴き手のこころに届くか届かないか それだけです。上手になめらかに語っても心に響かない語りもあれば、とつとつとしてぜんぜん上手じゃないけれど なにか忘れられない語りもある。 先だって語りの祭りでのこと...伝承の語り手渡辺さんがこういいました。...「語り手の名前も顔も忘れてしまっても 忘れられない語り(ものがたり)がある。それがいい語りっていうものだ」

 みゆさん 忘れられないものがたり を語る語り手になってくださいね。わたしもそういう語り手・ストーリーテラーを目指して歩いていきたいと思います。
2006年11月08日09:14



-----こころに沁みた。最初からことばを言い換えるは目からウロコだった。おはなし会は無事におわりましたという応えに-----


みゆさん

 無事に終わり一歩踏み出せて ほんとうによかったですね。もう一歩 踏み込んでお伝えしましょう、荒俣宏さんの著書で読んだのですが むかしは「はなが咲いている」このはなということばだけで 白い花か 赤い花か 大きな花か ちいさな花か (たぶんどんな香りかまで)ひとに伝えることができたそうです。ことばには力がありました。呪術的といってもいいほどの力....ゲド戦記で なまえを知る知られるということに大きな意味がありますね。それもそのようなことばの力をさしているのかもしれません。

 さて どうして ことばが力を失ってしまったのでしょう。たくさんの伝達手段ができたせいもありましょうが、わたしは人間の想像力が減退してきたためではないか...と考えています。「薔薇..」と発するとき、目のまえになにを思い浮かべますか? 気高い白薔薇...あさつゆをふくんだうすべにのばら? それともビロードのような深紅のバラ?

 これは、ヴォイストレーナー..元オペラ歌手から聞いたおはなしです。ある歌手が野ばらを歌ったとき 馥郁としたばらの香りが会場にただよったのだそうです。またあるとき演劇のワークショップで ある人がジュリエットの有名な台詞「たとえどんな名前で呼ばれても薔薇の香りに変わりはないはず...」を発したとき たしかに 薔薇の香りがしたのです。

 つまり...イメージして語る...自分自身が見て感じて、そして語る...文字から離れて....そうすれば花のいろも香りも 水の冷たさも夜の闇も伝わる....ことばの力を取り戻すとはそういうことであり、そうなれば 用語に迷うこともさほどない。むしろ そのことばで自分のイマジネーションを呼び起すことができるかどうかが問題になります。

 わたしたち語り手・ストーリテラーはことばの遣い手でもあります。ことばが本来の力を取り戻すような語りをしていけたら...と思いませんか?
2006年11月10日16:02



-----オリジナルを語りたいという応えに-----

BIJUさん

 オリジナルを語られるのでしたら、最初にパーソナルストーリーをなさることをお勧めします。たとえば子どもたちにBIJUさんの子ども時代の心に残るエピソードを語るのです。 子どもたちは昔話より真剣に聞きますよ。わたしは母との思い出とか小学校のとき それと知らずにいじめに加担していた苦い思い出とか 学校で語ります。

 人間は本質的におなじようなことで悩み苦しみ喜ぶ パーソナルストーリーはより直接的ですからこころに響くのです。「現代アメリカのフォークロア、ストーリーテラーたち」という本を読んでごらんなさい。秀逸なパーソナルストーリーを読むことができます。じつはわたしの語り手としてのスタートは自分では全く意図していなかったのですがパーソナルストーリーでした。語りの原点はそのようなものではないかと思うのです。BIJUさんが自分のお子さんや友人にとても伝えたいことを「今日ね こんなことがあったの...」と切り出す。それはパーソナルストーリーの萌芽です。

 オリジナルといってもそれは自分がなにに心を打たれなにを遣り残したか なにを目指しているかの投影 またはあこがれ...のように思います。自分のなかにないものはつくれない。語れない...表現とはそういうものです。...あふれ出るもの...自然なものです。そこに普遍性があれば ひとのこころを打ち おのずといのちを持ちます。オリジナルを語るとき。わたしの場合 書くは先にきません。語ることばをテキストに留めるという感じですね。 2006年11月10日05:14



----文字より先に言語があったはずで、文字はあくまでその言語の思いの表記でしかないことに気づいたという応えに-----

 
 会津の祭で戦争の話を語ったのは秋山さんですね。秋山さんとは刈谷のイベントでお話したことがあります。みなストーリーテラーなのですよ、もともとから。伝えたい 語りたい ともに楽しみ 笑い 悲しみも...とわたしたちの祖先はずうっと思い そのようにしてきたのだと思います。わたしたち語り手は先祖帰りなのかもしれません。

 気付いてしまうとなんでこんな簡単なことに...と思いがちですが、実はこの「気づく」ということはたいへんなことなのです。たいせつなものはすべてBIJUさんの裡にすでに存在しています。いつ気づけるか?人生の真実はたいていとても単純なものです。おたがいに気づきあうためにオファーをさしだすのはとても素敵なことです、わたしは私の持てるささやかなものをさしだすことを厭いません。BIJUさんがきづいてくださったことがとてもうれしい。あなたがひとの心を打つ語り手になるように祈っています。そして こんどはBIJUさんがつづく語り手に手をさしのべてください。 2006年11月10日15:14


....これはごく一部である。ミクシィをはじめてから わたしは大量の文章を書くようになった。わたしの信じる語りを伝えるために...ことばの力の復活のために...世界をほんのほんのすこしでもあかるくするために...そしてたくさんのひとびととつながってゆくために。....これでいいのかわからないけれど..とりあえずできることをするために。




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    ミクシィでつくった語り・コミュニティのメンバーがいつの間にか増えてきた。このごろ毎日ひとりずつ仲間が増えている。現在28名。ミクシィ上でワークショップができないか試みようと思う。もちろん実践は自宅でやっていただくのだが宿題なども出してちょっとした相互助け合い通信教育になりそうである。

    そのコミュでものがたりをメンバーでつないでつくってゆくのを験してみてなかなかおもしろかった。実は創作のエクササイズのつもりであったがものがたりが佳境になるにつれ投稿が減ってわたしひとりになってしまったのが誤算だった。(今日書いてくださった方がわたしの思い通りのストーリー展開にしてくださったのでそれは愉快だった。といってもとんでもない展開になるのもおもしろい)

    やれることはなんでもやってみる。なんでこんなことをするのだろう。時間はいくらあっても足りないというのにと不思議でしかたがない。おもしろいのもあるけれど思うにこれはわたしのちいさな使命のひとつなのだろうと思う。

    これまでにも秋はわたしにとってあたらしいスタートとなることがあった。自分を振り返り見直し 軌道を修正するきっかけを与えられることが多かった。目標はただひとつモリヨウコというただ一度の試みの成就である。わたしがわたしになるためになにをするのか...ひとつはまわりのひとたちにオファーを出しつづけること ひとはすべからくさだめを持って生まれる...なすべきことがある。おたがいにその成就が易くできるようオファーを出しつづける。そしてわたしも受け取る。そして愛するめぐりのひとたちが動きやすくなるよう働くこと。祈ること。あるべき世界のために自分のささやかな力を惜しみなくつかうこと。

    家の仕事 会社の仕事 そして語りはそれ自体がたいせつではあるが目的ではない。その向こうにまなざしは向かう。家事、会社においてわたしのたずさわる業務、 語り手としてしていること その目的はみな他を活かすことであり世界をよりよくするためのささやかなしかし不断の試みであるべきだ そしてそのことでのみ自分が成就する...これがこの秋の結論である。簡単にいえば 働け 働けということ。さぁ 行きましょう。




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   今日は文字から覚えた『稲むらの火』は語りたくはなかった。どうしてもからだがいやがるのだった。そこで6年2組の教室でわたしは『大旅行』と『空と海と大地のはなし』を語った。

   ちいさなねずみがおかあさんをたずねて大旅行をするおはなし、これは文字からでなく櫻井先生の語りを聞いて耳で覚えたおはなしだった。ねずみがいてね...ある日おかあさんに会いたいなと思ったんだ..それでねずみは出かけたよ...遠いとおいおかあさんの住む町へ...走って、走って、もっと走って....

   語りながら、ねずみはなぜおかあさんに会いたかったのか...考えていた。ルイはカタコトをしゃべるようになったけれど 「ママ..」と呼びかけるそのことばはほかのことばとはあきらかにちがうのである。あまいやさしい聲...そして留守だった母が帰ってきたとき 光が目に宿り表情も動作も生き生きしてくる。子どもにとって母親はそういう存在なのだ。

   おかあさんに会いたくて会いたくて靴が穴だらけになってもながぐつがボロボロになっても走りつづけるねずみ、ようやくなつかしいおかあさんの住むちいさな家が見えてくる...窓にはカーテンがゆれている。ドアをノックする。どきどきする...胸がいっぱいになる...おかあさんはねずみの息子をかたくかたく抱きしめる。6年生は身じろぎもせず聞いている。いつもは笑いが出るところも真っ直ぐな目で聞いている。

   空と海と...で わたしははじめてはっきりしたイリュージョンを眼前に見た。海に大地がひろがってゆく..どこまでもどこまでも果てなく...オオハクチョウが大きく旋回して生まれたばかりの大地に舞い降りる。生命の木の種を植えたところから 白い花が咲き出でる。花々は絨毯のように色とりどりにひろがってゆく。どこまでも、どこまでも......ちいさな木の芽が大地から顔を覗かせたかと思うと 空に向かってぐんぐん伸びてゆく やがて深い豊かな森ができる。目のまえに広がるイメージの奔流...これは聴き手に見えているのだろうか。伝わっているのだろうか。コトリとも音がしなかった。

   車に戻って虚けたように呆然と座っていた。語り手は語ることで癒される..然り。これは失ったものへの代償なのか、それとも哀しみがことばを深くしたのか...揺り動かされたあと、ひどく疲れて無感動になったわたしは虫に食われてレースのようになった櫻の紅葉を車のガラス窓から見ていた。
  
   もういちどと思う。もういちどやり直せないか 心を尽くしことばを尽くそう。愛しいのは小鳥ではなかった。あまりに若くすこし考えなしのか細い肩。追い詰められなにも映していなかった目が浮かんでくる。まだ、と思う。あきらめるのはまだ早い。








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