遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   9/13 東京新宿 たつまき雲


    9/13 東京文京区(同じ雲と思われる)


    9/14 東京 飛行機は飛んでいなかったとコメントあり


    9/14 焼津 同上コメント


    9/14 千葉北東部より東京山梨方面をのぞむ   


    9/14 真鶴


    9/14 千葉

以上 地震雲掲示板より転載

   4/14 大阪 虹


自然・空の掲示板より転載


リンク先に 自然・空の掲示板を追加しました。今日はふたつの地震雲掲示板のアクセスが非常に多く 途中で切れたりしました。関東だけでなく日本中の空がヘンです。相変わらず 房総のイオン濃度計が振り切れています。わたしはここ3日耳鳴りはするし頭痛がつづいています。民主党とりあえずがんばれ。

恐れることはありませんが、気をつけて......かたまり状の雲になったら※注意です。どうかなにごとも起きませんように......。


9/10から9/11   例のHAARPです。


  9/13から9/14

現在は⇒コチラ




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    9/14 近くの小学校で放課後、劇あそびのファシリテーターデビューをしました。集まった子たちは1.2年生を中心に13名、全員女子、サポーターはSさんひとりです。1年生の4人組ははやばやと時間前から待っていましたが、2.34年生の集合がおそく、集まるまで 今年のぼたん をして遊びました。

    子どもたちは ”今年のぼたん”を知らなかったようで....大騒ぎの歓びよう。すっかりあったまって、ウォーミングアップゲームもいらないくらいでしたが、ボール(架空の)あそび、兄妹何人? 好きな色は...などをしてグループをつくりました。サポーターのSさんに入っていただいて、7:7で役チーム、かぶチームにわけます。

    それから まるくなって、大きなかぶ を語りました。そしていよいよ 役チーム かぶチームにわかれて役を決めるのですが、だれもおじいさんになりたがらないのです。まごと犬とねずみが人気のある役でした。なんとか役も決まって 大きなかぶ がはじまりましたが、おおさわぎになりました。

    かぶチームと役チームと入れ替えて2セットしました。おわって感想をひとことずつ話してもらいました。「かぶがたのしかった」という子が5人いました。かぶがたのしいという子たちは、目立ちたがったりひっぱったりするタイプの子ではないようです。うちになにかを秘めていて、それをまだよく出せない子たち、その子たちに出番をつくってやりたいのです。

    今回はせりふをはっきり決めるまでにはいたりませんでしたが、次回は子どもたちにもっとまかせてみたい....と思います。そしてドキドキさせたい...ほどほどのプレッシャーと救いの手を用意したいと思います。時間が余ったので きつねさん、きつねさん 今 何時? とセブンアップをしました。 

    おとなしい子のひとりが 「おばさん、おばさん これ わたしがつくったの」と水色のゾウの貯金箱を見せてくれました。サポーターのSさんがたのしくてたのしくて 自分が愉しんでしまって これでよかったんでしょうか? と言いました。これでよかったんです。たのしいのがイチバンです。




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........真喜子先生が9/9に亡くなられたそうです。お嬢さまからのメールに迂闊にも 今朝 気づきました。.....この春 倒れられて 奇跡的に復活し 8月にワークショップをなさったのでした。わたしは忙しさにとりまぎれて、申し込みをしませんでした。新宿の都庁前、高層ビルのその場所が苦手だったこともあったのでしたが......

    真喜子先生にお会いしたのは昨年の6月12日、大倉山でのことでした。満喜子先生はヴォイスヒーリングの先駆者、自分の声で自分を癒す......大地や宇宙と共鳴し、うちなる女性性、男性性を解き放つ.......真喜子先生とのセッションでわたしは母性をもとめていたことを知りました。うちなる女性性が傷つき喘いでいたことを知りました。

    師を失い、彷徨っていたわたしに 真喜子先生は勇気と自信を取り戻させてくださった、......わたしはすこし離れて、真喜子先生についてゆこうとそのとき思ったのです。........あまり深く入ったり、近づくのはもう怖かったから。「あなたはストーリーテラーね」 即興のグループによるパフォーマンスのあと、そう言ってくださいました。......「......いつか、コラボしましょう。」 わたしは内心ぎょっとして 曖昧にお返事したように思います。


    青森にご一緒した旅は終生忘れません。津軽のあおいうつくしい空、ベンセ湿原でいつまでも風に吹かれていたかった......縄文の気配が大地に森にかすかに残っております。あの旅から名草姫伝説は変わりました。これから生まれるものがたりもありましょう。


    真喜子先生 先生はたくさんの女性が自分の声によって回復してゆく......そのための助力を惜しむことがありませんでした、たくさんのひとびとをつないでつないで、声の持つ可能性に向かって走って 走って 最後まで走り抜けて、空に還ってゆかれました。ありがとうございました。感謝とともに、ご冥福をお祈り申し上げます。


真喜子先生の至高体験は→コチラ

世界に自分の声を響かせるヴォイスヒーリングは→コチラ



  歌い踊った埋没林の岸辺


  その空


   満喜子先生を囲んで


   椿山
  

   はまなすの実


    白神のマザツリー



.........今日は朝から泣いてばかりいる日です。満喜子先生が亡くなられたことがこんなに悲しいなんて思いませんでした。.......わたしは母と慕うひとをふたたび喪ったのでした。偉大な太母、マザはふたつの顔を持ちます。慈しみ育てる母、成長を阻害しときに喰らおうとする母、母とはふたつの振り子を揺れながら子を育てるのです。満喜子先生はときに厳しい方でしたがひとりひとりが今なにを必要としているか知って、手を差し伸べる方でした。.......わたしは、もう 母を求めるのはやめにしよう、わたし自身が母になろうと思います。語りもまた自分の声で自分を癒し、聴き手を愉しませそして癒すのです。その語りをめざすひとにどこまで与えきれるか、どこまで厳しくなれるか........そしてわたし自身どこまで磨いてゆけるか、今日はその誓いの日。






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