goo blog サービス終了のお知らせ 
遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



.......真夜中、隣の部屋から流れてくるテレビの音楽が胸を掠めていった.......懐かしさと微かな痛み.....それは稀にしか聴くことのない精度の高い上質な響きだったので、夫のベッドの端に坐って その調べを待っていたら、再び流れてきたのは Michael Jacksonの "Smile" だった。はじめて聴くマイケルの"Smile" はナットキングコールのとはぜんぜん違っていた。

   わたしは二階にあがってユーチューブを検索して、"Smile" を聴いた。何度も何度も繰り返して聴いた。聴くたびに涙が溢れて泣きながら聴いていた。うまいのかどうかわからない。ただその歌声は無防備ではだかで痛くて傷ついていて、そしてやさしかった。さまざまなようすのさまざまな年代のマイケルの映像があった。マイケルはうつくしかった。黒いときもうつくしかった。なぜ 白くなろうとしたのだろう。

   子どもの声が魂に飛び込んでくるのは、無防備ではだかだからだと思う。やはらかなみずみずしい葉は爪を立てれば樹液がにじむ.....やはらかさと傷つきやすさはうらおもて。傷つくのはいやだから、ひとは外側に幕を張り、内側に膜を念入りに撒きつける。はだかの声はその切っ先でひとの魂を切りさき忘れていたものを思い出させ血を流させる....文明人はそんなことをしてはいけないから、声を装う。

   すると 真実らしく聞こえないので、芝居のときや朗読や語りのとき、それらしい気分とそれらしい声をつくる、こうしてひとの魂をたたく声、心臓に張りついた白い脂肪の膜を切り裂く声は遠ざかる。ただ痛みを甘んじて引き受けるものが切り裂く声、魂の奥に届く硬玉の声を持ち続ける......。





   

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )