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長野県阿智村の村長 原さんが 国の命令に背いてポスターを隠したわけは そのポスターの語るものは......
原村長は村長として多くの若者を戦地に送り込んだ、だが若者たちの多くは戻ってこなかった。
村長は戦争でなくなった長男の遺品を大事にしていた。かたわらに中国で戦死した長男への想いがつづられた日記
「公的には実に死処を得た死である。だが 一方骨肉の情としては耐えられない。もっと大切にしてやれなよかった。もっと通信してやればよかった。」
軍隊から重い病気を患って帰ってきた次男は家で看取った....「もったいないことをした。」
戦争ポスター「君のため なにか惜しまん若桜 散って甲斐ある命ありせば」
国民は国の大義に熱狂した。
日本はどのように戦争になだれこんだのか
「御国のために」 「聖戦」 「家庭の金属回収」 「国民心身鍛錬運動」
もっとも多いのが 国債を買うことを求めたものと 「貯蓄」 「貯蓄債権」 「貯蓄報国」
国民からあつめたお金を戦費に使いつくした。
戦費は じつに 国家予算の8割にのぼった。国債は強制的に町内会に割り当てられ 金をだしあって買った。当時の国債は払い戻されることはなかった。
「一億一心 銃後の護りを固めましょう。」
「戦線は資源を求めて南洋へ」
日本を代表する画家も戦時ポスターを書いた。横山大観 タケウチセイホウ
ポスターを見て 少年たちは戦争にあこがれた。
「屠れ 米英」
無言館(戦没画学生の作品を展示)にも一枚あった。 京都の片桐彰さん 「貯蓄せよ 敗戦 恐るべし」
片桐さんは マリアナ諸島で 21歳で戦死.......
ポスターを見た小学生
「戦争はわるい方に向かっているのに このポスターは ウソをついて いいことのように描いているようでした。」
今も ウソ ははびこっている。
「いつか役に立つだろう」 そういってポスターを遺した村長のことばが身に沁みる。