石油と中東

石油(含、天然ガス)と中東関連のニュースをウォッチしその影響を探ります。

見果てぬ平和 - 中東の戦後70年(4)

2019-08-06 | その他

ホームページ:OCIN INITIATIVE 

 

(英語版)

(アラビア語版)

 

(目次)

 荒葉 一也

E-mail: areha_kazuya@jcom.home.ne.jp

 

プロローグ

 

4.第一次大戦中の英国の3枚舌外交(その1)

 第二次世界大戦後の中東を語る際にどうしても言及しなければならないのは第一次世界大戦中に英国が行ったいわゆる「三枚舌外交」と呼ばれるものである。

 

 第一次世界大戦は英仏を中心とする連合国(日本もその一員であった)とドイツ・オーストリア・オスマントルコの同盟国との戦争であった。連合国側が勝利し、1919年に英国とフランス主導による戦後処理をめぐるパリ講和会議でベルサイユ条約が締結された。この条約は敗戦国ドイツに対して過酷極まるものであり、ドイツは領土をむしりとられ、莫大な賠償を強いられた。そこに見られたのは勝者総取りの図式である。英国とフランスはドイツと共に敗戦国となったオスマン・トルコ帝国に対しても容赦しなかった。両国はトルコ民族固有の領土である小アジアを除くレバント、チグリス・ユーフラテス一帯をオスマン・トルコから取り上げ、それぞれの支配下においたのである。それは19世紀から連綿と続くヨーロッパ帝国主義国家による植民地獲得競争の最終仕上げとでも言うべきものであり、その地に古くから生活を築いてきたアラブ民族のことなど一顧だにされなかったのである。

 

 中東の現在につながるこのような状況が生まれる原因となったのが第一次世界大戦中に英国が結んだ三つの約束―フセイン・マクマホン書簡、サイクス・ピコ協定及びバルフォア宣言―である。これら三つの約束はそれぞれ約束の相手が異なるだけでなく、内容が全く矛盾する約束であった。そのためこれら一連の英国の外交は3枚舌外交と酷評されたのである。否、酷評されただけでは済まず百年後の今日まで中東全域に災いをもたらす結果を招いたのである。

 

(1)フセイン・マクマホン書簡

 これら三つの約束のうちの最初のものは第一次世界大戦開戦の翌年に英国の駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンがマッカの太守フセイン・アリーに送った書簡であり、対トルコ戦に協力することを条件にアラブ人に居住地区の独立を約束したものである。1915年10月24日付のフセイン宛の書簡でマクマホンは次のように述べている。

 

 「私は貴殿に対しイギリス政府の名において次の通り誓約を行い、貴殿の書簡に対して次の通り返答する権限を与えられている。:イギリスはマッカの太守が提案した境界線の内側にあるすべての地域におけるアラブ人の独立を(一部修正条件付きで)承認し支持する用意がある。」

 

フセインは預言者ムハンマドの直系の子孫(第39代目)と言う由緒正しい家柄で聖地マッカの太守であると同時にヒジャズ地方(マッカを含む紅海沿岸一帯)の王として君臨していた。英国のお墨付きを得たフセインは息子のアブダッラー(後のヨルダン国王で現アブダッラー国王の祖父)やファイサル(後のイラク・シリア国王)にオスマン・トルコに対するゲリラ作戦を命じたのである。

 

そしてファイサルの作戦参謀として活躍したのが英国陸軍将校トマス・ロレンス、いわゆる「アラビアのロレンス」である。「アラビアのロレンス」はあたかもロレンス自らが機知策略を弄して無知蒙昧なアラブ人の先頭に立って戦ったかのごとき印象を与えるが、これは英国側でかなり脚色された虚像である。彼は英国軍との連絡係であり、英国からアラブ側に補給される資金や武器弾薬の窓口であったというのが正しいであろう。彼自身は自分の国イギリスが書簡の約束を忠実に守ると信じ込んでいた。

 

しかし第一次大戦後、実際にアラブ人に割り当てられた土地は彼らが期待していたものとは程遠かった。そのためロレンスはアラブ側の信頼を失い帰国した後、オートバイ事故で自らの命を失う羽目に陥る。アラブ世界ではロレンスは「英国の走狗」とみなされ全く評価されていないのである。戦勝者はいつの世も自分に都合の良い英雄を作り出すものである。

 

(続く)

 

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世界最大のガス輸入国になった中国:BPエネルギー統計2019年版解説シリーズ天然ガス篇 (6)

2019-08-06 | BP統計

 

BPが毎年恒例の「BP Statistical Review of World Energy 2019」を発表した。以下は同レポートの中から天然ガスに関する埋蔵量、生産量、消費量、貿易量及び価格のデータを抜粋して解説したものである。

 *BPホームページ:

http://www.bp.com/en/global/corporate/energy-economics/statistical-review-of-world-energy.html

 

(半世紀弱で中東の生産量は70倍、北米はわずか1.7倍!)

(3)地域別生産量の推移(1970~2018年)

(図http://bpdatabase.maeda1.jp/2-2-G02.pdf 参照)

 1970年に1兆㎥弱であった天然ガスの生産量はその後一貫して上昇を続け、1992年に2兆㎥、そして2008年には3兆㎥を突破し、2018年の生産量は3.9兆㎥弱を記録した。1兆㎥から2兆㎥になるまでは20余年かかったが、次の3兆㎥に達するには16年しかかかっていない。このように天然ガスの生産は近年飛躍的に増加しているのである。石油の場合、第二次オイルショック後しばらく需要が前年を下回りオイルショック前の水準に戻るまで10年以上の歳月を要していることと比べ(前章石油篇「生産量の推移」参照)天然ガスの生産拡大には目を見張るものがある。

 

 地域毎の生産量の推移にはいくつかの大きな特徴が見られる。1970年の世界の天然ガス生産は北米、ロシア・中央アジア及び欧州の三つの地域で全世界の95%を占めており、残る5%をアジア・大洋州、中東、中南米及びアフリカで分け合っていた。しかし北米は1970年に6,370億㎥であった生産量がその後は微増にとどまり、世界に占めるシェアも65%(1970年)から27%(2018年)に低下している。ロシア・中央アジア地域の生産量は1970年の1,880億㎥から急速に伸び、1980年代に北米を追い抜き、1990年には全世界の生産量の4割近くを占めるまでになった。しかし同地域の生産量も90年代以降伸び悩んでおり、2018年の世界シェアは21%にとどまっている。現在も北米とロシア・中央アジアの二地域が世界の天然ガスの主要生産地であることに変わりは無いが、その合計シェアは48%であり、1970年の84%から大きく後退している。

 

 この二地域に代わりシェアを伸ばしているのがアジア・大洋州と中東である。アジア・大洋州の場合、1970年の生産量は150億㎥でシェアもわずか2%しかなかったが、2018年の生産量は42倍の6,320億㎥に増加、シェアも16%に上昇している。また中東も生産量は1970年の103億㎥から2018年には70倍弱の6,870億㎥、シェアは18%に上がっている。アジア・大洋州或いは中東の生産量は1990年以降急速に増大しているが、特に中東ではここ数年加速された感がある。その理由としては生活水準の向上により地域内で発電用或いは家庭用燃料の需要が増加したことに加え、これまで先進国市場から遠いため困難であった輸出が、液化天然ガス(LNG)として市場を獲得しつつあることをあげることができる。

 

 過去半世紀近くの伸び率で言えばアフリカ地域が最も大きい。同地域の1970年の生産量は30億㎥に過ぎず世界の生産量に占める比率は1%以下であったが、1990年代には1千億㎥を突破、2018年の生産量は1970年の78倍の2,370億㎥に達し、全世界に占める比率も6%に拡大している。

 

世界的にみると天然ガスの年間増加率は平均3%前後と石油生産の伸び率を上回っており、石油から天然ガスへのシフトが進んでいる。天然ガスは石油よりもCO2の排出量が少なく地球温暖化対策に適うものと言えよう。この点では今後クリーンエネルギーである原子力或いは再生エネルギーとの競合が厳しくなると考えられる。但し原子力は安全性の問題を抱え、再生エネルギーもコストと安定供給が弱点である。その意味で天然ガスは今後世界のエネルギー市場でますます重要な地位を占めるものと考えられる。

 

(続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

        前田 高行         〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

                               E-mail; maeda1@jcom.home.ne.jp

 

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五大国際石油企業2019年4-6月期決算速報(2)

2019-08-06 | 海外・国内石油企業の業績

(注)本レポートは「マイ・ライブラリー」で一括してご覧いただけます。

http://mylibrary.maeda1.jp/0475OilMajor2019-2ndQtr.pdf

 

 

1. 五社の1-3月期業績比較(続き)

(2)総合利益 (図:http://menadabase.maeda1.jp/2-D-4-52.pdf 参照)

総合損益では5社全てが利益を計上している。しかし前年同期と比べると増益はChevron一社だけであり、他の4社は減益となっている。利益額が5社の中で最も大きいのはChevronの43億ドルであり前年同期比26%増である。Chevronに次いで利益が多いのはExxonMobilの31億ドルであるが、前年同期比では21%の減益である。ShellはExxonMobilとほぼ同額の30億ドルの利益を計上しているが、前年同期の2分の1にとどまっており、5社の中では利益の減少幅が最も大きい。Totalの利益は28億ドル(前年同期比26%減)であり、BPは五社の中で最も少ない18億ドル(前年同期比35%減)にとどまった。

 

(3)上流部門と下流部門の利益

(図:http://menadabase.maeda1.jp/2-D-4-56.pdf及びhttp://menadabase.maeda1.jp/2-D-4-57.pdf参照)

利益を上流部門(石油・天然ガスの開発生産分野)と下流部門(石油精製および製品販売分野)に分けて比較すると、まず上流部門ではChevron(35億ドル)、BP(34億ドル)及びExxonMobil(33億ドル)の3社が30億ドル台の利益を計上して並んでいる。Total及びShellはそれぞれ20億ドル及び16億ドルである。前年同期と比較するとShellは42%の大幅増であったが、Chevron及びExxonMobilは6~7%の増加にとどまっている。これに対してBPは3%の微減、Totalは25%の大幅減少である。

 

下流部門は各社とも上流部門に比べ利益水準が低く、トップのBPでも14億ドルである。これは上流部門で利益が最も少ないShallの16億ドルを下回っている。BPに次ぐのがShellの11億ドルであり、二桁台に利益を計上したのは2社だけである。この2社に続いてChevron及びTotalが7億ドル台の利益を計上、最も少ないExxonMobilの利益は4.5億ドルであった。前年同期と比較するといずれも減益であり減益幅はExxonMobilが38%減、その他4社の減益幅は6~13%であった。

 

歴史的に見ると五大国際石油企業は2014年に原油価格が100ドルを超えるまで上流部門の利益が下流部門を上回る時代が長く続き、その後一転して原油価格が暴落した2015~17年は下流部門の利益が上流部門を上回った。そして原油価格が高値安定している現在は再び上流部門の利益が下流部門より多くなっている。

 

なお上記(2)総合損益は各社によって石油化学品部門あるいはその他の損益を含むため上・下流部門の利益の合計額とは一致しないケースがある。

 

(続く)

 

本稿に関するコメント、ご意見をお聞かせください。

        前田 高行         〒183-0027東京都府中市本町2-31-13-601

                               Tel/Fax; 042-360-1284, 携帯; 090-9157-3642

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