父が亡くなってから、2年経ちました。
8月は忙しいけど、こうして集まるのは楽しいね。
その食事会を、命日じゃなく2日早めに開催すると言う事で、22日土曜日に帯広に行きました。
兄姉とその家族と揃うのは、1年に一回。
でも、最近は母の様子を見に行くと、誰かに会うので、あまり久しぶりと言う感じはしません。
遺影と記念写真。
父の写真は大分前のものだから、若い。
亡くなった時は91歳だったけれど、写真はおそらく70代の半ばだと思う。
スナップ写真はたくさんあったけれど、遺影に使えるのが無かったんだなぁ。
父の命日は、私の誕生日。
毎年、家族に祝ってもらうんだな。
夜、母と姉と私で父の父、母の父の事、話をしていて面白かった。
母は認知症だが、昔のことは詳細に覚えていて、今まで知らなかった事まで話してくれた。
母方の父、祖父は、函館競馬の調教師、その他にも色々事業をやっていて、かなり羽振りが良かったらしい。
母が生まれる前、母の兄(姉?)が、市電に轢かれて亡くなった。
祖父は市電の走るこの街で暮らせない、と仕事を投げ打って陸別に入ったそうだ。
母は陸別で生まれたそう(ずっと足寄だと思っていたからびっくり)
そして炭焼きを始めた。
炭焼きと言うと、すごく貧しいイメージがあったが、人夫使って元締めをしていたって。
いやー、私のじいちゃん、色々波乱万丈だったね。
私が生まれた時はもう亡くなって居たから、顔も見て居ない。写真も無い。残念。
父方の祖父は、その親かも知れないけれど、秋田でマタギやってたと聞いて居た。
祖父の時代は温泉旅館を経営して居た。山や田んぼも持っていて、こちらも経済的には安定していた様だ。
でも、祖父は父が子供の頃早く亡くなり、一家は山を売って農業に専念した様だ。
これは、姉が父と母から聞いていた話。
うちのファミリーヒストリーだなぁ。
そう言う血を引いているんだなぁ。
翌日、早めに昼食を摂り(みんなで羽衣亭のお寿司)解散。
でも、解散した後、芽室の愛菜屋で、全員に再会😅
無事、美瑛に帰って来ました。
年に一回、母の健康とみんなの状況を知れる日。
年に一回、母の健康とみんなの状況を知れる日。
8月は忙しいけど、こうして集まるのは楽しいね。
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