☆★今日のショット★☆

綺麗なお花や美味しいたべものなどあれこれあれこれ載せて行きたいと思います。

父が亡くなってから2周年

2020-08-27 06:14:00 | 旅・観光
父が亡くなってから、2年経ちました。
その食事会を、命日じゃなく2日早めに開催すると言う事で、22日土曜日に帯広に行きました。

兄姉とその家族と揃うのは、1年に一回。
でも、最近は母の様子を見に行くと、誰かに会うので、あまり久しぶりと言う感じはしません。



遺影と記念写真。
父の写真は大分前のものだから、若い。
亡くなった時は91歳だったけれど、写真はおそらく70代の半ばだと思う。
スナップ写真はたくさんあったけれど、遺影に使えるのが無かったんだなぁ。



父の命日は、私の誕生日。
毎年、家族に祝ってもらうんだな。

夜、母と姉と私で父の父、母の父の事、話をしていて面白かった。
母は認知症だが、昔のことは詳細に覚えていて、今まで知らなかった事まで話してくれた。
母方の父、祖父は、函館競馬の調教師、その他にも色々事業をやっていて、かなり羽振りが良かったらしい。
母が生まれる前、母の兄(姉?)が、市電に轢かれて亡くなった。
祖父は市電の走るこの街で暮らせない、と仕事を投げ打って陸別に入ったそうだ。
母は陸別で生まれたそう(ずっと足寄だと思っていたからびっくり)
そして炭焼きを始めた。
炭焼きと言うと、すごく貧しいイメージがあったが、人夫使って元締めをしていたって。
いやー、私のじいちゃん、色々波乱万丈だったね。
私が生まれた時はもう亡くなって居たから、顔も見て居ない。写真も無い。残念。

父方の祖父は、その親かも知れないけれど、秋田でマタギやってたと聞いて居た。
祖父の時代は温泉旅館を経営して居た。山や田んぼも持っていて、こちらも経済的には安定していた様だ。
でも、祖父は父が子供の頃早く亡くなり、一家は山を売って農業に専念した様だ。
これは、姉が父と母から聞いていた話。

うちのファミリーヒストリーだなぁ。

そう言う血を引いているんだなぁ。

翌日、早めに昼食を摂り(みんなで羽衣亭のお寿司)解散。
でも、解散した後、芽室の愛菜屋で、全員に再会😅

無事、美瑛に帰って来ました。
年に一回、母の健康とみんなの状況を知れる日。

8月は忙しいけど、こうして集まるのは楽しいね。

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