劇団黒テントの俳優、斎藤晴彦さんが急逝されたというニュースを、ネットで知りました。
劇団黒テント
73歳。
初めて斎藤晴彦という役者を知ったのは、1982年。
田舎の演劇サークルにいた時誘われて行った、黒テントの公演。
『比置野ジャンバラヤ』でした。
テントの狭い空間の中に、唾や埃、汗が飛び散り、役者の体温を感じる近さで芝居を観るのは、本当に衝撃的でした。
芝居を見終わった後も、浮遊していたような気がします。
翌年は「アメリカ」
1985年に劇団演研に入団した時、黒テント公演の受け入れが、演研だったことを知って、またまたビックリ。
「タイタニック大沈没」からは黒テントの役者、スタッフと交流が出来る様になりました。
東京まで観に行ったこともあります。
「真夏の夜の三人姉妹」だったかな?
お芝居も、タイトルを思い出せないくらいたくさん観ました。
田舎育ちで呑気に暮らしていた私に、新しい息吹を吹き込んだ小劇場の世界。
黒テント、斎藤晴彦さんはその入口に導いてくれた人でした。
最後に観た舞台は「ど」でした。
黒テントの公式HPに載っている斎藤さん、また何処かの舞台で会えるんじゃ無いかと思ってしまいます(T ^ T)
謹んでご冥福をお祈りいたします。
劇団黒テント
73歳。
初めて斎藤晴彦という役者を知ったのは、1982年。
田舎の演劇サークルにいた時誘われて行った、黒テントの公演。
『比置野ジャンバラヤ』でした。
テントの狭い空間の中に、唾や埃、汗が飛び散り、役者の体温を感じる近さで芝居を観るのは、本当に衝撃的でした。
芝居を見終わった後も、浮遊していたような気がします。
翌年は「アメリカ」
1985年に劇団演研に入団した時、黒テント公演の受け入れが、演研だったことを知って、またまたビックリ。
「タイタニック大沈没」からは黒テントの役者、スタッフと交流が出来る様になりました。
東京まで観に行ったこともあります。
「真夏の夜の三人姉妹」だったかな?
お芝居も、タイトルを思い出せないくらいたくさん観ました。
田舎育ちで呑気に暮らしていた私に、新しい息吹を吹き込んだ小劇場の世界。
黒テント、斎藤晴彦さんはその入口に導いてくれた人でした。
最後に観た舞台は「ど」でした。
黒テントの公式HPに載っている斎藤さん、また何処かの舞台で会えるんじゃ無いかと思ってしまいます(T ^ T)
謹んでご冥福をお祈りいたします。