ドラクエチックな題名ですが、今日はそんな気分でいきましょう♪
どうも。生きてます。
まだ寒いんですが、町では桜が咲いているみたいです。来週ぐらいだろうと思っていたので、軽くショックを受けています。
花見に行きたいなぁ(遠い目)・・・
昨日の夜は飲んだくれでした(久しぶり(汗))。
テレビつけたら、サンデル教授の議論の番組(Eテレ)をやっていました。数カ国のスタジオを中継しながら、各国代表の学生達が、教授の提示する話題について議論する、という内容でした。この番組のことは知ってたけど、見たのは初めてだ。
サンデル教授の「解決的語彙」に感銘を受けた(笑)。
以下、おいらの印象に残った、サンデル教授の「鮮やかな言葉」。(括弧の中は、おいらが感じた、議論の中での言葉の機能(勝手読みだが))
サンデル教授曰く。
「議論が深まってきた。」(←脱線気味な時にリセットする時)
「いずれも、とても大きな問題だ。」(←参加者がバラバラな意見を言って収拾つかない時、それらにいちいちコメントせず、話題を終わらせる時)
「誰か、他の意見はないかな。もっと、ほっとできる意見は。」(←前向きな方向に議論の流れを変えたい時に、論理性ではなく、あえて情緒に訴えかける)
「今日の議論が、日本の人達の役に立てば嬉しいです(だったかな?)」(←「日本人の素晴らしさが、この議論によって国際的に確認された」という議論の意義を表明することで、議論そのものの解決ができない参加者の不満足を解消し、代用のカタルシスを図る)
改めて、「議論」について考える機会になりました(^-^;)。
高畑淳子さんが、「議論の参加者」兼「視聴者代表」として、サンデル教授に遇されていたのが興味深かった。普通の感覚をもって素直な人柄を素直に表明できる人だもんな、彼女。ものすごく緊張して台本持ってたけど(^-^;)それも愛嬌。
視聴者は、誰目線でものを見るか。
テレビはそこまで明確に意識するんだな。そんなことも考えさせられた。
それにしても、参加者の一人が言っていたけどNIMBY(Not In My Backyardの略語。「うちの裏庭はお断り」(利益は享受したいが、リスクを負担するのは勘弁)という感覚)については、議論の中にも見え隠れしているようで、なんか、複雑でした。
即応しながら対話を重ねていく「議論」というコミュニケーション形態の宿命だろうけど、熟考の時間がないせいか、オールラウンドな意見は出にくいように思った。突っ込みたくなる意見も多かった・・・(もちろん、出演している彼ら彼女らは頑張ってしっかり考えた上で意見を言っていたと思うし、率直なのが何よりいいし、素晴らしい意見もたくさんあったと思うけど。おいらはあんな場所に出ても、意見まとまらなくて発言なんかできないだろうけど・・・まぁ、視聴者のわがままです^-^;)
さて。
議論の中でとりあげられていた、ルソーの意見。
「人間の責任や義務、共感は限定的なものだ」「国を超えたグローバルな共感はない」
これに対しては、これも参加者の意見にもあったけど、
「個人としての実感を持って認識できる範囲で、人は共感できる」
のだろうと思っている。
想像力と、体験。
Youtubeの映像を見て、そこに映っている人の痛みや汗や熱を、皮膚感覚をともなうくらいに感じる人もいれば、毎日顔をつきあわせている相手の苦しみに共感できず、電柱か何かの物のようにしか認識できない人もいる。(だから、人間関係のトラブルはどんなに近い関係でも起こりうるわけで・・・)
遠くに離れていても、そこに行ったことがあったり、直接の友人がいれば、感じ方も異なる。利害関係があるかどうか(意識しているかどうか)によっても変わるだろう。
これは、個人の認識と経験、そして、個人が他との関係性をどう考えるかの問題かもしれない。
いやはや。
話題を変えて。
コブクロの「コブクロSTADIUM LIVE 2010」を買った。とりあえず、邪道な聴き方ですが「副音声」バージョンで半分とちょっと視聴。
幸せだなぁ。
映像もわくわくだし、感動的な本篇の裏で、副音声として、コブクロの二人だけでなく、バンドメンバーや監督やストリングスの人達も参加して楽しく会話しているのを聴いて、相当癒されました。
ハモネプ挑戦したかのような、ヴォイスパーカッション+ヴォイスベース+ヴォイスギター+ヴォイスストリングス・セッション?が特におもしろい(笑)。なにげに「カノン」しているのが快感(笑)。
というわけで、説明になっていませんが、コブクロの新DVDおもしろいです。
今日もがんばんべぇ。
どうも。生きてます。
まだ寒いんですが、町では桜が咲いているみたいです。来週ぐらいだろうと思っていたので、軽くショックを受けています。
花見に行きたいなぁ(遠い目)・・・
昨日の夜は飲んだくれでした(久しぶり(汗))。
テレビつけたら、サンデル教授の議論の番組(Eテレ)をやっていました。数カ国のスタジオを中継しながら、各国代表の学生達が、教授の提示する話題について議論する、という内容でした。この番組のことは知ってたけど、見たのは初めてだ。
サンデル教授の「解決的語彙」に感銘を受けた(笑)。
以下、おいらの印象に残った、サンデル教授の「鮮やかな言葉」。(括弧の中は、おいらが感じた、議論の中での言葉の機能(勝手読みだが))
サンデル教授曰く。
「議論が深まってきた。」(←脱線気味な時にリセットする時)
「いずれも、とても大きな問題だ。」(←参加者がバラバラな意見を言って収拾つかない時、それらにいちいちコメントせず、話題を終わらせる時)
「誰か、他の意見はないかな。もっと、ほっとできる意見は。」(←前向きな方向に議論の流れを変えたい時に、論理性ではなく、あえて情緒に訴えかける)
「今日の議論が、日本の人達の役に立てば嬉しいです(だったかな?)」(←「日本人の素晴らしさが、この議論によって国際的に確認された」という議論の意義を表明することで、議論そのものの解決ができない参加者の不満足を解消し、代用のカタルシスを図る)
改めて、「議論」について考える機会になりました(^-^;)。
高畑淳子さんが、「議論の参加者」兼「視聴者代表」として、サンデル教授に遇されていたのが興味深かった。普通の感覚をもって素直な人柄を素直に表明できる人だもんな、彼女。ものすごく緊張して台本持ってたけど(^-^;)それも愛嬌。
視聴者は、誰目線でものを見るか。
テレビはそこまで明確に意識するんだな。そんなことも考えさせられた。
それにしても、参加者の一人が言っていたけどNIMBY(Not In My Backyardの略語。「うちの裏庭はお断り」(利益は享受したいが、リスクを負担するのは勘弁)という感覚)については、議論の中にも見え隠れしているようで、なんか、複雑でした。
即応しながら対話を重ねていく「議論」というコミュニケーション形態の宿命だろうけど、熟考の時間がないせいか、オールラウンドな意見は出にくいように思った。突っ込みたくなる意見も多かった・・・(もちろん、出演している彼ら彼女らは頑張ってしっかり考えた上で意見を言っていたと思うし、率直なのが何よりいいし、素晴らしい意見もたくさんあったと思うけど。おいらはあんな場所に出ても、意見まとまらなくて発言なんかできないだろうけど・・・まぁ、視聴者のわがままです^-^;)
さて。
議論の中でとりあげられていた、ルソーの意見。
「人間の責任や義務、共感は限定的なものだ」「国を超えたグローバルな共感はない」
これに対しては、これも参加者の意見にもあったけど、
「個人としての実感を持って認識できる範囲で、人は共感できる」
のだろうと思っている。
想像力と、体験。
Youtubeの映像を見て、そこに映っている人の痛みや汗や熱を、皮膚感覚をともなうくらいに感じる人もいれば、毎日顔をつきあわせている相手の苦しみに共感できず、電柱か何かの物のようにしか認識できない人もいる。(だから、人間関係のトラブルはどんなに近い関係でも起こりうるわけで・・・)
遠くに離れていても、そこに行ったことがあったり、直接の友人がいれば、感じ方も異なる。利害関係があるかどうか(意識しているかどうか)によっても変わるだろう。
これは、個人の認識と経験、そして、個人が他との関係性をどう考えるかの問題かもしれない。
いやはや。
話題を変えて。
コブクロの「コブクロSTADIUM LIVE 2010」を買った。とりあえず、邪道な聴き方ですが「副音声」バージョンで半分とちょっと視聴。
幸せだなぁ。
映像もわくわくだし、感動的な本篇の裏で、副音声として、コブクロの二人だけでなく、バンドメンバーや監督やストリングスの人達も参加して楽しく会話しているのを聴いて、相当癒されました。
ハモネプ挑戦したかのような、ヴォイスパーカッション+ヴォイスベース+ヴォイスギター+ヴォイスストリングス・セッション?が特におもしろい(笑)。なにげに「カノン」しているのが快感(笑)。
というわけで、説明になっていませんが、コブクロの新DVDおもしろいです。
今日もがんばんべぇ。