どうも。
スケジュール的に無理やろ、っていう現実を無視して、ワーナーミュージック・ジャパン40周年記念音楽祭に二日間行っちゃった(汗)3月の風です。
台風も来ていたし帰りも強行軍だしで迷っていたのですが、行ってよかったです。
歌に、音楽に、救われた思いがしました。
今日は、その二日間を大急ぎで振り返ってみたいと思います。
なお、おいらの感想はかなり個人的かつ主観的なので、俯瞰的な視点での音楽祭のレポは期待しないでくださいね^-^;
今回の音楽祭は、ワーナーミュージック・ジャパンの社長である吉田敬氏の訃報を聞いて以来、ずっと待ちわびていたイベントだ。
ワーナーが、悲しみの中でどんな音楽祭を開くのか、、、それは野次馬的な好奇心ではない。大切な社長を失ったワーナーに、それでも力強く踏み出してほしい、でも吉田社長の悲報は無かったことにしてほしくない、、、という非常に複雑な気持ちだったのだ。
もちろん、吉田敬社長(お亡くなりになった当時の役職で呼ばせてもらいます)のことはネットや雑誌で間接的に知っているだけで、そんな人の死にどうこう感じるのなんて変かもしれないのですが、ワーナーミュージック・ジャパンのミュージシャンを好きなファンの一人として、そして様々な記事から吉田社長を少なからず尊敬していた一人として、今回の突然の事件は遠い世界のことではなく、それなりに衝撃だったのです。
それに、以前、周囲の自死を経験した者として、人間関係が主体の業界で社長と直に接していた社員の人達もミュージシャンや関係者の人達もどうやってこの現実を受け止めたのだろう、と、ずっと気になっていたんです。社長の死に一切触れずに祭を開いてしまったら、関係者の心に取り返しのつかない傷が残るのではないか、とも思い、でも、企業の周年記念行事に追悼も前面に出せないだろうし、、、実際、主催者の苦悩を思うとこちらまで切なくなった。
それでも、社長の訃報の報道以降、誰も話題を蒸し返すことはせず(もちろんおいらの周囲にもあえて話題にする人はいなかった)
どうこう話題にできることでは、もちろんないのだけれど、どんどんそのことは日常の中に沈んでいくようにさえ見えた。
そうして沈黙しながら、きっとぼくは黙って傷ついていたんだと思う。
彼の死を悼みながら、彼において行かれたという事実に、身内でもないのに、関係者でもないのに、何だか衝撃を受けていたのだ。
この音楽祭に参加して、その痛みを、ミュージシャン達やスタッフと分け合い、癒されたように感じた。
そんな音楽祭でした。
記憶違いでなければ、前夜祭、ミュージシャンが吉田社長の名を口にすることはなかったと思う。だが、彼ら彼女らの熱唱の中に必死に何かを訴えかけようとする思いをずっと感じていた。彼ら彼女らの存在を真剣に主張するような、、、それによってワーナーをも自分たちをも盛り上げようとするような真剣さを感じた。
個々のアーティストの熱演については、また今度。今は先を急いですみません。
(みんなすごくよかったんだ。特にRock'a' Trenchの「Every Sunday Afternoon」は思わず泣いてしまった。ずっと忘れない。)
コブクロはトリだったんだが、彼らも吉田社長のことは語らないままで、それでも、ワーナーと自分たちの関わりを話しながら、暗に、吉田社長との日々を追想しているように見えた。
「桜」「ここにしか咲かない花」「流星」「風」「Blue Bird」「轍-Street stroke-」そして、アンコール「YELL~エール~」
「ここにしか咲かない花」を聞きながら、この歌にまつわるエピソードを「ぴあ」で読んだことを思い出した。
「桜」の歌の向こうにも、「Bluebird」や「流星」にすら、それらの曲を聞いただろう吉田社長のことを思った。
素晴らしい楽曲達と歌声の中で、過去とは、戻らない日々のことなのだ、と漠然と思った。
あまっちょろい他人の感傷なんか比較にならないくらいワーナーの社員の人やミュージシャン達は辛い思いをしているのだろう、と思い、それが表に出せない(お祭りだからね)苦しさはどこに行くのだろうと思った。
そうして。
終演後、映画のようにビジョンに出演者やスタッフの名前が浮かび、流れていった。
何かを予感して見続けた観客の目に最後現れた言葉。
“Dedicated to Mr. Takashi YOSHIDA (1962-2010)”
(ほんの数秒のことだから、表記は正確じゃないかもしれないけど。)
この言葉を見て、どこかとてもほっとしている自分がいた。
考えてみれば当たり前だけど、ワーナーは社長の死を隠してお祭りしているのではなく、そのことがあるからこそワーナーを盛り上げるために必死にこの音楽祭に賭けているのだと、改めてそう思った。思えて、嬉しくなった。
そして、今日の二日目、というかメインプログラム。
最初のRIP SLYMEが「Good Times」「熱帯夜」で会場を暖かい場所にした。
何となく人肌の暖かさ、というか、緩い、だが魅惑的なリズムが人々の体と心を揺すった。
Superflyが、「Wildflower」「愛をこめて花束を」で、ひまわりのような笑顔で会場を照らし、天上の鈴のような声で武道館の空気を震わせた。
彼女の歌は、希望の灯を持つ勇気を思い出させた。
馬場俊英が、「勝利の風」で場を盛り上げた後、「私を必要としてくれる人がいます」で、観客の心をほどいた。
彼の歌を聴きながら、ここ最近泣かなかったはずの自分が、涙腺を決壊させていることに気づいた。
the brilliant greenは、明るくマイペースに「There wiil be love there-愛のある場所-」「LIKE YESTERDAY」を歌ってくれた。
若い子らしい、おっとりとした魅力は、観客を微笑ませた。
割れんばかりの会場の拍手を浴びながら、自らを「牢名主」と名乗る山下達郎氏と竹内まりやさんが仲良く登場し、まず竹内まりやさんが「元気を出して」を歌ってくれた。
その時、涙が流れ出した。まりやさんの歌声がとにかく優しくて、涙をとめることができなかった。
このライブ、特に二日目中盤から泣きっぱなし(?!)だったのだが、弁解するなら、おいらは確かに涙もろいとは言え、通常のライブで泣くことはあまりありません。コブクロライブでも、滅多にない。
だから、いい年して涙が止まらない自分に、おいらそんなに弱っていたか、と不思議に思いつつ、次に、まりやさんが「吉田社長がこの曲を好きでした」と少し涙ぐんだ声で紹介して歌い始めた「人生の扉」を聴きながら、前が霞んで見えなくなるぐらい、また泣いてしまった。
まりやさんは歌い終わるとすぐに達郎氏にバトンタッチ。そして、ここからが今日のライブのクライマックスだった。
山下達郎氏はまず名曲「SPARKLE」で武道館をどよめかせた。初武道館ということに驚いたが、いつものクールな早口で「こだわりがあって武道館ではやらなかったんですが、今日はお祭りなのでやることにしました」と言う彼を見て、何とも言えない複雑な気持ちになった。
違うでしょう。ぼくは、思わず心の中で呟いていた。
達郎さん、ワーナーの全従業員、所属アーティストの中で最年長だって、今、ご自分で言ってるじゃないですか。皆が今、吉田社長を失って苦しんでいるのをほっとけなくて、ワーナーミュージック・ジャパンを背負って出てきてくれたんでしょう。
そんなことを考えている観客に、達郎氏は、皆が必要としている一曲を歌ってくれた。「希望という名の光」
この曲の中盤で、達郎氏は、音楽を続けながら、語り始めた。
「この曲は、今闘病していて治ろうとしているナインティナインの岡村隆史君のために、そして今闘病している友人の桑田佳祐のために、そしてこの会場の観客の皆さんのために、そしてワーナーの全スタッフのために歌っています。・・・(中略)・・・音楽は、希望であり、人を励ますためにある。人の幸せに奉仕するために音楽は存在するんです。その力はとても大きい。でも、時には、音楽の力はとても小さい。・・・吉田君は、亡くなる一週間前に、僕のライブに来て、この曲を聴いていました。・・・僕は、それが残念でならない。・・・(中略)・・・何の関係もない観客の皆さんに、説教くさいことを言ってしまってごめんなさい。今日、本当は僕は、何も言わないつもりでした。歌だけ歌って、帰ろうと思っていました。でも、黙っていられない。人は、死んではいけない。生き続けなければいけないんです。」
メモ取ったわけではないので、細部違っているかもしれません。すみません。
達郎氏の声は毅然として、張りがあって、痛々しさも孕んでいるが、それに負けていない、嵐の夜の海で船員を励ます航海長のようだと思った。
船長を失った今(新たな社長は得たが)難破しないためにも全員が勇気を奮い起こせ、と決然と叫ぶその姿は、責任感に満ちて見えた。
ぼくには、山下達郎氏のその姿が、今までの「山下達郎」というアーティスト・イメージを越えた、生々しい力強い人間として見えた。それは驚きであり、感動だった。
もともと山下達郎氏にはデジタルで自由なイメージがあった。刹那的なイメージもあったし、何より審美的で芸術的。そんな「前衛的」なイメージの人だったのだ。
その彼が、痛んでいる。そして、やむにやまれぬと言う風情で、何千人もの観客に、我が子のように「生きろ」と叫んでいる。
「音楽」が救えなかった事実の重さが、彼に、「直接の言葉」を言わせているのだ。本当はあの人に言いたかったはずの言葉を。
その「父性」に、揺さぶられた。ワーナーの「牢名主」ではなく、「お父さん」じゃないか、と、涙を拭きながら突っ込みたいところだった。
山下達郎氏のパフォーマンスで、会場は激震した、と思う。
心の傷を晒し、痛いことを確認し合った。
それは、その場に居合わせた人々にとって、必要な手当だったのだと思う。今まで沈黙に耐えてきた人々が、今日おおっぴらに哀しいことを哀しいと感じ、手にとってみることができたのだ。
悲しみを、実態を確認しないままに心の中に閉じ込めておくことはよくない。
悲しみは解き放ち、解放したら、前を向いて生きよう。そんな、強いメッセージを感じた。
その後、MCの赤坂氏のリードで、会場はウェーブまでやり、すっかり一体感を持つことができた。
そして、トータス松本氏が「明星」「ハッピー アワー」で生きていくための力強い明るいメッセージをくれた。
彼の力強い明るい声を聴きながら、健康に、腹が減ったり涙が出たりすることを繰り返していこう、と心から思った。
BONNIE PINKは、ちょっと遠慮がちではあるが、いつもの魅惑的な声で「A Perfect Sky」「カイト」を伸びやかに歌ってくれた。
かわいい優しい歌姫。綺麗な心でキラキラした歌を歌ってくれてありがとう。
そして、コブクロ。
「Blue Bird」の高揚感は、悲しみを超えるからこそだと、感じた。
そして「蕾(つぼみ) 」の絶唱。
日本レコード大賞に輝いたこの曲を歌う中で、一瞬、小渕氏が声をとぎらせ歌えなくなる場面があった。
それを支えるかのような黒田氏の声の迫力は、爆発し、会場を満たし、空へも届くかのようだった。
最後の一曲、「桜」
観客も一緒に100年未来を思いながら、桜を歌った。
「一緒に歌ってください」と言われ字幕までスクリーンに出たのに、あまりに二人の歌声が優しくて繊細だったので、観客はついつい耳を澄まして二人の歌に聴き入ってしまいましたが、それでも何とか一緒に歌えた模様(苦笑)。
帰り道、思った。
100年後の音楽はどうなっているのだろう。
ともあれ、今日の音楽祭は、音楽が人間の心を癒し、幸せに生きるために支えてくれるものである、という、音楽本来の力の体験だった。
音楽を好きで、良かった。
ワーナーミュージック・ジャパンを好きで良かった。
これからも、みんな元気で活躍してくれますように。
帰ってすぐ「希望という名の光」をダウンロードした自分は、小さい奴だけど、これからも頑張って生きていくつもりです。
100年MUSIC FESTIVALの全ての関係者、スタッフ、ミュージシャンの皆さんに、心から敬意と感謝とエールをこめて。
ありがとう。
スケジュール的に無理やろ、っていう現実を無視して、ワーナーミュージック・ジャパン40周年記念音楽祭に二日間行っちゃった(汗)3月の風です。
台風も来ていたし帰りも強行軍だしで迷っていたのですが、行ってよかったです。
歌に、音楽に、救われた思いがしました。
今日は、その二日間を大急ぎで振り返ってみたいと思います。
なお、おいらの感想はかなり個人的かつ主観的なので、俯瞰的な視点での音楽祭のレポは期待しないでくださいね^-^;
今回の音楽祭は、ワーナーミュージック・ジャパンの社長である吉田敬氏の訃報を聞いて以来、ずっと待ちわびていたイベントだ。
ワーナーが、悲しみの中でどんな音楽祭を開くのか、、、それは野次馬的な好奇心ではない。大切な社長を失ったワーナーに、それでも力強く踏み出してほしい、でも吉田社長の悲報は無かったことにしてほしくない、、、という非常に複雑な気持ちだったのだ。
もちろん、吉田敬社長(お亡くなりになった当時の役職で呼ばせてもらいます)のことはネットや雑誌で間接的に知っているだけで、そんな人の死にどうこう感じるのなんて変かもしれないのですが、ワーナーミュージック・ジャパンのミュージシャンを好きなファンの一人として、そして様々な記事から吉田社長を少なからず尊敬していた一人として、今回の突然の事件は遠い世界のことではなく、それなりに衝撃だったのです。
それに、以前、周囲の自死を経験した者として、人間関係が主体の業界で社長と直に接していた社員の人達もミュージシャンや関係者の人達もどうやってこの現実を受け止めたのだろう、と、ずっと気になっていたんです。社長の死に一切触れずに祭を開いてしまったら、関係者の心に取り返しのつかない傷が残るのではないか、とも思い、でも、企業の周年記念行事に追悼も前面に出せないだろうし、、、実際、主催者の苦悩を思うとこちらまで切なくなった。
それでも、社長の訃報の報道以降、誰も話題を蒸し返すことはせず(もちろんおいらの周囲にもあえて話題にする人はいなかった)
どうこう話題にできることでは、もちろんないのだけれど、どんどんそのことは日常の中に沈んでいくようにさえ見えた。
そうして沈黙しながら、きっとぼくは黙って傷ついていたんだと思う。
彼の死を悼みながら、彼において行かれたという事実に、身内でもないのに、関係者でもないのに、何だか衝撃を受けていたのだ。
この音楽祭に参加して、その痛みを、ミュージシャン達やスタッフと分け合い、癒されたように感じた。
そんな音楽祭でした。
記憶違いでなければ、前夜祭、ミュージシャンが吉田社長の名を口にすることはなかったと思う。だが、彼ら彼女らの熱唱の中に必死に何かを訴えかけようとする思いをずっと感じていた。彼ら彼女らの存在を真剣に主張するような、、、それによってワーナーをも自分たちをも盛り上げようとするような真剣さを感じた。
個々のアーティストの熱演については、また今度。今は先を急いですみません。
(みんなすごくよかったんだ。特にRock'a' Trenchの「Every Sunday Afternoon」は思わず泣いてしまった。ずっと忘れない。)
コブクロはトリだったんだが、彼らも吉田社長のことは語らないままで、それでも、ワーナーと自分たちの関わりを話しながら、暗に、吉田社長との日々を追想しているように見えた。
「桜」「ここにしか咲かない花」「流星」「風」「Blue Bird」「轍-Street stroke-」そして、アンコール「YELL~エール~」
「ここにしか咲かない花」を聞きながら、この歌にまつわるエピソードを「ぴあ」で読んだことを思い出した。
「桜」の歌の向こうにも、「Bluebird」や「流星」にすら、それらの曲を聞いただろう吉田社長のことを思った。
素晴らしい楽曲達と歌声の中で、過去とは、戻らない日々のことなのだ、と漠然と思った。
あまっちょろい他人の感傷なんか比較にならないくらいワーナーの社員の人やミュージシャン達は辛い思いをしているのだろう、と思い、それが表に出せない(お祭りだからね)苦しさはどこに行くのだろうと思った。
そうして。
終演後、映画のようにビジョンに出演者やスタッフの名前が浮かび、流れていった。
何かを予感して見続けた観客の目に最後現れた言葉。
“Dedicated to Mr. Takashi YOSHIDA (1962-2010)”
(ほんの数秒のことだから、表記は正確じゃないかもしれないけど。)
この言葉を見て、どこかとてもほっとしている自分がいた。
考えてみれば当たり前だけど、ワーナーは社長の死を隠してお祭りしているのではなく、そのことがあるからこそワーナーを盛り上げるために必死にこの音楽祭に賭けているのだと、改めてそう思った。思えて、嬉しくなった。
そして、今日の二日目、というかメインプログラム。
最初のRIP SLYMEが「Good Times」「熱帯夜」で会場を暖かい場所にした。
何となく人肌の暖かさ、というか、緩い、だが魅惑的なリズムが人々の体と心を揺すった。
Superflyが、「Wildflower」「愛をこめて花束を」で、ひまわりのような笑顔で会場を照らし、天上の鈴のような声で武道館の空気を震わせた。
彼女の歌は、希望の灯を持つ勇気を思い出させた。
馬場俊英が、「勝利の風」で場を盛り上げた後、「私を必要としてくれる人がいます」で、観客の心をほどいた。
彼の歌を聴きながら、ここ最近泣かなかったはずの自分が、涙腺を決壊させていることに気づいた。
the brilliant greenは、明るくマイペースに「There wiil be love there-愛のある場所-」「LIKE YESTERDAY」を歌ってくれた。
若い子らしい、おっとりとした魅力は、観客を微笑ませた。
割れんばかりの会場の拍手を浴びながら、自らを「牢名主」と名乗る山下達郎氏と竹内まりやさんが仲良く登場し、まず竹内まりやさんが「元気を出して」を歌ってくれた。
その時、涙が流れ出した。まりやさんの歌声がとにかく優しくて、涙をとめることができなかった。
このライブ、特に二日目中盤から泣きっぱなし(?!)だったのだが、弁解するなら、おいらは確かに涙もろいとは言え、通常のライブで泣くことはあまりありません。コブクロライブでも、滅多にない。
だから、いい年して涙が止まらない自分に、おいらそんなに弱っていたか、と不思議に思いつつ、次に、まりやさんが「吉田社長がこの曲を好きでした」と少し涙ぐんだ声で紹介して歌い始めた「人生の扉」を聴きながら、前が霞んで見えなくなるぐらい、また泣いてしまった。
まりやさんは歌い終わるとすぐに達郎氏にバトンタッチ。そして、ここからが今日のライブのクライマックスだった。
山下達郎氏はまず名曲「SPARKLE」で武道館をどよめかせた。初武道館ということに驚いたが、いつものクールな早口で「こだわりがあって武道館ではやらなかったんですが、今日はお祭りなのでやることにしました」と言う彼を見て、何とも言えない複雑な気持ちになった。
違うでしょう。ぼくは、思わず心の中で呟いていた。
達郎さん、ワーナーの全従業員、所属アーティストの中で最年長だって、今、ご自分で言ってるじゃないですか。皆が今、吉田社長を失って苦しんでいるのをほっとけなくて、ワーナーミュージック・ジャパンを背負って出てきてくれたんでしょう。
そんなことを考えている観客に、達郎氏は、皆が必要としている一曲を歌ってくれた。「希望という名の光」
この曲の中盤で、達郎氏は、音楽を続けながら、語り始めた。
「この曲は、今闘病していて治ろうとしているナインティナインの岡村隆史君のために、そして今闘病している友人の桑田佳祐のために、そしてこの会場の観客の皆さんのために、そしてワーナーの全スタッフのために歌っています。・・・(中略)・・・音楽は、希望であり、人を励ますためにある。人の幸せに奉仕するために音楽は存在するんです。その力はとても大きい。でも、時には、音楽の力はとても小さい。・・・吉田君は、亡くなる一週間前に、僕のライブに来て、この曲を聴いていました。・・・僕は、それが残念でならない。・・・(中略)・・・何の関係もない観客の皆さんに、説教くさいことを言ってしまってごめんなさい。今日、本当は僕は、何も言わないつもりでした。歌だけ歌って、帰ろうと思っていました。でも、黙っていられない。人は、死んではいけない。生き続けなければいけないんです。」
メモ取ったわけではないので、細部違っているかもしれません。すみません。
達郎氏の声は毅然として、張りがあって、痛々しさも孕んでいるが、それに負けていない、嵐の夜の海で船員を励ます航海長のようだと思った。
船長を失った今(新たな社長は得たが)難破しないためにも全員が勇気を奮い起こせ、と決然と叫ぶその姿は、責任感に満ちて見えた。
ぼくには、山下達郎氏のその姿が、今までの「山下達郎」というアーティスト・イメージを越えた、生々しい力強い人間として見えた。それは驚きであり、感動だった。
もともと山下達郎氏にはデジタルで自由なイメージがあった。刹那的なイメージもあったし、何より審美的で芸術的。そんな「前衛的」なイメージの人だったのだ。
その彼が、痛んでいる。そして、やむにやまれぬと言う風情で、何千人もの観客に、我が子のように「生きろ」と叫んでいる。
「音楽」が救えなかった事実の重さが、彼に、「直接の言葉」を言わせているのだ。本当はあの人に言いたかったはずの言葉を。
その「父性」に、揺さぶられた。ワーナーの「牢名主」ではなく、「お父さん」じゃないか、と、涙を拭きながら突っ込みたいところだった。
山下達郎氏のパフォーマンスで、会場は激震した、と思う。
心の傷を晒し、痛いことを確認し合った。
それは、その場に居合わせた人々にとって、必要な手当だったのだと思う。今まで沈黙に耐えてきた人々が、今日おおっぴらに哀しいことを哀しいと感じ、手にとってみることができたのだ。
悲しみを、実態を確認しないままに心の中に閉じ込めておくことはよくない。
悲しみは解き放ち、解放したら、前を向いて生きよう。そんな、強いメッセージを感じた。
その後、MCの赤坂氏のリードで、会場はウェーブまでやり、すっかり一体感を持つことができた。
そして、トータス松本氏が「明星」「ハッピー アワー」で生きていくための力強い明るいメッセージをくれた。
彼の力強い明るい声を聴きながら、健康に、腹が減ったり涙が出たりすることを繰り返していこう、と心から思った。
BONNIE PINKは、ちょっと遠慮がちではあるが、いつもの魅惑的な声で「A Perfect Sky」「カイト」を伸びやかに歌ってくれた。
かわいい優しい歌姫。綺麗な心でキラキラした歌を歌ってくれてありがとう。
そして、コブクロ。
「Blue Bird」の高揚感は、悲しみを超えるからこそだと、感じた。
そして「蕾(つぼみ) 」の絶唱。
日本レコード大賞に輝いたこの曲を歌う中で、一瞬、小渕氏が声をとぎらせ歌えなくなる場面があった。
それを支えるかのような黒田氏の声の迫力は、爆発し、会場を満たし、空へも届くかのようだった。
最後の一曲、「桜」
観客も一緒に100年未来を思いながら、桜を歌った。
「一緒に歌ってください」と言われ字幕までスクリーンに出たのに、あまりに二人の歌声が優しくて繊細だったので、観客はついつい耳を澄まして二人の歌に聴き入ってしまいましたが、それでも何とか一緒に歌えた模様(苦笑)。
帰り道、思った。
100年後の音楽はどうなっているのだろう。
ともあれ、今日の音楽祭は、音楽が人間の心を癒し、幸せに生きるために支えてくれるものである、という、音楽本来の力の体験だった。
音楽を好きで、良かった。
ワーナーミュージック・ジャパンを好きで良かった。
これからも、みんな元気で活躍してくれますように。
帰ってすぐ「希望という名の光」をダウンロードした自分は、小さい奴だけど、これからも頑張って生きていくつもりです。
100年MUSIC FESTIVALの全ての関係者、スタッフ、ミュージシャンの皆さんに、心から敬意と感謝とエールをこめて。
ありがとう。