寒いっすね。春を夢見て、カヴァティーナを聴いてます。そんな日です。
本当に言いたいことなんて、ことばにはならない。
でも、伝えられるなら、せめて笑顔と、心を包む温かい言葉を。
それは、嘘じゃなくて、祈り。あるいは、おまじない。
明日に胸を張って、歩き出すための。
三月がおわっちゃいますね。おいらの誕生月よ、さらば。そして、満月よ、さらば。(そこにある隠喩的な意味は知りません(苦笑)おいら、どこまでもアマチュア(汗))
崖っぷちの日々は、まだおわらないけど、こんどの季節は、もう少し、人に優しく。誠実を旨とすべし。
なーんてね。
NHKの「ロボット革命」観て以来。ものすごく、命について、存在について、突きつけられた気がしてます。
あの番組に出てきたロボット達を、無機物と思えなくて。「一緒に働いていて、かわいい、と思ってしまいます」と、とまどうように笑っていた、従業員さんの言葉に思わず同調して。恐ろしくも、愛しい存在。そんな存在のロボットが、とうとう生まれているんだ。気が遠くなりそうだが、現実は、予想よりも速い速度で、ぼくらの「今」に肉薄している。
浦沢直樹の「Pluto(プルートゥ)」を読み返して、泣いてます。実に感傷的。
あの世界が、本当になるのだ。
身に迫って感じられた瞬間でした。NHKすごいな。相変わらず。(アトムの世界を意識させる、番組の作り方も。)
人ごとのように書いてますが、実際、ロボット以上に、「人間」の感情に疎い自覚があるおいらとしては、人とロボットの違い、なんてテーマは、自分の存在にも関わる、きわめて危うい主題なのであり・・・あはは、こんな人間、世の中に五万といるとは思いますが(苦笑)←だから、世の中いろんなことがあるんだろうし(爆))
おいらにとって、浦沢板「Pluto」は、決して他人事ではない、自分自身の生き方を考えさせられる作品なのです。
感情とは何か。何が「人間らしさ」なのか。知性や正確さでロボットにかなわない身としては、「豊かな人間性」を人間の特性と言われては、とても生きていけないわけで・・・だんだん「人間になっていく」ぐらいで許してもらえないと、立つ瀬がない感じです(汗)。そう考えると、ロボットもおいらも、感情面の認識については、あまり大差ないわけで。
物理的に身体を構成するものが無機物か有機物かの違いは、その存在の意味や意義を規定する上で、大きいのだろうか。
「ロボット革命」すごい作品だよなぁ。改めて、そう思う。
自分語りはうざいけど、誕生月の終わりに、遠吠えておくことにする。ごめんね。
人間なんて、所詮不完全。だから、「人間」になろうとじたばたしているんだ。
世の中には、そう、最初から「人間」してる人もいるけどさ。おいらの身内みたいに。人間でいることを疑わずに生きていける資質を持った優秀な人間も、中にはいる。
おいらは、そういう人達を愛しているが、自分はそうではない。残念ながら、「人間」になるには、努力が必要だ。
それでも。そんな自分が「人間」を好きでよかったと、それは本心から思う。
おいらは、「人間」にあこがれている。今でも、20代の頃に見た夢を忘れない。
ある夜、夢の中で、おいらは、人間のように怒ったり悲しんだりして、ドラマのキャラクターのように、感情のままに泣いたり、どなったりしていた。
それは、とても不思議で、そして、とても幸せな感覚だったのだ。それ以来、自分が、本当の「人間」になれるのではないか、という不遜な夢を持って、日々を生きている。
理性と感情がどこにあるのか、おいらは知らない。
だが、全ての価値観が等価であれば、何も選べず、何も愛せず、何も憎むことができないことは、体験済みだ。それは「Pluto」では、「目覚めることができない」として、表現されていた。
「Pluto」で繰り返し言われたこと。「人格」を規定するためには、「極端な感情の注入」が必要。それは、とても実感して理解できる。だが、憎しみでしか、人格を固定できないのなら、それも哀しい。
おいらは、20代に、憎しみではなく「主観的な好き嫌い」で、無理矢理自分を固着した。そうしなければ、「おいら自身」を規定できなかった。
多分、間違っていることが多いんだろうと思う。そんな固着規準は。
ごめんよ。どうしたらいいか、わからないんだ。
春の寒空を見上げて、ため息つきつつ言い訳する。
ぼくは、人間になりたい。でも、こんなに脆く弱い生き物なんだ。
ロボットのように、せめて、正確で誠実な特質があれば、、よかったのにね。
新しい4月にこぎ出さねばならない時に、何、蟻地獄にはまっているんだ、という感じです。
今年の目標は、「人間」になること。今度こそ。もう少し、近づきたいな。
優しい人に感謝しながら、もらった優しさを、出会う人達に渡していくこと。
愛しい人を守り、守れるような力を持つこと。
できっこない目標だから、ここに遠吠えておきます。
せめて、桜の頃に、自分が、優しさを忘れてしまわずに、感謝することができますように。
明日からは、新たな崖っぷち。心して、対峙すべし<自分。
皆さん、よい春を。
本当に言いたいことなんて、ことばにはならない。
でも、伝えられるなら、せめて笑顔と、心を包む温かい言葉を。
それは、嘘じゃなくて、祈り。あるいは、おまじない。
明日に胸を張って、歩き出すための。
三月がおわっちゃいますね。おいらの誕生月よ、さらば。そして、満月よ、さらば。(そこにある隠喩的な意味は知りません(苦笑)おいら、どこまでもアマチュア(汗))
崖っぷちの日々は、まだおわらないけど、こんどの季節は、もう少し、人に優しく。誠実を旨とすべし。
なーんてね。
NHKの「ロボット革命」観て以来。ものすごく、命について、存在について、突きつけられた気がしてます。
あの番組に出てきたロボット達を、無機物と思えなくて。「一緒に働いていて、かわいい、と思ってしまいます」と、とまどうように笑っていた、従業員さんの言葉に思わず同調して。恐ろしくも、愛しい存在。そんな存在のロボットが、とうとう生まれているんだ。気が遠くなりそうだが、現実は、予想よりも速い速度で、ぼくらの「今」に肉薄している。
浦沢直樹の「Pluto(プルートゥ)」を読み返して、泣いてます。実に感傷的。
あの世界が、本当になるのだ。
身に迫って感じられた瞬間でした。NHKすごいな。相変わらず。(アトムの世界を意識させる、番組の作り方も。)
人ごとのように書いてますが、実際、ロボット以上に、「人間」の感情に疎い自覚があるおいらとしては、人とロボットの違い、なんてテーマは、自分の存在にも関わる、きわめて危うい主題なのであり・・・あはは、こんな人間、世の中に五万といるとは思いますが(苦笑)←だから、世の中いろんなことがあるんだろうし(爆))
おいらにとって、浦沢板「Pluto」は、決して他人事ではない、自分自身の生き方を考えさせられる作品なのです。
感情とは何か。何が「人間らしさ」なのか。知性や正確さでロボットにかなわない身としては、「豊かな人間性」を人間の特性と言われては、とても生きていけないわけで・・・だんだん「人間になっていく」ぐらいで許してもらえないと、立つ瀬がない感じです(汗)。そう考えると、ロボットもおいらも、感情面の認識については、あまり大差ないわけで。
物理的に身体を構成するものが無機物か有機物かの違いは、その存在の意味や意義を規定する上で、大きいのだろうか。
「ロボット革命」すごい作品だよなぁ。改めて、そう思う。
自分語りはうざいけど、誕生月の終わりに、遠吠えておくことにする。ごめんね。
人間なんて、所詮不完全。だから、「人間」になろうとじたばたしているんだ。
世の中には、そう、最初から「人間」してる人もいるけどさ。おいらの身内みたいに。人間でいることを疑わずに生きていける資質を持った優秀な人間も、中にはいる。
おいらは、そういう人達を愛しているが、自分はそうではない。残念ながら、「人間」になるには、努力が必要だ。
それでも。そんな自分が「人間」を好きでよかったと、それは本心から思う。
おいらは、「人間」にあこがれている。今でも、20代の頃に見た夢を忘れない。
ある夜、夢の中で、おいらは、人間のように怒ったり悲しんだりして、ドラマのキャラクターのように、感情のままに泣いたり、どなったりしていた。
それは、とても不思議で、そして、とても幸せな感覚だったのだ。それ以来、自分が、本当の「人間」になれるのではないか、という不遜な夢を持って、日々を生きている。
理性と感情がどこにあるのか、おいらは知らない。
だが、全ての価値観が等価であれば、何も選べず、何も愛せず、何も憎むことができないことは、体験済みだ。それは「Pluto」では、「目覚めることができない」として、表現されていた。
「Pluto」で繰り返し言われたこと。「人格」を規定するためには、「極端な感情の注入」が必要。それは、とても実感して理解できる。だが、憎しみでしか、人格を固定できないのなら、それも哀しい。
おいらは、20代に、憎しみではなく「主観的な好き嫌い」で、無理矢理自分を固着した。そうしなければ、「おいら自身」を規定できなかった。
多分、間違っていることが多いんだろうと思う。そんな固着規準は。
ごめんよ。どうしたらいいか、わからないんだ。
春の寒空を見上げて、ため息つきつつ言い訳する。
ぼくは、人間になりたい。でも、こんなに脆く弱い生き物なんだ。
ロボットのように、せめて、正確で誠実な特質があれば、、よかったのにね。
新しい4月にこぎ出さねばならない時に、何、蟻地獄にはまっているんだ、という感じです。
今年の目標は、「人間」になること。今度こそ。もう少し、近づきたいな。
優しい人に感謝しながら、もらった優しさを、出会う人達に渡していくこと。
愛しい人を守り、守れるような力を持つこと。
できっこない目標だから、ここに遠吠えておきます。
せめて、桜の頃に、自分が、優しさを忘れてしまわずに、感謝することができますように。
明日からは、新たな崖っぷち。心して、対峙すべし<自分。
皆さん、よい春を。