今日の「休日のバッハ」は、久しぶりにバッハ音楽の最高峰、いや、人類が残した音楽の頂点を極める「マタイ受難曲」から、往年のディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウのバスを聴いて頂きます。
筆者にとって、最も印象的なディスカウの歌声は第66曲です。その前段の第65曲のレシタティーヴも素晴らしいので、両方合わせてお聴き下さい。歌詞の訳:皆川達夫氏
第65曲:
おお、もとより、われらも主にならい、肉体を十字架にかけん.
われらが心、善にむかわば苦難はさらにきびしくなるなり.
第66曲:
来たれ、甘美なる十字架よ、われあえて言わん.
わがイエスよ、そを、われにあたえたまえ.
わが苦難のおもくば、われをたすけて担いたまえ.
フィッシャー=ディスカウのことを初めて知ったのは、筆者が高校1年生の時でした。音楽室にシューベルトの有名な「冬の旅」のレコードがありました。そのディスカウがバッハの宗教音楽に、ここまでの敬虔な歌声を披瀝できるとは驚きでした。
ディスカウは1925年生まれですから33歳の時の録音です。歌手としてはまさに絶頂期と言えます。
特に高音部の柔らかな心情を醸し出すその歌声は、まさしくこの世の絶品。世紀のソプラノとして有名なエリザベト・シュヴァルツコップをして「神に近い存在」と言わしめたそうですが、この歌声に出会えたことだけでも、これまで生きていた甲斐があったと言えるものです。
演奏は、カール・リヒター率いるミュンヘンバッハです。レコーディングは1958年ですから、リヒターが32歳の時。その5年前にミュンヘンバッハを創設。27歳の時でしたが、今の若者が果たしてこんな世界的な管弦楽団と合唱団を組織できるだろうか?
そのリヒターもグレン・グールドと同様、50歳でこの世を去っております。何かを成し遂げるには50年あれば十分か。。。
たとえ人間が100歳まで生きても、この宇宙の生誕から現在までを100歳に喩えれば、人間の100歳は、たったの0.5秒程度に過ぎません。実に儚い存在ですが、それでもこの人類に、これからもこうした若手の天才が出現するのを期待したいと思います。
いつものように、ここをクリックしてウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。
筆者にとって、最も印象的なディスカウの歌声は第66曲です。その前段の第65曲のレシタティーヴも素晴らしいので、両方合わせてお聴き下さい。歌詞の訳:皆川達夫氏
第65曲:
おお、もとより、われらも主にならい、肉体を十字架にかけん.
われらが心、善にむかわば苦難はさらにきびしくなるなり.
第66曲:
来たれ、甘美なる十字架よ、われあえて言わん.
わがイエスよ、そを、われにあたえたまえ.
わが苦難のおもくば、われをたすけて担いたまえ.
フィッシャー=ディスカウのことを初めて知ったのは、筆者が高校1年生の時でした。音楽室にシューベルトの有名な「冬の旅」のレコードがありました。そのディスカウがバッハの宗教音楽に、ここまでの敬虔な歌声を披瀝できるとは驚きでした。
ディスカウは1925年生まれですから33歳の時の録音です。歌手としてはまさに絶頂期と言えます。
特に高音部の柔らかな心情を醸し出すその歌声は、まさしくこの世の絶品。世紀のソプラノとして有名なエリザベト・シュヴァルツコップをして「神に近い存在」と言わしめたそうですが、この歌声に出会えたことだけでも、これまで生きていた甲斐があったと言えるものです。
演奏は、カール・リヒター率いるミュンヘンバッハです。レコーディングは1958年ですから、リヒターが32歳の時。その5年前にミュンヘンバッハを創設。27歳の時でしたが、今の若者が果たしてこんな世界的な管弦楽団と合唱団を組織できるだろうか?
そのリヒターもグレン・グールドと同様、50歳でこの世を去っております。何かを成し遂げるには50年あれば十分か。。。
たとえ人間が100歳まで生きても、この宇宙の生誕から現在までを100歳に喩えれば、人間の100歳は、たったの0.5秒程度に過ぎません。実に儚い存在ですが、それでもこの人類に、これからもこうした若手の天才が出現するのを期待したいと思います。
いつものように、ここをクリックしてウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。