今日の「休日のバッハ」は、カンタータ第144番から、第5曲ソプラノのアリアです。
このアリアの英語訳は以下の通りです。
「Contentedness is a jewel in this life,
that can buring pleasure amid the greatest sadness,
contentedness, for it consents to all that God ordains,
contedtedness.」
拙訳すれば、以下のような意味になります。
「満足は、この人生にとって、大いなる悲しみの真っ最中においても
喜びをもたらす宝石のようなものである。
神が定めた全てのことを受け入れることで得られる満足。。。」
ドイツ語で「Genugsamkeit 」が「満足」の意味ですが、この曲には16回も出てきます。
オーボエに率いられて歌われるこのダカーポのソプラノのアリア。今回の大震災の被災者の方々の大きな悲しみも、また個人的なことですが、筆者が昨年妻を失ったことで未だに繰り返し押し寄せる悲しみも、いずれも神が定めたことであり、それを受け入れることで人生に喜びさえももたらす宝石だと、このカンタータの歌詞は言っております。
そうした歌詞の意味を理解しながら、何度もこのアリアを聴いていると不覚にもまた感涙にむせんでしまいます。感涙、つまり感動の涙です。
そうだったのか。こうした悲しみそのものは、何も筆者の人生を暗鬱たるものにするのではなく、むしろそうした悲しみに身を浸すことで喜びをも得られる宝石だったとは。
こうした人生の逆説的な成り立ちを、このカンタータのアリアに結実させたバッハと、その彼を支えた宗教的な意思に改めて感動を覚える曲です。
復活祭前の第9日曜日のためのカンタータで、今から300年近く前の1724年に初演。
いつものように、ここをクリックして、ウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。
このアリアの英語訳は以下の通りです。
「Contentedness is a jewel in this life,
that can buring pleasure amid the greatest sadness,
contentedness, for it consents to all that God ordains,
contedtedness.」
拙訳すれば、以下のような意味になります。
「満足は、この人生にとって、大いなる悲しみの真っ最中においても
喜びをもたらす宝石のようなものである。
神が定めた全てのことを受け入れることで得られる満足。。。」
ドイツ語で「Genugsamkeit 」が「満足」の意味ですが、この曲には16回も出てきます。
オーボエに率いられて歌われるこのダカーポのソプラノのアリア。今回の大震災の被災者の方々の大きな悲しみも、また個人的なことですが、筆者が昨年妻を失ったことで未だに繰り返し押し寄せる悲しみも、いずれも神が定めたことであり、それを受け入れることで人生に喜びさえももたらす宝石だと、このカンタータの歌詞は言っております。
そうした歌詞の意味を理解しながら、何度もこのアリアを聴いていると不覚にもまた感涙にむせんでしまいます。感涙、つまり感動の涙です。
そうだったのか。こうした悲しみそのものは、何も筆者の人生を暗鬱たるものにするのではなく、むしろそうした悲しみに身を浸すことで喜びをも得られる宝石だったとは。
こうした人生の逆説的な成り立ちを、このカンタータのアリアに結実させたバッハと、その彼を支えた宗教的な意思に改めて感動を覚える曲です。
復活祭前の第9日曜日のためのカンタータで、今から300年近く前の1724年に初演。
いつものように、ここをクリックして、ウィンドウズ・メディア・プレイヤーでお聴き下さい。