ここでも書かせて頂きますが、自分のメインの楽器をウードに選択して、本当に失敗したと、何度も心の底から思いました。手を出して以来、これほど難しい楽器は無いのでは、と挫折感の連続でした。
35歳で、本格的にこの楽器を始めた事も原因ですが、追究すればするほど、自分の音楽に関する姿勢を根本から叩き直されたのは勿論の事、未だに足りなさを実感させられる日々です。
ある時、「ウードはヴァイオリン並みに極めるのが難しい楽器」であるという結論に至りました。それぐらい難しい楽器です。2005年のエジプト滞在から帰国後、ウード奏者として見切り発車してプロ活動を始めた事を思い返してみて、我ながら自分の無謀ぶりに冷や汗を感じます。
とはいえ、十年一剣と言う通り、常味裕司と言う稀有な演奏家に10年毎月頑張って学び、更にアラディーンで毎月イベントを開催して来て実力を磨き、
満を持して行った「アラブの歌と音楽の夜」と言うコンサートの第一夜、勿論、様々な反省点は沢山ありましたが、それ以上の感動と結果で終える事が出来ました。
今まで追及し表現して来たアラブ音楽のコンサートの一つの形でした。
私がこうやってウード奏者、ダラブッカ奏者として存在しているのは、勿論ベリーダンス諸姉妹の御蔭です。特に、私が結婚していた「アレグラ」の存在抜きには考えられません。
彼女達の存在が無ければ、私にとって、アラブ音楽は単なる一民族音楽というカテゴリーの中で留まっていたでしょうし、ここまで追及し、曲目のレパートリーを増やす事も出来なかったと思います。
そういう意味でも、わざわざ昨夜見に来てくださったダンサーの皆さんは、特に特別な存在であって、お互いにアラブ音楽と言う物の素晴らしさを分かち合えて、とても嬉しく思います。
この10年間のアラブ音楽への研鑽の一つの結論として「アラビア語の歌」がこの音楽の大きな魅力の一つであり、そこから全てが始まっている、というのが私の結論です。
その意味でも、昨年より、エジプトで研鑽して来た木村伸子ちゃん、チュニジアで研鑽して来た益田彩香ちゃん、そして何より、チュニジア人ヴァイオリニストのハスィン・ジュベリと知り合えた事が大きな励みになりました。
この3人の存在が無ければ、今回のコンサートの成功は無かったと思います。
やはりアラビア語とアラビア語圏で実際に生活した事が無ければ分からない事が多々あり、それを身体的に感じてきた彩香ちゃんの歌、伸子ちゃんの唸るタクシーム、そして、ハスィンの歌と卓越したヴァイオリン演奏とタクシームを核に、
ミッチーのカーヌーン、私のウードと歌、安藤君の安定したベースに、流石と思わせる濱ちゃんのレクが、それぞれ際立ちながら絡み合った、音のアラベスク文様が今回のコンサートの音でした。
と、長々と書いてしまいましたが、定期的に、この「アラブの歌と音楽の夜」を行っていきたいと思います。
コンサート終了後、イナコ先生から「歌が上手くなったわね」と言われて感無量です(笑)。
「アラブの歌と音楽の夜 第一夜」
1部:
Samaai Nahawand Safar Ali(サマーイ・ナハワンド・サファル・アリー)(エジプト~サファル・アリ)
Bint Al Shalabiya(ビント・シャラビーヤ:シャラビーヤの少女)(レバノン~フェイルーズ)
Shat Iskandaria(シャット・イスンダリーア:アレキサンドリアの浜辺))(レバノン~フェイルーズ)
A3tini Al Naaya Wa Ghannii(アーティニー・ナーヤ・ワ・ガンニー:ネイを持ってきて、そして、歌ってください)(レバノン~フェイルーズ)
Tahat Al Yasmeena(タハッティル・ヤスミーナ:ジャスミンの木の下で)(チュニジア~へディ・ジュイニ)
Nassam Alaina Al Hawa(ナッサム・アライナル・ハワ:我らの上にそよ風が吹く)(レバノン~フェイルーズ)
2部:
Al Hob Al Awwal(エル・ホッブ・ル・アッワル:初恋)(エジプト~ムハンマド・アブドゥル・ワッハーブ)
Al Nahar Al Kharid(エン・ナハル・ル・ハリッド:永遠なる河)(エジプト~ムハンマド・アブドゥル・ワッハーブ)
Ana Fi Intizaarak(アナ・フィンティ・ザーラック:あなたを待っています)(エジプト~ウンム・クルスーム)
Ana Albiy Lik Mayyaal(アナ・アルビー・リク・マイヤール:私の心は、あなたへと傾く)(エジプト~ファイーザ・アハメッド)
Enta Omri(エンタ・オムリ:あなたは私の人生)(エジプト~ウンム・クルスーム)
Sawah(サワー:さすらい人)(エジプト~アブドゥル・ハリム・ハーフェーズ)