1月の時点でキャンセル待ち状態に陥った「ベリーダンスと音楽の夜 第五十八夜」無事に終了いたしました。
出演者の皆様、お越しいただいた皆様、真にありがとうございました!
今回は、メイスンさんが「アラディーンのトルコ風で踊りたい。」という希望が発端となって実現したという経緯もあり、私としては嬉しい申し込みでした。
発起人としてのメイスンさんのパフォーマンスが、やはり、ずば抜けていたと思いました。
ダンサーもミュージシャンも、相思相愛である事が全てなのだと思いますね、やはり。
お越し頂いたお客様も、幅広い年齢層で、楽しそうに見ていただけたようで、主催者としても感慨深かったです。
最近、とあるキッカケが高じて、20世紀初頭のディアギレフにまつわるバレエ音楽に興味が沸き、その辺りの音楽を購入しては、むさぼるように聴き、
更には、この音楽に、どんな振り付けが施されるのか興味が沸き、ニジンスキーの作品を再現したマリインスキー劇場のDVDを購入したり、
良く行く古本屋で「バレエ大観」(大田黒元雄著 全音楽譜出版)というレアな絶版物の本を購入したりと、2月は、バレエ・リュスについて、色々学んだ、そういった事で、あっという間に過ぎてしまいました。
20世紀初頭の、ストラヴィンスキーとか、ラヴェルとか、はたまたピカソ、ジャン・コクトーとか、あの辺りの芸術や音楽は、バレエ・リュスと深い関わりあった事を学び、なるほど、と腑に落ちた事がたくさんありました。
日本語の音楽の英訳であるミュージックの語源である、ギリシア語の「ムシケー」は「本来は詩と音楽と舞踊の三者からなる包括的概念であった」(片桐功/はじめての音楽史/音楽之友社)とあるように、
元々は、ある場に存在する人間が、ある時間とある空間の枠の中で、部分的、または全体的な身体運動を元に美を表現する事を「ムシケー」と差していたのを、
詩と舞踊の要素を取り除いて「音の芸術としての音楽だけを指す」(同前著より抜粋)ようになっていった訳で、
今更ながら、「ああ、自分は「音楽」だけの偏重教育を受けてきていたんだ。」みたいに実感したのでした。
詩や、音楽は独立して存在する事はできますが、(というか、日本では、それが独立して存在するのが当たり前のように思えますが、)
詩も、舞踊も、音楽も、元々は切り離せない関係であり、三要素の内のどれもが主となり従となる事も、自然な訳ですね。
そうやって考えてみると、アラディーンの主催する「ベリーダンスと音楽の夜」は、小規模ながらも、詩と舞踊と音楽の総合芸術を提供している訳で(笑)、
更に磨きを掛けていけば、きっと素晴らしい舞台芸術になると思うのでした。
その為には、ダンサーの皆さんとの協力関係が大事になってきますし、更には、それを楽しむ観客の皆さんも大事です。
江戸時代の芝居小屋には「見巧者(みごうしゃ)」と呼ばれる常連客がいて芸人の巧拙を判断し、芸人を育てる人たち、つまり「ファン」が居たそうですが、
ともあれ、我々も真摯に、より良いものを提供できるように、努力を重ねて行きたいと思います。
今後とも、皆さん、よろしくお願いいたします!
出演者の皆様、お越しいただいた皆様、真にありがとうございました!
今回は、メイスンさんが「アラディーンのトルコ風で踊りたい。」という希望が発端となって実現したという経緯もあり、私としては嬉しい申し込みでした。
発起人としてのメイスンさんのパフォーマンスが、やはり、ずば抜けていたと思いました。
ダンサーもミュージシャンも、相思相愛である事が全てなのだと思いますね、やはり。
お越し頂いたお客様も、幅広い年齢層で、楽しそうに見ていただけたようで、主催者としても感慨深かったです。
最近、とあるキッカケが高じて、20世紀初頭のディアギレフにまつわるバレエ音楽に興味が沸き、その辺りの音楽を購入しては、むさぼるように聴き、
更には、この音楽に、どんな振り付けが施されるのか興味が沸き、ニジンスキーの作品を再現したマリインスキー劇場のDVDを購入したり、
良く行く古本屋で「バレエ大観」(大田黒元雄著 全音楽譜出版)というレアな絶版物の本を購入したりと、2月は、バレエ・リュスについて、色々学んだ、そういった事で、あっという間に過ぎてしまいました。
20世紀初頭の、ストラヴィンスキーとか、ラヴェルとか、はたまたピカソ、ジャン・コクトーとか、あの辺りの芸術や音楽は、バレエ・リュスと深い関わりあった事を学び、なるほど、と腑に落ちた事がたくさんありました。
日本語の音楽の英訳であるミュージックの語源である、ギリシア語の「ムシケー」は「本来は詩と音楽と舞踊の三者からなる包括的概念であった」(片桐功/はじめての音楽史/音楽之友社)とあるように、
元々は、ある場に存在する人間が、ある時間とある空間の枠の中で、部分的、または全体的な身体運動を元に美を表現する事を「ムシケー」と差していたのを、
詩と舞踊の要素を取り除いて「音の芸術としての音楽だけを指す」(同前著より抜粋)ようになっていった訳で、
今更ながら、「ああ、自分は「音楽」だけの偏重教育を受けてきていたんだ。」みたいに実感したのでした。
詩や、音楽は独立して存在する事はできますが、(というか、日本では、それが独立して存在するのが当たり前のように思えますが、)
詩も、舞踊も、音楽も、元々は切り離せない関係であり、三要素の内のどれもが主となり従となる事も、自然な訳ですね。
そうやって考えてみると、アラディーンの主催する「ベリーダンスと音楽の夜」は、小規模ながらも、詩と舞踊と音楽の総合芸術を提供している訳で(笑)、
更に磨きを掛けていけば、きっと素晴らしい舞台芸術になると思うのでした。
その為には、ダンサーの皆さんとの協力関係が大事になってきますし、更には、それを楽しむ観客の皆さんも大事です。
江戸時代の芝居小屋には「見巧者(みごうしゃ)」と呼ばれる常連客がいて芸人の巧拙を判断し、芸人を育てる人たち、つまり「ファン」が居たそうですが、
ともあれ、我々も真摯に、より良いものを提供できるように、努力を重ねて行きたいと思います。
今後とも、皆さん、よろしくお願いいたします!