今日は、今年のウード・レッスン納めでした。曲目は、復習みたいな形で、ムハンマド・カサブギ( محمد القصبجي :エジプト・カイロ出身のウード奏者でウンム・クルスームのオーケストラのウード奏者としても有名)のサマーイ・ラーストを、ここ何回かのレッスンで受けている訳ですが、どうしても入り込めず悩んでいました。
この器楽曲、メロディのフレーズがとても細かく書かれていて、ともすると、とても機械的な演奏になる為、何となくやる気が起きなかったのですが、今日、師匠の常味さんから、細かい部分のメロディの解釈について色々と教わっているうちに、「なるほど!」と腑に落ちる事があり、一気にこの曲が面白くなったのでした。
以前から「テクニックがどうのこうのではない」とか「自分もどう弾いているか良く分かっていない」とか質問する度に言われていたので、何となく煙に巻かれた感じでいたのですが、今日のレッスンで、ああ、そういう事なのだ、と分かった次第です。
オリエンタル音楽の楽譜を見ると、本当にメロデイのみが書かれていて、所謂アーティキュレーションが必要最低限のみ示されており、ともすると、とても機械的な演奏になってしまって、何だかな~、みたいな感じに陥ります。以前アラディーンに参加していたクラシック出身の奏者も、「一体、これをどう歌って良いか分からない」と良く言っていました。
やっぱり、オリエンタル音楽には、オリエンタル音楽の語法があり、こう来たら、こう歌う、という暗黙の了解がある訳で、更に、それを演奏技術的に、高度に、どう深めていくか、という過程を教えて貰えた気がしました。
何が言いたいのかというと、聞いている側からすれば、とても速い右手の正確無比な動きを要するフレーズを、いくら細かく分解して研究しても、それには届かないのに、
逆に、そのフレーズを「こう歌って表現する」と決めて、それを現実の音として出す事に力点を置くと、それが出来る。
しかも、自己練では出来なかったのに、師匠の音を聞いて、それを真似ようとレッスンの最中に行ったら、すんなり出来たw
みたいな(笑)。
やはりレッスンというモノはとても大事ですね。
自分の場合、どうしても機械的に分解して理解しようとする傾向が強い訳ですが(勿論、それは自分の長所でもあります。)、やっぱり「真似る=学ぶ」だと改めて思った次第です。
音楽に限らず、全ての芸術は奥が深いですね。
سماعي راست . محمد القصبجي Samâi Rast . Mohamed Kassabgi